黄覇卒。于定國爲丞相。定國父于公、初爲獄吏。東海有孝婦。寡居不嫁、以養其姑。姑以年老妨婦嫁、自經死。姑女告婦迫死其母。婦不能辯、自誣伏。于公爭之不能得。孝婦死。東海枯旱三年。後太守來。公言其故。太守祭孝婦冢。遂雨。于公治獄有陰。令高大門閭、容駟馬車曰、吾後世必有興者。子定國、以地節元年爲廷尉。朝廷稱之曰、張釋之爲廷尉、天下無寃民、于定國爲廷尉、民自以不寃。至是由御史大夫代覇。
黄覇卒す。于定國丞相と為る。定國の父于公、初め獄吏となる。東海に孝婦有り。寡居(かきょ)して嫁(か)せず、以って其の姑を養う。姑、年老いて婦の嫁を妨ぐるを以って、自經して死す。姑の女(むすめ)、婦迫って其の母を死せしむ、と告ぐ。婦、弁ずること能わず、自ら誣伏(ふふく)す。于公、之を争えども得ること能わず。孝婦死す。東海枯旱(こかん)すること三年。後の太守来る。公、其の故(ゆえ)を言う。太守、孝婦の冢(ちょう)を祭る。遂に雨ふる。于公、獄を治めて陰徳有り。門閭(もんりょ)を高大にし、駟馬(しば)の車を容(い)れしめて曰く、わが後世必ず興る者有らん、と。子定國、地節元年を以って廷尉と為る。朝廷、之を称して曰く、張釋之(ちょうせきし)廷尉と為って、天下寃民(えんみん)無く、于定國廷尉と為って、民みずから寃ならずと以(おも)う、と。是(ここ)に至って、御史大夫より覇に代る。
黄覇が亡くなり、于定國が丞相となった。定國の父の于公は、かつて東海郡の獄吏をしていたとき、郡のなかに孝行な嫁があった。夫に先立たれた後、再婚せず、姑の面倒をみていた。姑は自分が生き永らえば嫁が再婚できぬと考えて、自から首をくくってしまった。姑の娘が、「嫁が責めて殺しました」と告訴した。嫁は抗弁できずに、無実の罪を被ってしまった。于公はこの嫁を助けようと言い争ったがついに助けることができずに死刑に処せられてしまった。するとその後東海郡では三年間旱魃が続いた。新しい太守が来たとき、于公は異変の由来を語った。太守は孝婦の塚を丁重にまつり、霊を慰めたところ遂に雨が降ってきたのであった。このように于定國の父は人知れぬ陰徳があった。ある時、自分の家の門と、村の入り口の門を高く、大きくし四頭立ての馬車が通れるほどに造り直して、自分の子孫の中から必ず身を立てるものが出て来るであろう、と言った。果たして、子の定國が地節元年に廷尉となった。朝廷の人々は彼を称えて、「昔、張釋之が廷尉になって、天下に冤罪に苦しむ民がなくなった。今また、于定國が廷尉となって、民みずからが、冤罪であると思うことが無くなった」と言った。後に御史大夫に昇進し、黄覇が亡くなるにおよんで丞相となった。
黄覇卒す。于定國丞相と為る。定國の父于公、初め獄吏となる。東海に孝婦有り。寡居(かきょ)して嫁(か)せず、以って其の姑を養う。姑、年老いて婦の嫁を妨ぐるを以って、自經して死す。姑の女(むすめ)、婦迫って其の母を死せしむ、と告ぐ。婦、弁ずること能わず、自ら誣伏(ふふく)す。于公、之を争えども得ること能わず。孝婦死す。東海枯旱(こかん)すること三年。後の太守来る。公、其の故(ゆえ)を言う。太守、孝婦の冢(ちょう)を祭る。遂に雨ふる。于公、獄を治めて陰徳有り。門閭(もんりょ)を高大にし、駟馬(しば)の車を容(い)れしめて曰く、わが後世必ず興る者有らん、と。子定國、地節元年を以って廷尉と為る。朝廷、之を称して曰く、張釋之(ちょうせきし)廷尉と為って、天下寃民(えんみん)無く、于定國廷尉と為って、民みずから寃ならずと以(おも)う、と。是(ここ)に至って、御史大夫より覇に代る。
黄覇が亡くなり、于定國が丞相となった。定國の父の于公は、かつて東海郡の獄吏をしていたとき、郡のなかに孝行な嫁があった。夫に先立たれた後、再婚せず、姑の面倒をみていた。姑は自分が生き永らえば嫁が再婚できぬと考えて、自から首をくくってしまった。姑の娘が、「嫁が責めて殺しました」と告訴した。嫁は抗弁できずに、無実の罪を被ってしまった。于公はこの嫁を助けようと言い争ったがついに助けることができずに死刑に処せられてしまった。するとその後東海郡では三年間旱魃が続いた。新しい太守が来たとき、于公は異変の由来を語った。太守は孝婦の塚を丁重にまつり、霊を慰めたところ遂に雨が降ってきたのであった。このように于定國の父は人知れぬ陰徳があった。ある時、自分の家の門と、村の入り口の門を高く、大きくし四頭立ての馬車が通れるほどに造り直して、自分の子孫の中から必ず身を立てるものが出て来るであろう、と言った。果たして、子の定國が地節元年に廷尉となった。朝廷の人々は彼を称えて、「昔、張釋之が廷尉になって、天下に冤罪に苦しむ民がなくなった。今また、于定國が廷尉となって、民みずからが、冤罪であると思うことが無くなった」と言った。後に御史大夫に昇進し、黄覇が亡くなるにおよんで丞相となった。