ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

目分量(閲覧注意)

2017-06-22 23:33:00 | 日常
昨日撮った写真画像が多過ぎてSNS2つ見ながら仕分けする途中で夕方早いうちに睡沈した。
本日土砂降りである。
まとまった休日があっても天候よくないので遠出する予定も無し。
朝食に昨日母から貰った野菜の煮物を食べる。

祖母が昔作った料理の殆どを私は憶えていない。
畑に行くと祖父が育てた野菜を採って来て調理していた。
必ず食卓にあったのが畑から採ったばかりのキャベツの千切りにただ醤油をかけたもの、
味噌汁の具も畑の野菜のいろいろ、ほうれん草の黒胡麻和え、茄子の味噌炒め、採ったばかりのトマト、
大根の葉と茎を塩揉みして刻んで納豆に混ぜたもの、白菜のお浸し、いんげんと馬鈴薯、人参の煮物。
祖父母の家には冷蔵庫というものが無かった。
台所に赤茶色の大甕と柄杓があり、必要な分を柄杓で盥に汲んで使った。
トマトや苺を冷やすにも大甕から盥に汲んだ水を使った。
野菜も果物も、あの時代に食べた味覚が基準になっているために今は何を食べても味気ない。

祖父母は貧しかった。
娯楽や趣味のような事をしているのを見た記憶がない。
祖父の畑仕事は自らの生活のためのものだった。
農家で生まれ育って身に沁みついた技能を自給自足のため生かしたのだった。
趣味といえば木材や竹籤を切り針金を編んで鳥小屋を作り、橙色のカナリヤを大勢飼っていた。
祖母は炊事と掃除、洗濯板で衣類を洗っていた姿しか憶えがない。
たまに仏壇から下げた菓子をくれた。
とりわけ黄色い「桃山」「黄な粉ねじり」「もろこし」などの駄菓子や蓬を練り込んだ草餅を喜んだ。
と言っても祖母はほんの少ししか食べなかった。
祖母の楽しみはそれくらいしかなかったのだろうか。
家の中でNHKのラジオをかけ流して祖父は終日畑仕事、祖母は家事をしていた。
ラジオは早朝の食事時の天気予報とラジ体操以外誰も聞いていなかった。
テレビもあったが当時独身だった末の叔母が歌番組を見る以外は電源が入っていなかった。
今思うと、祖父母の楽しみは何だったのだろう。
母は幼少の頃に祖父が尺八を吹いたと言うがその尺八は祖父から長年生活援助を受けた者が形見と称して
持って行ったと母は何十年も過ぎた今になっても怒っている。
現在尺八は誰が所持しているか知れない。
先日、その話をして母がまた怒り出したので私は物に執着しないようにとだけ言った。
母は何も反論しなかった。

私は祖父母の好きだった歌を知らない。
祖父母が歌を口ずさんだのを聞いた事もなかった。
何が好きで何が楽しみだったのかも知らない。
そんなものとは無縁の、食べて寝るだけが精一杯の一生涯だったに違いない。

祖父は昔の蒸気機関車の時代の国鉄で何処かの田舎の駅長も勤めた人だった。
長男だった祖父には弟達が3人おり、弟の一人は結婚して妻子がありながら定職に就かず
子供を次々と設けて生活苦に陥ったのを長男だった祖父が生活費を援助した。
そのために祖母が男女6人の子供を養う家計のやりくりに苦しみ物陰で涙を流すのを
母は子供ながらに見て育ったと言う。
私の両親は円満ではなかった。
週末戻る実家は円満でない自らの家庭の不平不満の愚痴の捌け口にする事はなくひた隠しにしていた。
愚痴なんぞこぼしたら祖母が心配して苦労の上に更に気苦労を負わせる事になると思ったと母は言う。
週末になると母は私と妹を連れて祖母の代わりに井戸から大甕への水汲みや
醤油など重いものの買い出しをして祖母の家事労働の軽減を図っていた。
たまに「何か好きなもの買って」「これ何かの足しにして」と言って部屋の隅で母が祖母に
千円札を数枚強いて渡し、受け取った祖母が物陰で声を殺して泣くのを就学前だった私は見た。
母は私や妹に祖母を手伝えとは言わなかった。
小さいので返って邪魔になったであろう。
おばあちゃんを手伝ってあげなきゃ、おばあちゃんをいたわってあげなきゃと言葉と行動で
母は就学前の私と妹に見せていた。
食べながらそんな事を思い出す。

その時代から20年過ぎた頃に母は溜まった不満をぶちまけ、両親は離婚した。
心配する祖母が既にこの世になく、小さかった子供達も家を出た。
私は会社勤めしており妹も卒業して就職した直後だった。
定年した父と夫婦二人になる事が我慢ならなかったと母は言った。
世の多くの熟年夫婦同様、珍しくも何ともない図式である。
両親の離婚から30年経過しそれぞれが独居老人となって、3年前父が帰天した。
私は長く絶縁状態だった母との対話を一昨年の秋から再開した。

考えなければならない事がある。

・・・・・

今日こそ断捨離する。
まず溜まった書類数年分。
シュレッダーという機械は私の部屋には無い。
シュレッダー鋏なるもので個人名や個人情報の部分を部分的にジョキジョキと粉砕してから廃棄する。
時系列に整理してはあるものの、何年分も溜め込んだ己のだらしなさが恨めしい。

なかなか終わらないどころかまだ半分に達しない。

・・・・・

昼食にククレカレー中辛を湯煎で温めた。
高校時代の夏のキャンプでは持参するレトルトカレーをククレ派とボン派で争った。(懐
チンして熱々の麦飯にピザ用チーズを乗っけてククレカレーをかけ、
カレー粉と一味(ハウスのハバネロ入り大辛一味)をたっぷり投じて混ぜたら
全然違うものになった。
郷愁に浸る事は出来なかったがウマかった。

・・・・・

書類に埋もれて一日が終わろうとしている。
何か糧食を買って来よう。

雨は上がっている。


売れ残りの半額寿司でもないかと物色したが何も無く鮮魚コーナーで剥いたホヤとタコのまんまが半額だった。
いずれも自分では調理した事ないんだよなぁ。
タコのまんまは裏漉ししたり蒸したり色々と調理の手間が要る。
ホヤは母が酢ものにするのをたまに分けて貰って食べる。
これは皮を剥いてあるのだな。
母に調理の仕方を訊いて、自分で作れるようになろうと思うので買った。


電話して、母宅に行くと
「私、これからゆっくりテレビ見るんだったのに」
と文句言ったが、説明するのが余程めんどくさいのか
「いい。どれ、貸しなさい私がやるから」
て言って包丁を取り出した。
俎板は生臭くなるし洗う手間が勿体ないので使いたくないと言う。
「こういうものを調理する時はね、キッチンペ-パーとチラシ紙を敷いて切る、終わったら捨てる。」
調理の手順を記録するため写メを撮った。

グロいなぁ。
海洋生物というよりも何かの臓器みたいだ。


まず流水で静かに洗い、残っている砂を丁寧に洗い流す。
焦茶色の塊はホヤの肝臓。
旨味のある部位で乱暴に扱うと散ってしまうので静に流水で流す。


キッチンペーパーの上で水を切る。


一口大に切ってボウルへ。
 


全部切った。


酢を投入。
全体が浸って馴染む程度。


砂糖を投入する。

何gくらい入れるのかと訊くと一喝された。
「そんなの目分量に決まってるっしょ、何十年もやってるんだから目分量に決まってる。
 酢を何cc、砂糖を何gって、材料はぞれぞれ大きさも状態も一つ一つ違うんだから、
 一概に言えないんだわ、自分の舌の感覚で分量を決めるものだ。
 一滴味見してみて少し濃いめかなと思うくらいがちょうどいい。
 ホヤから水分が出るからどうしても薄くなる。」
目分量って。。。orz
そんなんじゃレシピ作れないではないか。

とりあえず母用に少し取り分けてからジプロックに入れて持ち帰った。
明日ちょうどいい具合に漬かったら食べよう。

あーあ。
書類ゴミ、残りを片づけないと。

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