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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 昭烈皇帝の遺言

2011-11-05 09:16:23 | 十八史略
嗣子輔く可くんば之を輔けよ
後皇帝名禪、字公嗣、昭烈皇帝子也。年十七即位。改元建興。丞相諸葛亮受遺詔輔政。昭烈臨終謂亮曰、君才十倍曹丕。必能安國家、終定大事。嗣子可輔輔之。如其不可、君可自取。亮涕泣曰、臣敢不竭股肱之力、效忠貞之節、繼之以死。亮乃約官職、修法制、下教曰、夫參署者、集衆思、廣忠也。若遠小嫌、難相違覆、曠闕損矣。亮乃遣芝、使呉修好。芝見呉王曰、蜀有重險之固。呉有三江之阻。共爲脣齒、進可兼并天下、退可鼎足而立。呉遂絶魏專與漢和。

後皇帝、名は禅、字は公嗣(こうし)、昭烈皇帝の子なり。年十七にして位に即く。元を建興と改む。丞相の諸葛亮、遺詔を受けて政を輔(たす)く。昭烈、終りに臨んで亮に謂って曰く、「君の才は曹丕に十倍せり。必ず能く国家を安んじ、終(つい)に大事を定めん。嗣子輔く可くんば之を輔けよ。如(も)し其れ不可ならば、君、自ら取る可し」と。亮、涕泣(ていきゅう)して曰く、「臣敢えて股肱(ここう)の力を竭(つく)し、忠貞の節を效(いた)し、之に継ぐに死を以ってせざらんや、」と。亮乃ち官職を約し、法制を修め、教えを下して曰く、「夫(そ)れ参署は、衆思(しゅうし)を集め、忠益を広むるなり。若し小嫌(しょうけん)を遠ざけ、相違覆(いふく)することを難(はばか)らば、曠闕(こうけつ)して損あらん、」と。亮、乃ち芝(とうし)を遣わし、呉に使いして好(よしみ)を修めしむ。芝、呉王に見(まみ)えて曰く、「蜀に重険(じゅうけん)の固(かため)有り。呉に三江の阻(そ)有り。共に唇歯(しんし)を為さば、進んでは天下を兼并(けんぺい)す可く、退いては鼎足(ていそく)して立つ可し、」と。呉、遂に魏と絶(た)ち、専ら漢と和す。

敢不 反語、(敢えて・・せざらんや)と読む。不敢は否定(敢えて・・せず)。 股肱 ももとひじ、全身。 参署 合議制、大勢が参加してその結果に署名する。 衆思 多くの意見。 忠益 忠言の益。 小嫌 些細な気がね。 違覆 異見を述べ、繰り返し審議すること。 曠闕 曠は空しい、闕は欠けること、ないがしろになること。 三江 呉淞・銭塘・浦陽。 唇歯 親密な間柄。 兼并 併せもつ。 鼎足 三本足、蜀、呉、魏が並び立つ。

後皇帝、名は禅、字は公嗣といい、昭烈皇帝の子である。十七歳で位に即き、年号を建興と改めた。丞相の諸葛亮は昭烈皇帝の遺言を受けて政治を補佐した。昭烈帝の臨終の際、亮に「君の才能は魏の曹丕に比べて十倍にも勝る。国家を安泰にし、天下統一の大事をなすことができよう。補佐するに足る器量が禅にあるなら、援けてやって欲しい、もしその甲斐が無いようなら、君自ら天下を取ってくれ」と言った。亮は涙を流して、「私は何としても臣下として全力をもって、忠節を尽し、ついには一命をも投げ出さずにおられましょうか」と申し上げた。こうして亮はまず官職を簡素にし、法制を改め、群臣に、「そもそも参署とは衆知を集め、忠言の益を広めるためのものである。もし些細な気兼ねから異議をさしはさむことを憚り審議を繰り返すことを厭えば、天下の政務はなおざりになり、ひいては国の大損失となるであろう。」と訓示した。ついで諸葛亮は芝を使者として呉に派遣し、好(よし)みを通じさせた。芝は呉王に面会して、「わが蜀にはいく重もの天然の要害があります。貴国には呉淞・銭塘・浦陽の三江の険阻があります。共に唇と歯のような切っても切れぬ間柄となれば、進んでは天下を併せ持つことが出来ましょう。退いては鼎の足のように三国が並び立つことができます。」と言上した。呉王は魏と絶ち、もっぱら蜀漢と親しく交わった。

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