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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 曹叡卒し司馬懿・曹爽政を輔く

2011-11-24 09:33:58 | 自由律俳句
魏主性好土功、先是既治許昌宮。後又作洛陽宮、徙長安鐘簴・橐駝・銅人・承露盤於洛陽。盤折聲聞數十里。銅人重不可致。乃大發銅、鑄銅人二、列坐於司馬門外、號曰翁仲。起土山於芳林園、植雜木善草、捕禽獸致其中。諫者皆不納。
魏主有疾。召司馬懿入朝、以曹爽爲大將軍。魏主叡殂。僭位十四年。改元者三、曰太和・青龍・景初。子芳立。是爲廢帝邵陵公。芳八歳即位。司馬懿・曹爽、受遺詔輔政。懿爲太傅。

魏主、性、土功を好む。是より先、既に許昌宮を治む。後又洛陽宮を作り、長安の鐘簴(しょうきょ)・橐駝(たくだ)・銅人・承露盤を洛陽に徙(うつ)す。盤折れて、声数十里に聞こゆ。銅人は重くして致す可からず。乃ち大いに銅を発し、銅人二を鋳(い)て、司馬門外に列坐せしめ、号して翁仲と曰う。土山を芳林園に起こし、雑木善草を植え、禽獣を捕えて其の中に致す。諫(いさ)むる者、皆納(い)れず。
魏主、疾(やまい)有り。司馬懿を召して、入朝せしめ、曹爽を以って大将軍と為す。魏主叡、殂(そ)す。僭位(せんい)十四年。改元する者(こと)三、太和・青龍・景初と曰う。子芳立つ。是を廃帝邵陵(しょうりょう)の公(れいこう)と為す。芳、八歳にして位に即く。司馬懿・曹爽、遺詔(いしょう)を受けて、政(まつりごと)を輔(たす)く。懿を太傅(たいふ)と為す。


土功 土工におなじ。 鐘簴 鐘と鐘釣り台。 橐駝 駱駝、銅人ともに始皇帝が鋳造したもの。 承露盤 露を受ける盤、漢の武帝が鋳造した。 殂 死ぬこと。 僭位 身分を越えて位に即くこと。 太傅 天子のもりやく。

魏の曹叡は生来土木造営を好み、以前許昌宮を修繕した。後に洛陽宮を造り、長安にあった鐘簴・橐駝・銅人・承露盤を洛陽に移そうとした。その時、承露盤が折れて、大きな音が数十里までも響きわたった。そして銅人は重くて運ぶことができなかったので、国中から銅を徴発して新たに銅人二体を鋳造して、洛陽の司馬門外に並べ翁仲と呼ばせた。また築山を芳林園に造らせ、さまざまな木や珍しい草を植え、鳥獣を捕えてその中に放った。諫言には一切耳を貸さなかった。その後、曹叡は病を得、司馬懿を召して朝廷に入れ、曹爽を大将軍にした。
やがて曹叡が亡くなった(239年)。帝位を僭称すること十四年、改元すること三度、太和・青龍・景初である。子の芳が立った。これが廃帝邵陵の公である。芳は八歳で位に即いた。司馬懿と曹爽が曹叡の遺言によって政治を補佐した。司馬懿は太傅となった。


十八史略 司徒王允、呂布をして董卓を刺殺せしむ。

2011-10-01 08:30:08 | 自由律俳句

司徒王允等、密謀誅卓。中郎將呂布、膂力過人。卓信愛之。嘗小失卓意。卓手戟擲布。布避得免。允結布爲内應。卓入朝、伏勇士於北掖門刺之。卓堕車大呼呂布。布曰、有詔討賊臣。應聲持矛、刺卓趣斬之。先是卓築塢于郿、積穀爲三十年儲。金銀・綺錦・奇玩、積如丘山。自云、事成據天下。不成守此以老。至是暴屍於市。卓素肥。吏爲大炷、置臍中然之。光達曙者數日。卓黨與兵犯闕、殺王允。呂布走。

司徒王允(おういん)等、密かに謀って卓を誅す。中郎将呂布(りょふ)、膂力(りょりょく)人に過ぐ。卓之を信愛す。嘗て少しく卓の意を失う。卓、手づから戟(ほこ)もて布に擲(なげう)つ。布避けて免(まぬか)るるを得たり。允、布に結んで内応を為さしむ。卓の入朝するとき、勇士を北掖門(ほくえきもん)に伏せて之を刺す。卓、車より墜ちて、大いに呂布を呼ぶ。布曰く、「詔(みことのり)有り賊臣を討つ」と。声に応じて矛を持ち、卓を刺し趣(すみや)かに之を斬る。是より先、卓、塢(お)を郿(び)に築き、穀を積んで三十年の儲(ちょ)を為す。金銀・綺錦・奇玩、積むこと丘山の如し。自ら云う「事成らば天下に拠(よ)らん。成らずんば此(これ)を守って以って老いん」と。是(ここ)に至って屍(し)を市に暴(さら)す。卓、素(もと)より肥えたり。吏、大炷(だいしゅ)を為(つく)って、臍中(せいちゅう)に置いて之を然(や)く。光、曙に達する者(こと)数日なり。卓の党、兵を挙げて闕(けつ)を犯し、王允を殺す。呂布走る。

膂力 筋力、腕力。 北掖門 正門の脇にある小門。 趣 おもむきの他に速やか、取る、の意がある。 塢 堤、土塀。 郿 郿県。 儲 貯え。 大炷 大きい灯心。 闕 宮殿。

司徒王允らは、密かに共謀して董卓を誅殺した。
中郎将の呂布は、力が人並みはずれてすぐれ、董卓は呂布を信愛していた。
ある時、呂布は些細なことで董卓の怒りにふれ卓が手ずから戟を投げつけたが、辛うじて身を躱して事なきを得たことがあった。これを知った王允は呂布を引き入れて内応させ、董卓が参内する時をねらって勇士を北の小門に潜ませて、董卓を刺させた。卓は車から落ちながら、大声で呂布を呼んだ。呂布は「詔である。賊臣を討つ」と言うなり、卓を刺し、間髪いれずに斬り殺した。
以前、董卓は郿県の領地に土塀を築き、三十年分の穀物を蓄え、金銀、綾錦、珍品の類を山のように積み上げ、「事が成れば天下をわが住処としよう。成らねばここで老いを送ろう」と言っていたが、ここに至って屍を市中にさらす結果となった。卓は平素から太っていた。役人が大きな灯心をへそに付き立てて、脂肪をもやしたところ、朝まで燃え続けること数日に及んだ。その後董卓の残党が兵を起こして宮城に攻め入り、王允を殺した。呂布は逃れ去った。


十八史略 乱世の姦雄

2011-09-24 09:42:05 | 自由律俳句
黄巾の賊起こる
鉅鹿張角、以妖術教授。號太平道。符水療病。遣弟子遊四方、轉相誑誘。十餘年徒衆數十萬。置三十六方。大方萬餘、小方六七千、各立渠帥。一時倶起。皆著黄巾所在燔劫、旬月之、天下響應。遣皇甫嵩等討黄巾。
嵩與沛國曹操、合軍破賊。操父嵩、爲宦者曹騰養子。或云、夏侯氏子也。操少機警、有權數。任侠放蕩、不治行業。汝南許劭、與従兄靖有高名。共覈論郷黨人物。毎月輒更其題品。故汝南俗有月旦評。操往問劭曰、我何如人。劭不答。劫之。乃曰、子治世之能臣、亂世之姦雄。操喜而去。至是以討賊起。
皇甫嵩討張角。角死。嵩與其弟戰、破斬之。

鉅鹿(きょろく)の張角、妖術を以って教授す。太平道と号す。符水(ふすい)を以って病を療す。弟子を遣わして、四方に遊ばしめ、転(うたた)相誑誘(きょうゆう)す。十余年間に徒衆数十万あり、三十六方を置く。大方は万余、小方は六七千、各々渠帥(きょすい)を立つ。一時倶(とも)に起る。皆黄巾(こうきん)を著(つ)け、所在燔劫(はんきょう)す。旬月の間、天下響応す。皇甫嵩(こうほすう)等を遣わして黄巾を討たしむ。
嵩、沛国(はいこく)の曹操と軍を合わせて賊を破る。操の父嵩、宦者曹騰(そうとう)の養子と為る。或いは云う、夏侯氏の子也と。操少(わか)くして機警(きけい)、権数有り。任侠放蕩にして、行業(こうぎょう)を治めず。
汝南の許劭(きょしょう)、従兄の靖と高名有り。共に郷党の人物を覈論(かくろん)す。毎月輒(すなわ)ち其の題品を更(あらた)む。故に汝南の俗に月旦の評有り。操往(ゆ)いて劭に問うて曰く、「我は如何なる人ぞ」と。劭答えず。之を劫(おびやか)す。乃ち曰く、「子(し)は治世の能臣、乱世の姦雄なり」と。操喜んで去る。是(ここ)に至って賊を討つを以って起こる。
皇甫嵩、張角を討つ。角死す。嵩其の弟と戦い、破って之を斬る。


符水 護符神水。 転た はなはだしく。 誑誘 たぶらかして仲間にする。 三十六方 方は地区。 渠帥 首領、頭目。 所在 すみか。 燔劫 焼き討ち、掠奪。 機警 機をみるに聡いこと。 権数 権謀術数。 行業 生業。 覈論 評論。 月旦評 人物の批評、しなさだめ。 

鉅鹿の張角は、妖しい術を使って弟子に伝え、太平道と号して護符や神水をもって病気を癒すとした。弟子を四方に派遣して、つぎつぎに人をたぶらかして仲間に誘い、十四年間に数十万に達した。そこで三十六の区域に分け、大きい地区は一万余り、小さい地区は六、七千人を配置し、それぞれに頭目を置いた。中平元年甲子(184年)一斉に蜂起した。皆黄巾をつけて目印とし、その地域ごとに焼き討ち、掠奪を行い、ひと月ほどの間に呼応して天下にひろまった。朝廷では皇甫嵩らを派遣して黄巾の賊を討伐に向わせた。皇甫嵩は沛国の曹操と軍を合わせてこれを破った。
曹操の父は曹嵩といい宦者曹騰の養子となった。一説に夏侯氏の子とも言われる。曹操は若くして機をみるに敏、権謀術数に長けて、男気があり、放埓にして家業を顧みなかった。
汝南の許劭は従兄の靖とともに名声が高かった。二人で近郷の人物に論評を加えていた。毎月旦(はじめ)に題目ごとに各人の品定めをしていた。それで汝南では月旦評といってもてはやされた。曹操は許劭のもとに出向き、「私はどんな人物になっているのか」と問うと、劭ははじめ答えなかったが、脅すと言い渋りながら、「太平の世に在れば能吏、騒乱の世に在れば姦雄になる」と答えた。曹操は喜んで去った。これを機に黄巾の賊を討つの大義をかかげて兵を起こした。
皇甫嵩の討伐によって、張角は死に、つぎに弟の張梁と戦ってこれを斬った。

十八史略 漢代の官制

2011-07-07 10:58:43 | 自由律俳句
後漢の中央官制のあらまし
太傅 三公の上位にある。天子の教導が職務であるが、常置ではない。
三公 太尉  兵事、評価、賞罰を掌る。
         軍師、長史、司馬、主簿、参軍を従えた。
   司徒  人民の事を掌る。
            太尉に同じ
   司空  行政、監察、水土の事を掌る。
            太尉、司徒に同じ
 (ただし前漢では丞相、大司馬、御史大夫または大司馬・大司徒・大司空)
九卿 太 常 天子の宗廟の祭祀や礼楽を掌る。
       太史令、博士祭酒、太祝令、太宰令、大楽令、高廟令、世祖廟令、陵園       令、陵食官令を統括する。
   光禄勲 宮中の警護を掌る。
       五官中郎将、左、右中郎将、虎賁中郎将、羽林中郎将、羽林左監、右        監、奉車都尉、駙馬都尉、騎都尉、光禄大夫、太中大夫、諫議大夫、
       謁者僕射等を統括する。
   衛 尉 宮城防衛を掌る。
       公車司馬令、衛士令、北宮司馬、南宮司馬を統括する。
   太 僕 車馬・牧畜、鹵簿(天子の行幸)を掌る。
       典虞都尉、牧官都尉、考工令、車府令、典牧令、未央厩令を管轄。
   廷 尉 訴訟・刑罰を掌る。(前漢では大理)
       正監、左監、右監、律博士を統括する。
   大鴻臚 異民族の折衝を掌る。
       大行令、駅官令、客官令を統括する。
   宗 正 皇族の管理を掌る。
       都司空令、諸公主家令、諸公主門尉を統括する。
   大司農 銭穀、金帛、国家の財政を掌る。
       太倉(穀物管理)、均輸(供給)、平準(価格調整)、籍田(直轄地管理)
   少 府 帝室の実務財政を掌る。
       尚書令(宮中の文書を発行)
         尚書、左右尚書僕射、尚書左丞尚書右丞を統括した。
       侍中(天子の側仕え)
         中常侍、黄門侍郎を統括した。
       御史中丞(官吏の監察、弾劾)
         侍御史、殿中侍御史を統括した。
       郎中(朝廷文書の起草)
       太官令(天子の食事を管理)
       外に、守宮令、上林苑令、掖庭令、鉤盾令、侍郎などがある。

以上三公・九卿を公卿(こうけい)といった。
   尚書令 官吏を選任する、文書記録を掌る。次第に勢力を強めた
   侍御史 少府の下で、非法を察挙し、違失を弾劾する。
   侍中  君主の左右に侍し、顧問応対を掌る。
   虎賁中郎将 光禄勲の下で宮中警護の勇猛な兵。
   羽林左騎 虎賁、羽林と並び称された。宿衛の騎馬兵士。
   五官中郎将 光禄勲の下で諸殿門に宿衛する。
   将作大匠 宗廟、宮室、陵園の土木を掌る。
   大将軍、驃騎将軍、車騎将軍 三公に比すが常置ではなかった。
   司隷校尉 百官以下京師近郡の法を犯すものを察挙する。
   城門校尉 洛陽城門十二箇所を衛る。
   執金吾 宮門を警護する長官。

   刺史、太守 地方長官で、州に刺史、その下の郡に太守(郡守)が置かれた。

   なお不明の点は多いが詳細は専門書に拠って調べてください。

新ジャガとあじさい

2011-05-28 11:36:36 | 自由律俳句
昨日5月27日は旧海軍記念日でした。毎年この日になると遠い昔の感傷に浸るのです。中学3年の時、密かに憧れていたそのひとの誕生日だったのです。
成績はトップクラスのそのひとと、発育不全ででこぼこの坊主頭、新ジャガと女生徒たちにからかわれていた成績の悪い私、ただ一方通行の片思いでした。

例年になく早い入梅を迎えましたが、駅からの帰りに燕を見ました。中野通りの紫陽花も色をつけはじめていました。
永らく自由律俳句に遠ざかっていたのですが、先日図書館で齊藤師に出会ったので未熟ながら少しづつ掲せてみたいと思います。

曇天につばくろ高く低く
半世紀経っても色あせぬわたしのあじさい