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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 唐、神堯皇帝

2012-09-22 12:59:39 | 十八史略

唐高祖堯皇帝姓李氏、名淵。隴西成紀人也。西涼武昭王之後。祖虎仕西魏有功。封隴西公。父於周世封唐公。淵襲爵。隋煬帝以淵爲弘化留守。御衆寛簡。人多附之。煬帝以淵相表奇異、名應圖讖忌之。淵懼、縱酒納賂以自晦。天下盗起。以淵爲山西・河東撫慰大使。承制黜捗、討捕羣盗多捷。突厥寇邊。詔淵撃之。淵次子世民、聰明勇決、識量過人。見隋室方亂、陰有安天下之志。與晉陽宮監裴寂・晉陽令劉文靜相結。

唐の高祖、神堯皇帝(しんぎょうこうてい)、姓は李氏、名は淵。隴西(ろうせい)成紀の人なり。西涼の武昭王(こう)の後(のち)なり。祖の虎(こ)、西魏に仕えて功有り。隴西公(ろうせいこう)に封ぜらる。父の(へい)、周の世に於いて唐公に封ぜらる。淵、爵を襲(つ)ぐ。隋の煬帝、淵を以って弘化の留守(りゅうしゅ)と為す。衆を御すること寛簡(かんかん)なり。人多く之に附く。煬帝、淵の相表奇異にして名、図讖(としん)に応ずるを以って之を忌む。淵懼れ、酒を縦(ほしいまま)にし賂(まいない)を納(い)れて以って自ら晦(くら)ます。天下盗起こる。淵を以って山西・河東の撫慰大使と為す。制を承けて黜捗(ちゅっちょく)し、群盗を討捕(とうほ)して多く捷(か)つ。突厥、辺に寇(あだ)す。淵に詔(みことのり)して之を撃たしむ。淵の次子世民、聡明勇決にして、識量人に過ぐ。隋室の方(まさ)に乱るるを見て、陰(ひそか)に天下を安んずるの志有り。晋陽の宮監(きゅうかん) 裴寂(はいせき)・晋陽の令劉文静(りゅうぶんせい)と相結ぶ。

寛簡 ゆるやかで簡素。 相表 人相。 留守 天子が行幸や遠征に出た間、代って都を守る。 図讖 預言書、「深水、黄楊を歿す」とあった。深水は淵に付会し、楊は隋帝に付会する。 黜捗 黜は退ける、捗は登用すること。 宮監 離宮の監督。 

唐の高祖、神堯皇帝、姓は李氏、名は淵。隴西成紀の人である。西涼の武昭王李の後裔である。祖父の李虎は西魏に仕えて功績をあげ、隴西公に封じられ、父の李は北周のとき唐公に封じられた。李淵はその爵位を嗣いだ。
隋の煬帝が淵を弘化郡の留守の役にしたところ、部下の統率にあたって、寛大で細かいことを追求しなかったので、多くの人が附き慕った。煬帝は李淵の相が非凡であり、さらに名が預言書と符合していたので、忌み嫌った。淵は誅伐されることを恐れ、酒浸りになったり、賄賂を受け入れたりして凡庸をよそおった。
天下に群盗が蜂起した。煬帝は李淵を山西・河東の撫慰大使に任命した。李淵は慎重に官吏の任免にも煬帝の決裁をあおいだ。そして次々に群盗を討伐していった。その後突厥が辺境を侵略してきたときも李淵に討伐の詔勅が下った。
ところで淵の次男の世民は聡明で、勇気と決断に富み、識見と度量ともに人に優れていた。隋の皇室が乱れているのを見るにつけ、天下を泰平にしようとする志を強くした。そして晋陽の離宮監督官の裴寂と晋陽の長官の劉文静の二人と誼(よしみ)を通じた。


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