文宗皇帝名涵、穆宗子也。爲宦者王守澄所立。後改名昂。太和二年、親策制擧人。宦者横。建置天子、在其掌握。權出人主之右。無人敢言。賢良方正劉蕡、對策極言之。考官皆歎服。而不敢取。中第者裴休・李郃・杜牧・崔愼由等、二十二人、皆除官。物論囂然稱屈。郃曰、劉蕡下第、我輩登科。能無厚顔。上疏乞囘所授官於蕡、不報。
文宗皇帝、名は涵(かん)、穆宗の子なり。宦者王守澄(おうしゅちょう)の立つる所と為る。後改めて昂(こう)と名づく。太和二年、親(みず)から策して人を制挙す。宦者益々横(おう)なり。天子を建置(けんち)する、其の掌握に在り。権、人主の右に出づ。人敢えて言うもの無し。賢良方正劉蕡(りゅうふん)、対策して之を極言す。考官皆歎服(たんぷく)す。而も敢えて取らず。第に中(あた)る者は裴休(はいきゅう)・李郃(りごう)・杜牧・崔愼由(さいしんゆう)等二十二人、皆官に除す。物論囂然(ごうぜん)として屈(くつ)と称す。郃曰「劉蕡下第し、我が輩登科(とうか)す。能く顔厚(がんこう)なる無からんや」と。上疏(じょうそ)して授くる所の官を蕡に回(めぐ)らさんと乞う。報ぜず。
親策 天子自ら試験すること。 制挙 科挙に拠らず勅命によって官吏を登用する制度。 建置 くつがえしたり、擁立したりすること。 人主 天子。 右
上位。 賢良方正 科挙の科目の一。 対策 木の札(策)に書かれた問題に答(対)えること。 極言 言葉を尽して思う存分論ずること。 考官 試験官。 中第 及第。 囂然 かまびすしいこと。
文宗皇帝、名は涵で穆宗の子である。宦官王守澄によって立てられた。即位後、名を昂と改めた。太和二年、文宗は自ら試験をして英俊を選んだ。
その頃宦官は益々専横を極め、天子の廃立までも管掌するほどで、権力は天子より強くなった。しかし、一人として批判を口にする者も無かった。
科挙の賢良方正科を受けた劉蕡は文宗の試問に対えて宦官の専横を口を極めて訴えた。試験官は皆感服したものの、採用しなかった。このとき及第した裴休・李郃・杜牧・崔愼由等二十二人は劉蕡を除き皆任命されたが、世間は宦官の圧力に屈したと囂々と非難が沸き起こった。李郃は「劉蕡が落第して私が登用になる、それほど私は厚かましくははい」と言い、上書して任命された官を劉蕡に廻してほしいと頼んだが、何の返事も無かった。
文宗皇帝、名は涵(かん)、穆宗の子なり。宦者王守澄(おうしゅちょう)の立つる所と為る。後改めて昂(こう)と名づく。太和二年、親(みず)から策して人を制挙す。宦者益々横(おう)なり。天子を建置(けんち)する、其の掌握に在り。権、人主の右に出づ。人敢えて言うもの無し。賢良方正劉蕡(りゅうふん)、対策して之を極言す。考官皆歎服(たんぷく)す。而も敢えて取らず。第に中(あた)る者は裴休(はいきゅう)・李郃(りごう)・杜牧・崔愼由(さいしんゆう)等二十二人、皆官に除す。物論囂然(ごうぜん)として屈(くつ)と称す。郃曰「劉蕡下第し、我が輩登科(とうか)す。能く顔厚(がんこう)なる無からんや」と。上疏(じょうそ)して授くる所の官を蕡に回(めぐ)らさんと乞う。報ぜず。
親策 天子自ら試験すること。 制挙 科挙に拠らず勅命によって官吏を登用する制度。 建置 くつがえしたり、擁立したりすること。 人主 天子。 右
上位。 賢良方正 科挙の科目の一。 対策 木の札(策)に書かれた問題に答(対)えること。 極言 言葉を尽して思う存分論ずること。 考官 試験官。 中第 及第。 囂然 かまびすしいこと。
文宗皇帝、名は涵で穆宗の子である。宦官王守澄によって立てられた。即位後、名を昂と改めた。太和二年、文宗は自ら試験をして英俊を選んだ。
その頃宦官は益々専横を極め、天子の廃立までも管掌するほどで、権力は天子より強くなった。しかし、一人として批判を口にする者も無かった。
科挙の賢良方正科を受けた劉蕡は文宗の試問に対えて宦官の専横を口を極めて訴えた。試験官は皆感服したものの、採用しなかった。このとき及第した裴休・李郃・杜牧・崔愼由等二十二人は劉蕡を除き皆任命されたが、世間は宦官の圧力に屈したと囂々と非難が沸き起こった。李郃は「劉蕡が落第して私が登用になる、それほど私は厚かましくははい」と言い、上書して任命された官を劉蕡に廻してほしいと頼んだが、何の返事も無かった。
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