亮以前者數出、皆運糧不繼、使己志不伸、乃分兵屯田。耕者雜於渭濱居民之、而百姓安堵、軍無私焉。亮數挑懿戰。懿不出。乃遣以巾幗婦人之服。亮使者至懿軍。懿問其寢食及事煩簡、而不及戎事。使者曰、諸葛公夙興夜寐、罰二十以上皆親覽。所噉食、不至數升。懿告人曰、食少事煩、其能久乎。
亮病篤。有大星、赤而芒、墜亮營中。未幾亮卒。楊儀整軍還。百姓奔告懿。懿追之。姜維令儀反旗鳴鼓、若將向懿。懿不敢逼。百姓爲之諺曰、死諸葛、走生仲達。懿笑曰、吾能料生、不能料死。
亮、前者(さき)に数しば出でしが、皆、運糧継がず、己(おの)が志をして伸びざらしめしを以って、乃ち兵を分って屯田す。耕す者、渭浜(いひん)居民の間に雑(まじ)り、而も百姓(ひゃくせい)安堵し、軍に私(わたくし)無し。亮、しばしば懿に戦を挑む。懿、出でず。乃ち遣(おく)るに巾幗(きんかく)婦人の服を以ってす。亮の使者、懿の軍に至る。懿、其の寝食及び事の煩簡を問うて、戎事(じゅうじ)に及ばず。使者曰く、「諸葛公、夙(つと)に興(お)き、夜に寝(い)ね、罰二十以上は皆親(みずか)ら覧(み)る。噉食(たんしょく)するところは、数升に至らず」と。懿、人に告げて曰く、「食少なく事煩わし、其れ能(よ)く久しからんや」と。
亮、病篤(あつ)し。大星有り、赤くして芒あり、亮の営中に墜つ。未だ幾(いくばく)ならずして亮卒す。(ちょうし)楊儀、軍を整えて還る。百姓奔(はし)って懿に告ぐ。懿之を追う。姜維(きょうい)、儀をして旗を反(かえ)し鼓を鳴らし、将(まさ)に懿に向かわんとするが若(ごと)くせしむ。懿敢えて逼(せま)らず。百姓之が為に諺(ことわざ)して曰く、「死せる諸葛、生ける仲達を走らしむ」と。懿笑って曰く、「吾能(よ)く生を料(はか)れども、死を料ること能わず」と。
運糧 兵糧の運搬。 渭浜 渭水の水辺。 屯田 兵士がその土地で耕作しながら駐留すること。 巾幗 婦人の髪飾り。 戎事 軍事。 噉食 噉は食らう、食事。 数升 漢の升は合と同じで日本の勺より少し多い。 丞相の次官。 仲達 司馬懿のあざな。
諸葛亮はこれまで何回も出兵しながら、いつも食糧の補給がうまくいかず、目的を達せられなかったので、今度は兵士を手分けして屯田させることにした。耕作する兵士は渭水の水辺の住民の中に混じったが、百姓たちは安心して生活し、兵士の方にも私欲を満たそうとする者がいなかった。
亮は繰り返し戦いを挑んだが、司馬懿は討って出ようとしなかったそこで亮は婦人服と髪飾りを贈って懿を挑発した。亮の使者が魏の軍営にきたとき、懿は亮の寝食、仕事ぶりなど日常の生活について尋ね、軍事には触れなかった。使者は「公は朝早くから起き、夜更けてから寝みます。杖二十ほどの軽い罪でもご自身で裁かれます。食事は日に数升(勺)しか召し上がりません」と答えた。懿は傍らの者に言った「食が細く、多忙とあれば、そう長い命ではあるまい」
果たして亮は病に罹った。ある夜のこと、赤く大きなほうき星が亮の営中に墜ちた。その後間もなく諸葛亮は亡くなった。次官の楊儀は軍をまとめて撤退にかかった。土地の者が急いで懿に通報し、懿は追撃にかかった。蜀の陣営では姜維が楊儀に勧めて、旗の向きを変え、太鼓を打ち鳴らして魏軍に反撃するかに見せかけた。懿は追撃を止めて引き上げてしまった。土地の者は「死んだ諸葛亮孔明が生きた司馬懿仲達を退散させた」と評したのを聞いて懿は苦笑して「生きている人間なら予想はできるが、死んだ人間ではどうにもならぬ」と言った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます