東魏遣慕容紹宗撃景。景敗南走、襲梁壽春、據之請命。梁就以爲南豫州牧。既而東魏求成於梁。意欲得景。景恨梁通東魏、遂反於壽陽、引兵南渡、圍建康。梁主自即位以來、江左久無事。惟崇佛法、屢捨身佛寺。上下化之。及景逼臺城、援兵至者、爲景所敗。梁主遣人與景盟、以爲大丞相。臺城受圍、五月而陥。景入見。引就三公位。梁主神色不變。謂景曰、卿在軍中久。毋乃爲勞。景不敢仰視。流汗不能對。
東魏、慕容紹宗を遣わして景を撃たしむ。景敗れて南に走り、梁の寿春を襲うて、之に拠(よ)って命を請う。梁、就(つ)いて以って南予州の牧と為す。既にして東魏、成(たいらぎ)を梁に求む。意、景を得んと欲するなり。景、梁の東魏に通ぜしを恨み、遂に寿陽に反し、兵を引いて南に渡り、建康を囲む。梁主、位に即いてより以来、江左(こうさ)久しく無事なり。惟仏法を崇(たっと)び、しばしば身を仏寺に捨つ。上下(しょうか)之に化す。景の台城に逼(せま)るに及び、援兵の至る者、景の敗(やぶ)る所となる。梁主、人を遣わして景を盟(ちか)わしめ、以って大丞相と為す。台城囲みを受くること五月にして陥る。景入って見(まみ)ゆ。引いて三公の位に就(つ)かしむ。梁主、神色変ぜず。景に謂って曰く、「卿、軍中に在ること久し。乃(すなわ)ち労を為すこと毋(なか)らんや」と。景、敢えて仰ぎ視ず。汗を流して、対(こた)うる能(あた)わず。
寿春 今の安徽省の地。 成 和議。 寿陽 寿春におなじ。 江左 江東の地。 台城 宮城。 毋らんや 反語、いやあったであろうの意。
東魏は慕容紹宗を派遣して侯景を撃たせた。侯景は敗れて南に逃げ、梁の寿春の不意をつき、立て籠もったうえで梁にこの地の長官に任命することを要求した。言われるままに梁は侯景を南予州の牧に任命した。やがて東魏は、梁に和議を申し入れた。その意図するところは侯景の引渡しにあった。侯景は梁と東魏が通じたことを根にもって、遂に寿陽で謀叛し、兵を率いて江南に渡り、建康を囲んだ。
梁は武帝が即位してから、平穏無事であり、帝はひたすら仏法をあがめ、しばしば仏寺に籠り捨身の行をしたので、民衆までも徳化されていた。侯景が宮城に逼ると、援軍はことごとく打ち破られてしまった。武帝はやむなく使者を遣わして、侯景に大丞相の地位を約して和議を結んだ。宮城が包囲を受けて五ヶ月にして陥落した。侯景が宮城に入って謁見すると、武帝は侯景を引き入れ、三公の位に就かせた。この時の武帝の様子は泰然として、侯景に向かって「卿も久しく軍中にあってさぞ疲れたことであろう」とねぎらいの言葉さえかけた。侯景は恐れいって顔も上げられず、汗を流して一言も返すことができなかった。
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