詔擧獨行之士。涿郡崔寔至公車。不對策、退而著政論。略曰、聖人能與世推移、俗士苦不知變。以爲、結繩之約、可復治亂秦之緒、干之舞、可以解平城之圍。夫刑罰者、治亂之藥石也。教者、興平之粱肉也。以教除殘、是以粱肉治疾也。以刑罰治平、是以藥石供養也。自數世以來、政多恩貸。馭委其轡、馬駘其銜、四牡横犇、皇路險傾。方將拑勒鞬輈、以救之。豈暇鳴和鑾清節奏哉。昔文帝雖除肉刑、當斬右趾棄市、笞者往往至死。是文帝以嚴致平、非以寛致平也。仲長統見其書曰、凡爲人主、宜寫一通置之坐側。
詔(みことのり)して独行の士を挙げしむ。涿郡(たくぐん)の崔寔(さいしょく)公車に至る。対策せずして、退いて政論を著わす。略に曰く、聖人は能く世と推移し、俗士は変を知らざるに苦しむ。以為(おも)えらく、結縄(けつじょう)の約は復た乱秦の緒を治む可く、干(かんう)の舞は、以って平城の囲みを解く可し、と。夫れ刑罰は乱を治むるの薬石なり。徳教は、平を興すの粱肉なり。徳教を以って残を除くは、是れ粱肉を以って疾を治むるなり。刑罰を以って平を治むるは、是れ薬石を以って養に供うるなり。数世より以来、政(まつりごと)恩貸(おんたい)多し。馭(ぎょ)はその轡(たずな)を委(す)て、馬はその銜(くつわ)を駘(ぬ)ぎ、四牡(しぼ)横に犇(はし)り、皇路険傾(けんけい)す。方(まさ)に将(まさ)に勒(ろく)を拑(けん)し、輈(ちゅう)を鞬(けん)して、以って之を救わんとす。豈和鑾(からん)を鳴らし、節奏を清うするに暇(いとま)あらんや。昔、文帝、肉刑を除くと雖も、右趾(ゆうし)を斬るに当るは棄市(きし)し、笞者(ちしゃ)は往往死に至る。是れ文帝厳を以って平を致し、寛を以って平を致すに非ざるなり、と。仲長統(ちゅうちょうとう)其の書を見て曰く、凡そ人主(じんしゅ)たるものは、宜しく一通を写して之を坐側(ざそく)に置くべし、と。
独行の士 人におもねることなく、正義を行う人。 公車 役所の名。 対策 答案を書くこと。 結縄 文字の無かった時代、縄を結んで約束とした。 干 干は盾、舞の小道具、禹王が舞い蛮族が服従したという。 平城の囲みを解く 前漢の武帝が匈奴に包囲された際、陳平の奇計によって難を逃れた事。粱肉 よい穀物とうまい肉。 残を除く 賊を退ける。 恩貸 めぐみ、恩を限られた人に与えること。 四牡 四頭の牡馬。 皇路 皇帝の馬車。 勒を拑し おもがいを握る。 輈を鞬して ながえを繋いで。 和鑾 馬に付ける鈴。 節奏 調子をとる。 右趾 右足。 棄市 死者を市にさらす刑。 笞者 鞭打ちの刑に処された者。 人主 人の上に立つ者。
桓帝は詔勅を下して、独行の士を推薦させた。河北の涿郡から崔寔が役所まで来たが、試験には応じずに帰り、政論一編を著した。大略はこうである。
聖人はよく時勢に順応できるが、俗人は変化を知らないから苦しむのである。思うに、上古、縄を結んで約束の印としたそのやり方で、乱れた秦の政治を変革する糸口となり、また禹王が蛮族を帰服させた舞をもって、高祖が匈奴の囲みを解く事ができたと考えているのである。
そもそも刑罰というものは乱世を治める薬であり、徳教は太平を興す美食である。徳教によって賊を除こうとするのは、美食によって病気を治そうとするものであり、刑罰によって太平を招来するのは、薬を栄養にしようとするものです。この数世より、政治にはただ寛容さばかりが多く、例えて言えば、馭者は手綱を放し、馬はくつばみを外し、四頭立ての馬車は横ざまに走り、天子の御車は覆えらんばかりであります。今こそまさにおもがいを引きしめ、ながえを繋ぎ、これを救わなければなりません。どうして鈴を鳴らして、調子をとってなど言っている暇があるでしょうか。昔、文帝は身体を傷つける刑は廃止したというが、右足を切る刑に相当するも罪人を獄門にかけてさらし、鞭打ちの刑をもしばしば死に至らしめた。これは文帝が厳格さによって太平を招来したのであって、寛大さで招かれたのではない。
仲長統がこの書を見て「すべて人に君たる者は、この書一通を写して座右に置くべきであろう」と言った。
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