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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 太宗即位す

2014-11-25 10:19:37 | 十八史略
后見晉王、愕然曰、吾母子之命、皆託官家。王曰、共保富貴。無憂也。王即位。更名。
秦王廷美尹開封。改封齊王。昭封武功郡王。
遣使分行州縣、廉察官吏、第其優劣。罷軟不勝任、惰慢不親事、免官。贓吏配者、遇赦不敍。大理評事陳舜封、奏事口捷、擧止類倡優。問誰氏子。對以父爲伶官。上曰伶、汝眞雜類。豈得任望官。改授殿直。陳洪進來朝、獻漳・泉二州。 呉越王錢俶來朝。遂獻其地。

后(こう)、晋王を見て愕然として曰く「吾が母子の命は、皆官家に託す」と。王曰く「共に富貴を保(ほ)せん、憂うる無かれ」と。王、位に即く。名を(こう)と更たむ。秦王廷美、開封に尹(いん)たり。改めて斉王に封ぜらる。徳昭、武功郡王に封ぜらる。
使いを遣わして州県に分行して官吏を廉察(れんさつ)し、其の優劣を第せしむ。罷軟(ひなん)にして任に勝(た)えず、惰慢(だまん)にして事を親(みず)からせざるは、官を免ず。
贓吏(ぞうり)にして配せらるる者は、赦に遇うも敍(じょ)せず。
大理評事陳舜封、事を奏するに口捷(はや)くして、挙止倡優(しょうゆう)に類す。問う「誰氏(たれし)の子ぞ」と。対(こた)うるに父伶官(れいかん)たるを以ってす。上曰く「汝は真に雑類なり、豈清望の官に任ずるを得んや」と。改めて殿直を授く。
陳洪進(ちんこうしん)来朝し、漳(しょう)・泉二州を献ず。呉越王銭俶(せんてき)来朝す。遂に其の地を献ず。


官家 天子。 廉察 廉は調べる。 第 等級。 罷軟 罷は疲弊、軟は軟弱。 贓吏 収賄した官吏。 配 配流。 赦 赦免。 大理評事 刑罰を掌った裁判官。 倡優 役者。 伶官 楽人。 清望 人物が高尚であるという評判。 殿直 殿中の宿直役。 漳(しょう)・泉二州 共に今の福建省の地。

皇后は太祖のもとに駆けつけると、徳芳ではなく晋王が居るのを見て愕然として「私たち親子の運命はすべて晋王にお任せします」と言った。晋王は「お二人共に富貴を保つようにいたします、ご心配には及びません」と言った。
晋王が位に即いた。後に名をと改めた。弟秦王の廷美は開封の長官とし、改めて斉王に封じ、太祖の長男の徳昭を武功郡王に封じた。
太宗は使者を遣わして州や県に行かせて官吏の治績を視察させ、その優劣によって等級をつけさせ、疲弊軟弱で任務にたえない者や怠慢で自分から仕事をしない者は免官させた。賄賂を取った官吏で流罪になった者は、大赦になっても再び任官しないことにした。
大理評事であった陳舜封という者がある事を奏上したが、早口で動作が役者のようであったので、帝が「その方は何者の子であるか」と問うと「私の父は楽人でございます」と答えると帝は「そなたはまことに下賤の者である。とても人の望む要職に就けておくことができようか」と言って、殿中の宿直役に貶めた。
陳洪進が来朝し、漳・泉二州を献じた。呉越王銭俶が来朝して、とうとうその地を献じた。


十八史略 伝位の定まること久し

2014-11-20 15:58:51 | 十八史略
伝位の定まること久し
太祖幸蜀。有布衣張齊賢、獻十策。召問賜食。且啗且對。太祖善其某策。齊賢固稱、餘策
皆善。太祖怒斥便出。既還語晉王曰、吾幸西都、得一張齊賢。吾不欲用之。他日留與汝作宰相。蓋傳位之定久矣。太祖不豫。后遣王繼恩召皇子芳。繼恩徑召晉王。王至宮中。散遣左右、所言皆不可得聞。但遥見燭影下、王有離席之状。既而上引柱斧戳地、大聲曰、好爲之。遂崩。

太祖蜀に幸(こう)す。布衣(ほい)張斉賢という者あり。十策を献ず。召し問うて食を賜う。且つ啗(くら)い且つ対(こた)う。太祖その某の策を善しとす。斉賢、固く称す「余の策も善し」と。太祖怒って斥けて便(すなわ)ち出す。既に還り晋王に語って曰く「吾、西都に幸して、一(いつ)の張斉賢を得たり。吾、之を用うるを欲せず。他日留めて汝に与えて宰相と作(な)さん」と。蓋(けだ)し伝位の定まること久し。
太祖不豫(ふよ)なり。后、王継恩を遣わして、皇子徳芳を召さしむ。継恩、径(ただ)ちに晋王を召す。王、宮中に至る。左右を散遣(さんけん)して、言う所皆聞くを得べからず。但遥かに燭影の下に、王の席を離るるの状有るを見るのみ。既にして上、柱斧(ちゅうふ)を引いて地を戳(さ)し、大声(たいせい)して曰く「好く之を為せよ」と。遂に崩ず。


蜀 洛の間違いか。 幸 行幸。 布衣 官職に就かない人。 西都 洛陽。 蓋し まさしく。 不豫 豫はよろこぶ、天子の病気。 徳芳 太祖の次男。 散遣 人払いする。 柱斧 天子の側らに置いた裁断の具。 戳 刺

太祖が洛陽に行幸の折、無官の張斉賢という者が十か条の策を献上した。その男を召し出して説明を求め、食事を賜った。斉賢は食事をしながら下問に答えた。太祖は十か条の内いくつかを善しとしたが、斉賢は他の策も良策であると主張した。太祖はむっとして下がれと命じて追い出してしまった。やがて都に帰り、晋王に「西都で張斉賢という者を見つけた、この者を用いようとはしなかったが、後日そなたが天子となったときに宰相に任命したらよかろう」と語った。まさしく伝位の意志はすでに固まっていた模様である。
太祖の病が重篤に陥ると、皇后は急いで王継恩に命じて皇子の徳芳を呼びに遣った。継恩は徳芳の許に行かず、晋王に注進した。晋王が駆けつけると、帝は左右の者を人払いして二人だけになると、その内容は聞くすべもなく、ただ蝋燭の明かりの下で晋王が席を離れる様子が見てとれるだけであった。まもなく帝は側らに置いた柱斧を取って突き立て、大声で「しっかりやれよ」と言い残して遂に亡くなった。


十八史略 龍行虎歩

2014-11-15 08:52:37 | 十八史略
龍行虎歩
太后呼趙普曰、趙書記共記吾言。不可違。因命普於榻前爲誓書。普署紙尾曰、臣普記。藏之金匱。太祖友愛篤至。晉王嘗寝疾灼艾。太祖亦自灸以分其痛。嘗曰、晉王龍行虎歩。且生時有異。佗日必作太平天子。非吾所能及也。

太后、趙普(ちょうふ)を呼んで曰く「趙書記よ共に吾が言を記せよ、違う可からず」と。因って普に命じて榻前(とうぜん)に於いて誓書を為らしむ。普、紙尾(しび)に書して曰く、臣普記(しる)す、と。これを金匱(きんき)に蔵(ぞう)す。
太祖、友愛篤く至る。晋王嘗て疾(やまい)に寝して灼艾(しゃくがい)す。太祖も亦自ら灸して以って其の痛みを分かつ。嘗て曰く「晋王は龍行虎歩す。且つ生まるる時異有り。佗日(たじつ)必ず太平の天子と作(な)らん。福徳は吾の能く及ぶ所に非ざるなり」と。


榻前 寝台の前。 金匱 金製の箱。 灼艾 お灸。 佗日 他日。

そこで昭憲皇太后は趙普を呼んで言った「趙書記よ今私が言ったことを書き遺しておきなさい。違ってはならぬぞよ」と。それで趙普に命じて寝台の前で誓書を記し、末尾に「臣普記す」と署名し、これを金の箱に納めた。
太祖は友愛にも篤かった。ある時次弟の晋王が病気になったとき治療に灸をすえた。太祖は自分も灸をすえて痛みを分かった。また或るとき、「晋王はその歩き方が、龍が行き、虎が歩くように堂々としている。その上、生まれたとき不思議な現象が起こった。後日きっと太平の天子となるであろう。晋王の福と徳はとても私の及ぶところではない」と言った。


十八史略 太后の遺言

2014-11-11 08:31:13 | 十八史略

太宗皇帝初名匡乂、太祖長弟也。太祖入京城、匡乂首請號令諸將、戢士卒。仍自於馬前戒摽掠。太祖受禪、乃改名光義。尹開封、同平章事。封晉王。建隆二年、昭憲杜太后、臨崩謂太祖曰、汝知所以得天下者乎。太祖曰、皆祖考與太后之餘慶。太后笑曰、不然。正由柴氏使幼兒主天下耳。汝萬歳後、當傳位晉王、晉王傳秦王、秦王位傳昭。國有長君、社稷之也。太祖曰、謹受教。

太宗皇帝初めの名は匡乂(きょうがい)、太祖の長弟なり。太祖京城に入るや、匡乂、首として諸将に号令し、士卒を戢(おさ)めんと請う。仍(よ)って自ら馬前に於いて摽掠(ひょうりゃく)を戒む。太祖、禅(ゆずり)を受けて乃ち名を光義と改む。開封に尹(いん)として、同平章事たり。晋王に封ぜらる。建隆二年、昭憲杜太后、崩ずるに臨んで太祖に謂って曰く「汝天下を得る所以(ゆえん)のものを知るか」と。太祖曰く「皆祖考と太后との余慶なり」と。太后笑って曰く「然らず。正に柴氏が幼児をして天下に主たらしめしに由るのみ。汝万歳の後、当(まさ)に位を晋王に伝え、晋王は秦王に伝え、秦王は以って徳昭に伝うべし。国に長君(ちょうくん)あるは社稷(しゃしょく)の福(さいわい)なり」と。太祖曰く「謹んで教えを受く」と。

匡乂 匡義の間違いという。 戢 治める。 摽掠 脅かすことと掠めとること。 尹 長官。 昭憲杜太后 太祖の母、昭憲は諡(おくりな)杜は姓。 祖考 ここでは亡父のこと。 柴氏 後周の姓。 万歳 貴人の死。 徳昭 太祖の子。 長君 年長の主君。 社稷 国家。

太宗皇帝は初めの名を匡乂(匡義)といい、太祖の一番上の弟である。太祖が汴京に入った時、真っ先に進み出て「私が諸将に号令して、士卒を取り締まりましょう」と請い、自ら太祖の馬前に出て「民を脅かしたり財産を掠め取ってはならぬ厳命した。太祖は、後周の恭帝から禅譲をを受けると名を光義と改め、開封の長官として、治安を維持し、同平章事として国政に参画し、晋王に封ぜられた。
建隆二年、昭憲杜太后が崩ずるに臨んで太祖に言った「そなたが天下を手に入れた訳を存じていられるか」と。太祖は曰く「皆祖考と太后との余慶なり」と。太后笑って曰く「然らず。正に柴氏が幼児をして天下に主たらしめしに由るのみ。汝万歳の後、当(まさ)に位を晋王に伝え、晋王は秦王に伝え、秦王は以って徳昭に伝うべし。国に長君(ちょうくん)あるは社稷(しゃしょく)の福(さいわい)なり」と。太祖曰く「謹んで教えを受く」と「亡き父上と母上の善行の余慶でございます」と答えると太后は笑って「いやそうではない周の世宗が幼児を天子にしたからに外ならない。そなたが亡きあとは弟の晋王に位を譲り、晋王はその弟の秦王に譲り、秦王に至ってそなたの子の徳昭に伝えなさい。国に年長の君主のあるのは国家にとっての幸いです」と遺言した。太祖は「謹んで教えを承りました」と言った。

十八史略 太祖の治績 3

2014-11-06 09:39:38 | 十八史略

有度民田不實者、或杖流之。諸州旱蝗、賑饑蠲祖、惟恐不及。擧行孝悌、親策制科擧人、放進士榜、嚴履試法、御殿親試進士。試書判抜萃、數幸國子監、詔天下求遺書。初用和峴所定雅樂、初行劉温叟所上開寶通禮二百巻。命宰執、日記時政、送吏館、撰日暦。制度典章、彬彬有條理。
太弟晉王立。是爲太宗皇帝。
 
、民田を度(はか)って実ならざる者有れば或いは之を杖流す。諸州に旱蝗(かんこう)あれば、饑(き)を賑わし租を蠲(のぞ)いて、惟だ及ばざるを恐る。徳行孝悌を挙げて、制科挙人を親策(しんさく)し、進士の榜(ぼう)を放ち、履試の法を厳にし、殿に御して進士を親試す。書判抜萃(ばっすい)を試み、しばしば国子監に幸し、天下に詔して遺書を求む。初めて和峴(わけん)が定むる所の雅楽を用い、初めて劉温叟(りゅうおんそう)が上(たてまつ)る所の開宝通礼二百巻を行う。宰執(さいひつ)に命じて、日に時政を記(しる)し、史館に送り、日歴(じつれき)を選ばしむ。制度典章、彬彬(ひんぴん)として條理有り。
 太弟(たいてい)晋王立つ。是を太宗皇帝と為す。


 地位の高い役人。 杖流 鞭打ちの刑と流刑。 旱蝗 旱魃といなごの害。 蠲 除く。 制科挙人 賢良・経学・吏理の三科に挙げられて資格を得た人。 親策 帝が自ら試験をすること、策は試験問題。 榜 立札。 履試 再試験。 殿 講武殿。 書判抜萃 書と文章の理路が整っている者を抜粋すること。 国子監 大学。 和峴 礼楽を司る太常寺の官人、後晋時代に失われた楽器、調律を復元した。 開宝通礼 礼儀、制度を詳述した書。 宰執 宰相で政治を執る者。 日暦 日記。 彬彬 実質と装飾が調和しているさま。

高官の中で、田地を測量して不正を働く者があれば、その者を杖罪に或いは流罪にした。諸州に旱魃やいなごの害があれば、飢えた者には食を給し、租税を免除して、ただ手落ちのあることを恐れた。また徳行のある者、親孝行な者、兄に従順な者を官吏に登用したり、帝親(みずか)ら挙人を試験したり、進士試験の及第者の姓名を木の札に書いて掲揚した。また再試験の規定を厳格にし、講武殿に出向き帝自身から試験問題を出したり、書・判が抜群の者を試験したりした。さらに国子監に出向いて視察したり、天下に詔を下して世に隠れた貴書を求めたりした。また初めて和峴が復元した雅楽を用い、劉温叟が上った開宝通礼二百巻を行った。宰相に命じて、毎日政治を記録させ、史館に送って日暦を編纂させた。こうして制度も儀式も整い形式と内容が調和して、條理整然としていた。
 帝の弟の晋王が後を継いだ。これが太宗皇帝という。