魏中常侍宗愛、譖東宮官屬。多坐誅死。太子晃以憂卒。魏主追悼不已。愛懼弑主。後諡曰太武皇帝、廟號世祖。晃之子濬立。討愛誅之。
宋太子劭、巫蠱呪詛。事覺、宋主擬廢之。劭。弑主而自立。主在位三十年。改元者一、曰元嘉。武陵王擧兵弑劭。王立。是爲世祖孝武皇帝。
孝武皇帝名駿。即位十二年殂。改元者二、曰孝建、曰大明。太子立。是爲廢帝。
魏の中常侍(ちゅうじょうじ)宗愛、東宮の官属を譖(しん)す。多く坐して誅死せらる。太子晃(こう)、憂いを以って卒す。魏主追悼して已(や)まず。愛、懼れて主を弑す。後諡(おくりな)して太武皇帝と曰い、廟を世祖と号す。晃の子濬(しゅん)立つ。愛を討って之を誅す。
宋の太子劭(しょう)、巫蠱(ふこ)呪詛(じゅそ)す。事覚(あら)われ、宋主之を廃せんと擬す。劭、主を弑して自立す。主、在位三十年、改元する者(こと)一、元嘉と曰う。武陵王、兵を挙げて劭を誅す。王立つ。是を世祖孝武皇帝と為す。
孝武皇帝、名は駿。位に即いて十二年にして殂(そ)す。改元する者二、孝建と曰い、大明と曰う。太子立つ。是を廃帝と為す。
巫蠱 巫は巫女(みこ)蠱は虫を用いてするまじない。 擬・・しようとする。
魏の中常侍の宗愛という者が、太子づきの役人を讒言し、多くの役人が罪に連坐して殺された。太子の晃は心痛のあまり世を去った。魏主はたいそうこれを悼んだ。宗愛は自分に対する恨みになるのを恐れて弑殺してしまった。後におくり名して太武皇帝といい、廟号を世祖と呼んだ。晃の子濬が即位し(452年)宗愛を討って誅殺した。
宋では太子の劭が巫蠱によって文帝を呪い殺そうとした。事が露見して文帝は太子を廃嫡しようとしたが、劭が先手を打って帝を弑殺して自ら天子になった(453年)。文帝は在位三十年、改元は一回、元嘉という。武陵王が兵を挙げて劭を殺して立った。これが世祖孝武皇帝である。
孝武皇帝、名は駿。即位して十二年にして亡くなった。年号を改めること二回、孝建と大明という。太子が後を継いだ。これが廃帝である。
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