ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

顔見知り

2007-04-24 03:34:23 | 日常
知っているために感じる恐怖と
知らないために感じる恐怖がある。


顔見知りの人が亡くなった。
その訃報を聞いてから
私はずっと気分が悪かった。
何故なら私はその人を
快く思っていなかったからだ。


行きつけの珈琲店の常連客だった。
長年教育者として働いていた。
常連であるという理由なのか何なのか
よく分からなかったが
飼い犬を同伴してカウンターに座り、
時にこちらに話しかけてきて
長々と自慢話や今どきの若い者のなっとらん事を
延々と語っていた。
そのウナギ犬が構って貰いたがって
私の手を舐めたりするので不愉快だったのだ。


その『先生』の話は面白おかしい時もあり、
聞いてて疲れる時もあった。
しかし、
一日の終わりに行きつけの珈琲店で
年配の常連客が他愛もない自慢話に
閉店まで花咲かせているのは長閑で良かった。


人づてに聞いた。
昨年暮れに、
ノロウィルス騒ぎで病棟が急変続きで荒れ、
私が珈琲を飲むどころでなかった時期に、
その人は背部痛を覚えて受診した。
肺癌だった。
転移もあったと聞く。
ここ地元では
まともに治療出来る医師がいないという事で
東京の専門病院まで出向いて手術を受けた。
予想外に進行していて
当初の予定よりも大きく切除しなければならず
片方の肺を全摘した。
肋骨も数本切除し、
上半身の片側が空洞になった。


術後のボディイメージに、
本人がひどいショックを受けたのは間違いない。
しかも片肺の呼吸は慣れるまで息苦しい。
抜糸まで半月以上かかったが
東京の病院にいる事自体が
その人にとって耐えられなくなってしまった。
食事を受け付けなくなった。
不眠が続いた事であろう。
抜糸の時に再び東京に行くつもりで
こちらに戻って来たという。


自宅でシャワーを浴び、
タオルで体を拭こうとして
患側の腕を反対側の肩に伸ばした時、
めりめりと音がして
鏡を見ると
みるみる傷が開いて中の肋骨が見えたという。


医療関係者でない人の話を聞いたので
何が起こったのか
最初私には全く理解出来なかった。
抜糸の後ならともかく、
術後半月も経って
まだ縫ったまま糸のついている縫合創が
開く筈がない。
糸をハサミで切らない限り、それはない。
話を聞くうちに理解出来た。
創が開いたのではなく
創の縫い目の所から皮膚が裂けたのだろう。
糸の力に負けるほど皮膚が弱っていたのか。
それほどまでの低栄養状態。
低栄養状態の皮膚は脆い。
熟れ過ぎた桃や柿の皮のようになってしまう。
栄養を補給して全身状態を改善してやらないと
小さいかすり傷から
私の腕1本がすっぽり入るほどの穴が出来たり
感染を生じて命取りになる。
手術後の傷の回復は栄養状態にかかっている。


裂けて臓器が露出したまま
その人は市内の病院に受診した。
状況を聞く限り、
皮膚を縫い閉じるのは不可能だった筈だ。
ぱっくり傷が開いたまま分厚くガーゼを当てるしかない。
栄養状態が改善されれば
縫わなくても
自然と健康な肉芽が盛り上がって
時間はかかっても
本来傷はひとりでに塞がってくれるのだ。
栄養状態さえ良かったら。


しかしその状態なら、
残った片側の肺も
水が溜まってきていたかも知れない。
痛みは鎮痛剤で抑える手があるが
呼吸苦は意識がある限り誤魔化しようがない。
それだけで
精神的にパニックになってしまう人もいる。
こんな時、喫煙している人は不利だ。
どうする事も出来ない。


今更だけど、
術後に本人が精神的に落ち込んだ段階で
誰かフォローしたのだろうか。


「でも大丈夫。
 片肺になっても
 こんな風に息をする訓練をすれば
 普通に生活出来ますよ。」とか


「ショックかも知れないけど
 今は傷が早く治るように
 よく眠ってよく食べて
 体力を回復する事だけ考えましょう。」とか


「しんどいのは今だけ。
 いずれは元の生活に戻れます。
 今はそれを目標にしましょう。」とか


ありきたりだが
そうやってひとつひとつ
本人の不安を取り除いて安心させていたら
少しは眠れたかも知れないし
食べたくなくても
家に帰りたい一心で何か食べてくれたかも知れないし
日々の治療に僅かでも意欲が湧いたかも知れない。
少なくとも
抜糸前に栄養不良の状態で
病院を出て帰宅する事はなかったのではないか。


聞いて以来、
考えなくても良い事ばかり考えている。


精神的ストレスによる衰弱から生じた低栄養状態で
創が哆開し、感染、全身状態の悪化、
呼吸不全。
どれもこれも
その人の辿ったどの段階も、
癌でなくても
どんな小さな病気からも起こりうる悪循環だ。
だからこそ
もっと早い時点で
防ぐ事が出来た筈だったのに。
まだ若い人が
肺癌でありながら
肺癌そのもので命を落としたのではないのだ。
やりきれない。


どんな気持ちがしただろう。
自分の背中が
めりめりと音をたててぱっくりと裂け、
鏡の中にむき出しの肋骨が見えた時。


自分が入院している間も、
その人が犬連れでいつも通りに自慢話をしながら
カウンターで
コーヒーを飲んでいるとばかり思っていた。

いわしのほっかぶり寿司

2007-04-24 01:44:23 | 
そば寿司のついでに
隣にあった折り詰めも買ってみた。
いわしのほっかぶり寿司とサーモン寿司の詰め合わせ。


サーモンは脂が乗ってる。
折り詰めにしてはまずくない。
いわしのほっかぶりは、
いわしに大根薄切りを被せて握ったもの。
悪くはない。


しかし、これらの折り詰め、
いずれも量に対して値段が高い。
実物を見て頂ければ誰でも思う筈。
売れる筈ないじゃん。
一般成人が空腹時に食べる一食としては
中途半端に少ない。
それでも1000近い値段である。
それで売れ残らないよう駅の仕入れは
少なく抑えているせいか、
看板だけあっていつも品切れ。
決して人気があって完売する訳ではない。

そば寿司 その2.

2007-04-24 01:42:45 | 
このそば寿司は
JR釧路駅の正面玄関入ってすぐの所にある
海産物屋に売ってる折り詰めのひとつ。
釧路独特の緑色のそばを使っている。
釧路市内で主流を占める緑色のそば。
クロレラか何かを練り込んで緑色している。
本店は明治時代の創業で
当時の天皇が来た時に立ち寄ったのが店の自慢らしい。
そこから暖簾分けした緑色のそばの店が
市内にたくさんある。
そば寿司はこの老舗の本店のメニューにある。
量が少なくて高い。


(しかし、
 この本店は激マズ。
 そばは茹で過ぎ、
 天ぷらは油臭く冷えており、
 コロモがぶわぶわしている。
 しかも値段がべらぼうに高くて量が少ない。
 創業当時の日本家屋で食べると別料金を取られるが
 汚れて擦り切れた畳、しかも個室でない。
 もし行くなら盛りそばだけにしといた方が無難。
 昔は美味かったらしいんだけどね。
 今はダメダメ。)


この緑色のそばは
殆どそばの味がしないので
そば好きにとっては邪道中の邪道。
それでもそば寿司にすると
食べられなくはない。
釧路の食いものとして
珍しいと思うのでUPしてみた。
真ん中には大根の薄切りとガリが入っている。

そば寿司 その1.

2007-04-24 01:40:59 | 
私がいつも食するN亭のそば寿司とは
このようなもの。
多分釧路にしかない、
そば通には邪道中の邪道。
しかし先入観捨てて食べてみると美味。
真ん中には刻みネギが入っている。


回転寿司のN亭の中では2番目に安い128円皿。


退院後の自宅療養中によく食べた。
朝飯を遅めに取って、
掃除とか片付けとか洗濯とかして、
入浴して昼抜きで午後の1時半から
病院リハビリまで徒歩5、6分、
自転車漕いでスクワットして、
右下肢の筋トレして、徒歩で帰宅途中に
N亭に立ち寄りテイクアウトした。
テイクアウトしない時は
この他にかっぱ巻きとごぼう巻きと野菜汁。
コンビに弁当よりも安上がり。