ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

行間逍遥

2017-06-20 19:26:07 | 日常
夜が明けたのに暗い。
海から霧が立ち込めているのか視界悪い。
相変わらず肌寒い。

それでも植物の葉が黄色く変色する程の冷え込みではないから
曇っていても鉢植えは外に出してやろう。
当地の夏は短いのだ。
あと2ヶ月でお盆が来る。
お盆過ぎたら秋である。

朝飯に何か作って食べよう。
先日牡蠣のクリームソースパスタのレトルトソースがワゴンで3割引きだった。
有名な料理人の監修だとかでお高いが3割引きだから味見してみようと思って買ってみた。
しかし私が食べる時点で多分別のものになってしまうけどな。
パスタを茹でながらオリブ油と大蒜と鷹の爪をフライパンで熱し、しめじを炒めた。
しめじに火が通ったら芯のあるうちにパスタを投入し、茹で汁を追加、硬めのところで
この有り難い有名料理人監修のパスタソースを絡め、余熱で馴染ませる。

ああ。
普通にウマいわ。
多分このパスタは本来ただ茹でてソースと混ぜるものであろうし他の人が調理したら違うものかも知れないけど、
いいわウマいから。

薄っすら日が差したりまた暗くなったりしている。
風も今日はあまり入って来ない。

不要な書類は大分片付いたんだけどな。
時々中断して下肢のストレッチと筋トレをする。
寒いと外にも行きたくないから。
仕事に潰れて自己管理ノートが中断したままだ。
また再開しよう。
体重が減ったって筋肉量が減ったのではダメだからなぁ。

・・・・・

なかなか片付かない。
一息入れる。

天気悪いとすぐ眠くなるから紅茶を濃く淹れた。
昨日記事に上げた2011年に期限の切れたカロリーメイトを茶菓子に紅茶飲んでいる。
この商品、新品でも口に入れると口の中の水分全部奪われる。
しかも6年では変質しないらしい。
個装パック恐るべし。
何年くらいで変質するのだろうか。
いや別に変質しなくてもいいけど。

ローカル列車の時刻表と地図に見入っている。
多分、今日は時刻表と地図を見て一日が終わる。
時々SNSも覗くが、時刻表と地図を見始めると多分その他の事はそっちのけになる。
昔とは比較にもならないほど列車の本数が減らされている。
JRの路線が減った分をバスが走ったりもしているが一日に2本とか3本とか、
これでは行ったら日帰りでは戻って来られないなぁ。

・・・・・

考える事がある。
頭で考えるのではなく。

・・・・・

SNSを覗いてお仲間の方々と文学の話をした。
受洗前はよく本を買って読んでいた。
常に新刊本をチェックして発売と同時に書店で手あたり次第に買って通勤の地下鉄で読み、
面白いと思ったものは古書店に売り、面白くなかったものは地下鉄のゴミ箱に投げ入れて帰宅した。
毎月の書籍代が馬鹿にできない出費だった。
そんな鼻をかんだ後のちり紙のように捨てる本を買うのに毎月万単位の出費をしていた時期もあった。
ネットという手段がない時代だったのでどうしても手に入れたい作家の本が絶版だったりすると
札幌市地図に赤ペンで古書店の住所に印をつけ、虱潰しに一軒一軒目的の本を探し歩いた。
そうやって買い集めた古本は四半世紀経った今もまだ手元に保管してある。
そうか、私が今SNSで対話している人々は若い世代だから
三島由紀夫も澁澤龍彦も中井英夫も名前しか知らなかったりする。

三島由紀夫は高校の時に愛読していた。
どれ読んでも平均的に面白くてハズレがなかった。
文庫本の『近代能楽集』を自習時間に読んでいたら自習監督の教師が寄って来て
「三島由紀夫はね、日本に戦争を起そうとしていたんだよ」と難癖つけて来た。
そうですか、だから何ですかと言って頁から目も上げずに読み続けていると教師は通り過ぎた。
鼻笑いが聞こえた。
可愛げのない高校生ではあったが今同じ難癖をつけられても同じ反応を自分はするだろう。
だから何だ。
本は面白ければよいのだ。

好きな作家を上げるのは難しいが小説はあまり読まない。
というか今は小説を全く読まない。

読んでいた時期もあった。
1980年代半ばから後半に読み耽った幻想文学の中で中井英夫のとらんぷ譚4作がある。
『とらんぷ譚』として1冊で出版されたのは私が読もうとした時は既に絶版希少本で手が届かなかった。
しかし札幌市内の古書店を足で探し回って一冊ずつ買い集め、4冊全て入手した。
面白かったので何十年も経った今も所持している。
特にその中の短い一編、「大望ある乗客」は本当に面白い。

澁澤龍彦は何がきっかけだったかシリーズのビブリオテカ、新編ビブリオテカを買い集め、読み耽った。
当時まだ澁澤龍彦は存命で、『唐草物語』で泉鏡花賞を受けていた。
古書店を回って黒緑色の『澁澤龍彦集成』を手に入れこれまた読み耽った。
ペンで小宇宙を展開する書き手に魅かれる。

25年以上前の受洗以降は聖書ばかり読むようになって新刊本を買い漁る事はしなくなった。
聖書が難解だと思ったのは最初の1回だけ、一度調べながら創世記から黙示録まで通読してしまうと
読むだけで精一杯だったのが大河ドラマか壮大な歴史小説を読むような読み方に変わった。
小説やマンガを読み耽るように聖書を始めから終わりまで味わい楽しむようになり
聖書の訳を変えて年に4回ほど通読した。
読んで考えるようになると年に1回、時間をゆくりかけるようになった。
それくらい面白い。

本は読んで楽しまないと。
天気がよくなったら押田成人師の本を1冊持ってまた出かけよう。

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