一ヶ月余りご無沙汰しましたが、11月4日退院して今日初めての外来検診に行って来ました。
秦の一失、尚存す。
地節三年(前67年)、路温舒上書言、秦有十失。其一尚存。治獄之吏是也。俗語曰、畫地爲獄、議不入、刻木爲吏、期不對。此悲痛辭。願省法制、寛刑罪、則太平可興。上爲置廷尉平。獄刑號爲平矣。
膠東相王成、勞來不怠、治有異績。賜爵關内侯。
魏相爲丞相、丙吉爲御史大夫。
地節三年、路温舒(ろおんじょ) 上書して言う、秦に十失有り。其の一尚存す。治獄(ちごく)の吏是なり。俗語に曰く、地を画(かく)して獄と為すも、入らざらんことを議し、木を刻して吏と為すも、対せざらんことを期す、と。此れ悲痛の辞なり。願わくは法制を省き、刑罪(けいざい)を寛(ゆる)うせば、則ち太平興(おこ)す可し、と。上、為に廷尉平(ていいへい)を置く。獄刑(ごくけい)、号して平と為す。
膠東(こうとう)の相、王成、労来(ろうらい)して怠らず、治に異績(いせき)あり。爵、関内侯を賜う。
魏相丞相(じょうしょう)と為り、丙吉、御史大夫と為る。
地節三年(前67年)に路温舒が上書して言うには「秦には誤りが十有りました。しかしその一つは今なお残っております。それは罪をさばく役人の苛酷さであります。世間でも、地面に線を引いてここが獄だと言えば、その中に入るまいと思うし、木を刻んでそれを獄吏だといえば、その前に立たないように注意する。と言っております。まことに悲痛なことばと言わざるを得ません。どうか法を簡略にし、刑を寛大にしていただきたい。そうすれば太平の風が興りましょう」と。天子はこれを取り上げて、廷尉平という官職を設けた。以後裁判が公平になったと称せられるようになった。
膠東王の宰相王成は、民を労わり恩恵をほどこし、著しい治績をあげたので関内侯の爵位を賜った。
魏相が丞相となって、丙吉が御史大夫となった。
議し 思いめぐらす。 労来 労者をいたわり恩恵をほどこして、慕って来させる。
秦の一失、尚存す。
地節三年(前67年)、路温舒上書言、秦有十失。其一尚存。治獄之吏是也。俗語曰、畫地爲獄、議不入、刻木爲吏、期不對。此悲痛辭。願省法制、寛刑罪、則太平可興。上爲置廷尉平。獄刑號爲平矣。
膠東相王成、勞來不怠、治有異績。賜爵關内侯。
魏相爲丞相、丙吉爲御史大夫。
地節三年、路温舒(ろおんじょ) 上書して言う、秦に十失有り。其の一尚存す。治獄(ちごく)の吏是なり。俗語に曰く、地を画(かく)して獄と為すも、入らざらんことを議し、木を刻して吏と為すも、対せざらんことを期す、と。此れ悲痛の辞なり。願わくは法制を省き、刑罪(けいざい)を寛(ゆる)うせば、則ち太平興(おこ)す可し、と。上、為に廷尉平(ていいへい)を置く。獄刑(ごくけい)、号して平と為す。
膠東(こうとう)の相、王成、労来(ろうらい)して怠らず、治に異績(いせき)あり。爵、関内侯を賜う。
魏相丞相(じょうしょう)と為り、丙吉、御史大夫と為る。
地節三年(前67年)に路温舒が上書して言うには「秦には誤りが十有りました。しかしその一つは今なお残っております。それは罪をさばく役人の苛酷さであります。世間でも、地面に線を引いてここが獄だと言えば、その中に入るまいと思うし、木を刻んでそれを獄吏だといえば、その前に立たないように注意する。と言っております。まことに悲痛なことばと言わざるを得ません。どうか法を簡略にし、刑を寛大にしていただきたい。そうすれば太平の風が興りましょう」と。天子はこれを取り上げて、廷尉平という官職を設けた。以後裁判が公平になったと称せられるようになった。
膠東王の宰相王成は、民を労わり恩恵をほどこし、著しい治績をあげたので関内侯の爵位を賜った。
魏相が丞相となって、丙吉が御史大夫となった。
議し 思いめぐらす。 労来 労者をいたわり恩恵をほどこして、慕って来させる。
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