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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

唐宋八家文 韓愈 田横墓を祭る文 

2013-08-06 08:46:06 | 唐宋八家文
祭田横墓文
貞元十一年九月、愈如東京、道出田横墓下。感横義孝能得士、因取酒以祭、爲文而弔之。其辭曰、
 事有曂百世而相感者。余不自知其何心。非今世之所稀、孰爲使余歔欷而不可禁。余既博觀乎天下、曷有庶幾乎夫子之所爲。死者不復生。嗟余去此其從誰。當秦氏之敗亂、得一士而可王。何五百人之擾擾、而不能脱夫子於劍鋩。抑所寶之非賢、亦天命之有常。昔闕里之多士、孔聖亦云其遑遑。苟余行之不迷、雖顚沛其何傷。自古死者非一、夫子至今有耿光。跽陳辭而薦酒、魂髣髴而來享。

貞元十一年九月、愈東京(とうけい)に如(ゆ)き、道(みち)して田横の墓下に出ず。横の義高く能く士を得しに感じ、因って酒を取り以って祭り、文を為(つく)りてこれを弔う。その辞に曰く、
 事には百世を曂(むな)しゅうして相感ずるもの有り。
 余は自らその何の心なるかを知らず。
 今世の稀なるところに非ずんば、
 孰(た)れか余をして歔欷(きょき)して禁ずべからざらしむるを為さんや。
 余既に博く天下を観るに、曷(なん)ぞ夫子の為すところに庶幾(ちか)きもの有らん。
 嗟(ああ)、余此を去りてそれ誰にか従わん。
 秦氏の敗乱に当たり、一士を得るも王たるべし。
 何ぞ五百人の擾擾として、而も夫子を剣鋩(けんぼう)より脱せしむる能わざりしや。
 抑々宝とするところの賢に非ざるか、亦た天命の常有るか。
 昔、闕里(けつり)の多士なるも、孔聖亦たここにそれ遑遑(こうこう)たり。
 苟(いやし)くも余が行の迷わずんば、顚沛(てんぱい)すと雖もそれ何ぞ傷(いた)まん。
 古より死する者は一に非ず、夫子は今に至るも耿光(こうこう)有り。
 跽(ひざまづ)き辞を陳(の)べて酒を薦(すす)む、魂髣髴(ほうふつ)として来たり享(う)けよ。
 

東京 洛陽。 田横 斉王田儋の従弟、高祖劉邦のとき召されて洛陽の東まで来て臣従を潔しとせず自殺した。付き従った家臣も、島に残った五百人の民もすべて自殺したという。 歔欷 むせび泣く。 擾擾 乱れるさま。 剣鋩 鋩は切先。 闕里 孔子の生地。 多士 孔子の弟子たち。 遑遑 うろうろする。 顚沛 つまずきたおれること。 耿光 明らかな光。

貞元十一年九月、私は洛陽に赴き、その途中に田横の墓を訪ねた。田横の節義高く、よく士を得た人物であったことに感じていたので酒を捧げ祭り文をつくってその霊を弔った。その文は以下の如くである。

物事には百代の世を超越して感動を呼び起こすものがある
私はその心情がどういうものか知らない。
今の世に稀なものでなければ、何が私を泣かせ、涙をとどめえぬようにさせるのか。
私はすでに博く世の中を観たが、あなたの行為に近いものは一つとして無かった。
死んだ者は二度と生き返ることはない。
ああ私はあなたを措いて誰についていけばよいのか。
秦の末期に当たっては一人の勇士を得ただけで王となれたろう。
まして五百人もの忠義の臣を持ちながら、
どうしてあなたを凶刃から逃すことができなかったのだろう。
そもそもあなたの宝とする忠臣が賢者ではなかったのか、それとも天運のなせるわざか。
むかし闕里には多くの賢人が居たが、孔子でさえ心を落ち着かすことがなかった。
かりそめにわたしの行動に迷いがなければ、
たとえ失敗したとして、何の悲しむことがあるだろうか。
人は必ず死ぬ、なのにどうしてあなただけは今にいたるまで光を失っていないのか。
わたしはここにひざまづいて祭文を述べ、酒をすすめる。
霊魂よ来たりて姿をあらわし、わが供物を享けよ。

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