書奏。帝不肯下。明旦、光聞之、止畫室中不入。上問、大將軍安在。桀曰、以燕王告其罪、不敢入。詔召大將軍。光入。免冠頓首謝。上曰、將軍之廣明都郎、屬耳。調校尉以來、未能十日。燕王何以得知之。且將軍爲非、不須校尉。是時元鳳元年、帝年十四。尚書左右皆驚。而上書果亡。捕之甚急。
書奏す。帝肯(あえ)て下さず。明旦、光之を聞き、画室中に止まって入らず。上(しょう)問う、大将軍安(いづ)くにか在る、と。桀曰く、燕王、其の罪を告ぐるを以って、敢えて入らず、と。詔(みことのり)して大将軍を召す。光入る。冠を免(ぬ)ぎ頓首して謝す。上曰く、将軍、廣明に之(ゆ)いて郎を都(と)せしは属(このごろ)のみ。校尉を調して以来、未だ十日なる能(あた)わず。燕王何を以って之を知るを得ん。且つ将軍非を為さんとせば、校尉を須(ま)たざらん、と。是の時元鳳元年(前80年)にして帝年十四なり。尚書左右皆驚く。而して書を上(たてまつる)者果たして亡(に)ぐ。之を捕うること甚だ急なり。
訴状が奏上されたが、昭帝は自分の手元に留めおいた。翌朝霍光がこの事を聞くと画室に籠って入廷しなかった。帝が「大将軍はどこにいるか」と問うと、桀が答えて「燕王が光の罪を奏上したので入るのを憚っているのでしょう」と。昭帝はみことのりを下して大将軍を召した。霍光は参内すると冠をぬぎ、額を地につけて詫びた。昭帝は告げた「将軍が広明亭に行って郎軍を調練したのは、まだ最近のことだ。将校を選任してからは十日も経っていない。燕王がどうして知り得よう、それにもし将軍が何か事を起こそうと思ったとしても、将校などあてにするはずがなかろう」と。この時は元鳳元年、昭帝はまだ十四歳であった。尚書や左右の側近は皆帝の聡明さに驚いた。そして上書した者は姿をくらました。帝は逮捕せよと厳しく命じた。
書奏す。帝肯(あえ)て下さず。明旦、光之を聞き、画室中に止まって入らず。上(しょう)問う、大将軍安(いづ)くにか在る、と。桀曰く、燕王、其の罪を告ぐるを以って、敢えて入らず、と。詔(みことのり)して大将軍を召す。光入る。冠を免(ぬ)ぎ頓首して謝す。上曰く、将軍、廣明に之(ゆ)いて郎を都(と)せしは属(このごろ)のみ。校尉を調して以来、未だ十日なる能(あた)わず。燕王何を以って之を知るを得ん。且つ将軍非を為さんとせば、校尉を須(ま)たざらん、と。是の時元鳳元年(前80年)にして帝年十四なり。尚書左右皆驚く。而して書を上(たてまつる)者果たして亡(に)ぐ。之を捕うること甚だ急なり。
訴状が奏上されたが、昭帝は自分の手元に留めおいた。翌朝霍光がこの事を聞くと画室に籠って入廷しなかった。帝が「大将軍はどこにいるか」と問うと、桀が答えて「燕王が光の罪を奏上したので入るのを憚っているのでしょう」と。昭帝はみことのりを下して大将軍を召した。霍光は参内すると冠をぬぎ、額を地につけて詫びた。昭帝は告げた「将軍が広明亭に行って郎軍を調練したのは、まだ最近のことだ。将校を選任してからは十日も経っていない。燕王がどうして知り得よう、それにもし将軍が何か事を起こそうと思ったとしても、将校などあてにするはずがなかろう」と。この時は元鳳元年、昭帝はまだ十四歳であった。尚書や左右の側近は皆帝の聡明さに驚いた。そして上書した者は姿をくらました。帝は逮捕せよと厳しく命じた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます