ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

もっと人生を楽しんで

2012-12-20 00:53:58 | Weblog
ネットのお仲間や職場の諸先輩方から、あちこちの色々な人々から同じ事を言われる。
「もっと人生を楽しんで。」
認知症で要介護5の親を在宅で介護なんかしているから大変だなと。


人生を親の介護に捧げ過ぎているとか、
人生は自分のものなんだからとか
好き放題やって脳梗塞や糖尿病になってふてくされたり暴れる親なんかほっといて
自分の人生をもっと大事に、やりたい事やって楽しんでもっと幸せになるべきだとか、
親は親、自分の人生は自分のものなんだから、負担ばかりで一銭にもならない
親の在宅介護なんかやめて自分のやりたい事をした方がいいとか。


確かにもっともな事だ。
私でも同じ事をしてる人を見かけたら衝動的にそのように言うかも知れない。


ただね、面倒臭い嫌な問題と言うのは
向き合わずに背中を見せて逃げの体勢でいると何処までも追って来る。
だから向き合うしかないの。
そう思って重介護で認知症進んだ父親の介護と向き合ってはいるけど
周りの人々が心配するほどには私は自分の人生を親の介護に捧げてはいない。
自ら好き好んで自分の時間と手間隙を捧げているのではなく、
むしろ追い立てられて渋々やっている。
もし喜んで自発的にじじの介護をやってるならブログにグチグチ書く必要も無い。
逃げてもしつこく付き纏い何処までも執念深く追って来るから仕方なく、
やらねばならない事をやっている。
穴だらけのスカスカで金毟り取るばかりの癖にクソの役にも立たない介護と医療とに
自分の時間も手間隙体力全て吸い取られ、骨の髄までしゃぶられている気がする。
そのうちに出涸らしになるであろうよ。
既に腹も立たなくなった。


いつか親は寿命か疾病で死ぬであろうし、自分自身もやがて老いてくたびれ果て、
小汚くなって虫けらと同じく死ぬ。
いいじゃんそれで。
ダメなのかなそれじゃ。
元々人生が何か楽しげないいものか何かのようには思っていない。


皆が言うように、何かやりたい事とかあったかも知れないし
やりたくても断念してきた事なんかが私にもかつて何かあったかも知れない。
けどもう忘れた。
私自身が現に忘れたという事は優先順位が低かったのだな。
幸だ不幸だ言ったところで現実というのはそういうものだ。
それもまた人生だからな。


医療従事者でありながら言うのも何であるが、認知症高齢者を抱える家族にとっては
介護も医療も何ら力になってくれるような甘い期待の出来るものではない。
あって無きが如し。
毒にも薬にもなりません。


「もっと人生を楽しんで欲しい」とか「もっと幸せになって欲しい」とか、
色々な人達が全く同じ事を言ってくれる。
よほど不幸せに見えるんだろうな。
自分の生活時間取られてるからな。
かつてこの日記に書いたような食べ歩きとか砂の上で昼寝とか今は全くしなくなった。
散歩の時間すらない。
休日でも介護関係者と連絡や相談、日程の調整が入り、書類や経過記録を書き、
ヘルパー利用の支出を抑えるために自分の生活時間を注ぎ込んでいる。
そうしなければ介護の支出は膨れ上がるばかりだ。
幸か不幸かの尺度で測れば私という者は人の眼に不幸せなのかも知れない。
しかしね、人生楽しんでる人って実際そんなにいないと思うよ。
少なくとも私は日常ではお目にかかっていない。
そもそも「人生を楽しむ」「幸せになる」とはどういうものだ?
「幸せ」とは何を指して言うのかな。


今これ読んで下さっている貴方。
どうですか?幸せですか?好きな事して人生楽しんでいますか?