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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 隋の文皇帝

2012-08-28 09:09:12 | 十八史略
隋高祖文皇帝、姓楊氏。名堅。弘農人也。相傳爲東漢太尉震之後。父忠仕魏及周、以功封隋公。堅襲爵。堅生而有異。宅旁有尼寺。一尼抱歸自鞠之。一日尼出。付其母自抱。角出鱗起。母大驚堕之地。尼心動。亟還見之曰、驚我兒、致令晩得天下。及長相表奇異。周人嘗告武帝、晋六茹堅有反相。堅聞之深自晦匿。女爲周宣帝后。周靜帝立。堅以太后父秉政、遂移周祚。即位九年、平陳天下爲一。

隋の高祖文皇帝、姓は楊氏、名は堅。弘農の人なり。相伝う、東漢の太尉震の後(のち)たりと。父の忠、魏及び周に仕えて、功を以って隋公に封ぜらる。堅、爵を襲(つ)ぐ。堅、生まれて異有り。宅の旁(かたわら)に尼寺(にじ)有り。一尼抱き帰って自ら之を鞠(やしな)う。一日尼出ず。其の母に付して自ら抱かしむ。角出で鱗起こる。母大いに驚いて之を地に墜(おと)す。尼(に)心動く。亟(すみやか)に還って之を見て曰く、「我が児を驚かして、晩(おそ)く天下を得しむるを致せり」と。長ずるに及んで相表(そうひょう)奇異なり。周人(しゅうひと)嘗て武帝に告ぐ、「晋六茹堅(ふりくじょけん)、反相有り」と。堅之を聞いて深く自ら晦匿(かいとく)す。女(じょ)、周の宣帝の后となる。周の静帝立つ。堅、太后の父というを以って、政を秉(と)り、遂に周の祚(そ)を移せり。位に即いて九年、陳を平らげて天下一(いつ)となる。

太尉震 後漢安帝のとき宦官と対立した楊震、「天知る、地知る、子(なんじ)知る、我知る」で有名。2011.8.9既出。 鞠 育に同じ。 相表 人相。 晋六茹 楊堅の父忠が西魏の恭帝から賜った鮮卑の姓。 晦匿 才能を隠すこと。 
祚 天子の位。


隋の高祖文皇帝は、姓は楊氏、名は堅。弘農(河南省)の人である。後漢の太尉震の後裔とつたえられる。父の楊忠が、北魏及び北周に仕えて、功績によって隋公に封ぜら、堅はその爵位を継いだ。楊堅は生誕にあたって怪異なことがあった。屋敷の傍らにあった尼寺の一人が連れ帰って養育した。ある日その尼僧が外出する際、生みの母に預けて行った。抱いていると角が生え、鱗が生じた。驚いた母はその子を地面に落としてしまった。胸騒ぎがした尼僧が急ぎ帰ってこれを目のあたりにすると、母にむかって「あなたは自分の子を驚かして、天下を取る時期を遅らせてしまったのですよ」と言った。成長するにつれ人相が凡人と違ってきた。あるひとが「晋六茹堅に謀叛の相が表れております」と武帝に告げた。それを伝え聞いた堅は自分の才智を隠した。
やがて娘が宣帝の皇后となり、ついで静帝が即位すると皇太后の父ということで政治の実権を握り、ついには天子の位をも自分のものにした。即位して九年、陳を平定して天下を一つにまとめた。


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