昨日は受難週の最後の晩餐の木曜日だった。
私は昨夜は掃除をしていて、
古いCDがあったので聴いてみた。
何年か前にCMでも使われた曲だ。
それを聴いた途端、
たくさんの人達の姿が目に甦って来た。
私にとって特別な人々だ。
その曲がテレビのCMでよく流れていた頃、
私は外科病棟で抗癌剤療法や
モルヒネ剤による疼痛コントロールを受ける人達を受け持って
仕事が終わって自宅に戻ってからも
多剤併用療法のマニュアルや薬剤の文献を読んでいた。
日勤が終わって帰宅した夜更けに
テレビから流れてくるその曲をぼんやり耳に聴きながら
病室の天井を眺めて眠れないであろう人達の
長い長い時間を考えた。
家に帰りたかっただろう。
病名を告知されてもされなくても
殆どの人が自分の病名を悟っていたと思う。
病名よりも
自分の死期が近い事は
私達よりも本人が誰よりも早く感知していた。
死期を悟ると
最後に誰かと食卓を囲みたくなるものなのだろうか。
終末が近づいて食べ物を受け付けなくなっているのに
唐突に「あれが食べたい」と訴えた人を何人も見た。
そして
そんな時彼らは必ず誰かに
一緒に食卓を囲んで食べて貰う事を切実に望んでいた。
ある40歳代の女性は思いをぶつける相手がなかったのか、
主任看護師の後をついて歩き、
泣きながら訴えていた。
「助けてください。
死にたくない。
私にはまだやり残した事がたくさんある。
子供達を残してどうして。
死にたくない。
私は今死ねないんです。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。」
それから間もなく、
その女性は泣かなくなった。
痛みが強くなってきていたので
モルヒネ剤も使い始めた。
手足がどんどん細くなって眼窩が落ち窪んできた。
出された食事も口に出来ない事が多くなっていった。
体を起こす事さえ難しくなった頃、
その人は訴えてきた。
「看護婦さん、
私、おそばが食べたいんだけど
だめかしら。
出前ここで取ってお友達と一緒に食べたいの。
だめかしら。」
胃癌の末期で三分粥でさえやっと飲み込んでいるのに
そばを食べるのは無理だと誰もが思った。
主治医は食べたい気持ちのあるうちに
好きな物を味わわせようと言った。
友人が持ち帰りでもりそばを病室に持ってきてくれた。
その女性は顔を輝かせて
仲の良い友達と二人でそばを三分の一も啜り、
満足した表情を浮かべていた。
その女性が最後の戦いを終えた時、
死後処置をしながら私は
その時の事を思い出し、考えていた。
一緒に食べてくれる家族も友達も
誰もいない、そんな人もいる。
それでも人は死期が近くなると
誰かと何か一緒に何かを食べたいものなのだろうか。
誰にも一緒に食卓を囲んで貰えない人は
時に主治医や受け持ち看護師にそれを望む事があった。
ある年配の女性は主治医を息子のように慕っていた。
肺癌末期で他にも余病がたくさんあった。
ある日、その人はヘルパーに千円札を握らせて
寿司折りを買って来て貰っていた。
「先生には本当にお世話になった。
今晩、先生にご馳走したい。
一緒に食べたいから。」
主治医はその夜当直だった。
きっと夕方病室に来てくれるだろうとその人は思っていた。
看護師はそれを主治医に伝え、主治医は「わかった」と言った。
その晩は急患もなく急変らしい急変もなかった。
夕食の配膳の時間になって
その人はベッドに起き上がって待っていた。
夕食の時間が過ぎても主治医が来ないので
看護師が何度か主治医を呼んだ。
主治医は「うん。後で行く」と答えた。
急患がなくても仕事は山積みなのだろう。
消灯近くなっても主治医は来なかった。
呼んでみたが連絡が取れなかった。
ヘルパーと看護師がその人を説得した。
「ごめんなさい。
先生は今夜は忙しくて来られないみたい。
○○さん、
お腹空いちゃったでしょ。
先生待たないでお寿司食べて。」
その人は頑として寿司に手をつけず、
とうとう消灯の時刻になってしまった。
その人は私達が正視できないほど
ぺしゃんこに沈み込んでしまった。
「私は食べられないから、
これ、あなた方で食べて頂戴。」
ヘルパーと看護師達は途方に暮れた。
それ以後、その人はものを食べる事はなく
話もしなくなった。
こちらから話しかけても諦めたようにふっと笑って
会話にならなかった。
病状は急斜面から転がり落ちるように悪化した。
「どうしてあんなひどい事をしたんですか。
○○さんはずっと待ってたんですよ。
最初から断わった方がましだった。
その方がまだ思いやりがあった。」
看護師達が口々に主治医を批判し、責めた。
後でベテランの看護師が言った。
「先生は来なかったんじゃなくて
来れなかったんだよ。
○○さんの家族は何年も殆ど来ないし
長い間ずっと先生先生って
息子みたいに頼りにされて慕われて
今この段階になって最後のお別れに
寿司折りなんか開かれたら
先生の方が泣けてきたんじゃないかな。」
昨夜、その曲を聴いていると、
あの人もこの人も、
死期が間近に迫った事を知った時に
一度だけ
誰かと何かを一緒に食べたがっていた事を思い出した。
誰かと一緒に食卓を囲んで貰えた人は
幸せそうに世を去っていった。
誰とも食卓を囲んで貰えないまま
ぽつんとうなだれて世を去っていった人達の姿は
今もちょっとした事で
当時耳にした歌なんかに誘発されて甦ってくる。
誰でもこの世を去る前には
誰かと一緒に「おいしいね」とか「ありがとう」と
分かち合いたいものなのだろうか。
主イエス・キリスト
あなたも
弟子達と一緒に食卓を囲む事を望まれました。
あなたは
彼らの長い長い夜を
誰よりも御存知です。
私は昨夜は掃除をしていて、
古いCDがあったので聴いてみた。
何年か前にCMでも使われた曲だ。
それを聴いた途端、
たくさんの人達の姿が目に甦って来た。
私にとって特別な人々だ。
その曲がテレビのCMでよく流れていた頃、
私は外科病棟で抗癌剤療法や
モルヒネ剤による疼痛コントロールを受ける人達を受け持って
仕事が終わって自宅に戻ってからも
多剤併用療法のマニュアルや薬剤の文献を読んでいた。
日勤が終わって帰宅した夜更けに
テレビから流れてくるその曲をぼんやり耳に聴きながら
病室の天井を眺めて眠れないであろう人達の
長い長い時間を考えた。
家に帰りたかっただろう。
病名を告知されてもされなくても
殆どの人が自分の病名を悟っていたと思う。
病名よりも
自分の死期が近い事は
私達よりも本人が誰よりも早く感知していた。
死期を悟ると
最後に誰かと食卓を囲みたくなるものなのだろうか。
終末が近づいて食べ物を受け付けなくなっているのに
唐突に「あれが食べたい」と訴えた人を何人も見た。
そして
そんな時彼らは必ず誰かに
一緒に食卓を囲んで食べて貰う事を切実に望んでいた。
ある40歳代の女性は思いをぶつける相手がなかったのか、
主任看護師の後をついて歩き、
泣きながら訴えていた。
「助けてください。
死にたくない。
私にはまだやり残した事がたくさんある。
子供達を残してどうして。
死にたくない。
私は今死ねないんです。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。」
それから間もなく、
その女性は泣かなくなった。
痛みが強くなってきていたので
モルヒネ剤も使い始めた。
手足がどんどん細くなって眼窩が落ち窪んできた。
出された食事も口に出来ない事が多くなっていった。
体を起こす事さえ難しくなった頃、
その人は訴えてきた。
「看護婦さん、
私、おそばが食べたいんだけど
だめかしら。
出前ここで取ってお友達と一緒に食べたいの。
だめかしら。」
胃癌の末期で三分粥でさえやっと飲み込んでいるのに
そばを食べるのは無理だと誰もが思った。
主治医は食べたい気持ちのあるうちに
好きな物を味わわせようと言った。
友人が持ち帰りでもりそばを病室に持ってきてくれた。
その女性は顔を輝かせて
仲の良い友達と二人でそばを三分の一も啜り、
満足した表情を浮かべていた。
その女性が最後の戦いを終えた時、
死後処置をしながら私は
その時の事を思い出し、考えていた。
一緒に食べてくれる家族も友達も
誰もいない、そんな人もいる。
それでも人は死期が近くなると
誰かと何か一緒に何かを食べたいものなのだろうか。
誰にも一緒に食卓を囲んで貰えない人は
時に主治医や受け持ち看護師にそれを望む事があった。
ある年配の女性は主治医を息子のように慕っていた。
肺癌末期で他にも余病がたくさんあった。
ある日、その人はヘルパーに千円札を握らせて
寿司折りを買って来て貰っていた。
「先生には本当にお世話になった。
今晩、先生にご馳走したい。
一緒に食べたいから。」
主治医はその夜当直だった。
きっと夕方病室に来てくれるだろうとその人は思っていた。
看護師はそれを主治医に伝え、主治医は「わかった」と言った。
その晩は急患もなく急変らしい急変もなかった。
夕食の配膳の時間になって
その人はベッドに起き上がって待っていた。
夕食の時間が過ぎても主治医が来ないので
看護師が何度か主治医を呼んだ。
主治医は「うん。後で行く」と答えた。
急患がなくても仕事は山積みなのだろう。
消灯近くなっても主治医は来なかった。
呼んでみたが連絡が取れなかった。
ヘルパーと看護師がその人を説得した。
「ごめんなさい。
先生は今夜は忙しくて来られないみたい。
○○さん、
お腹空いちゃったでしょ。
先生待たないでお寿司食べて。」
その人は頑として寿司に手をつけず、
とうとう消灯の時刻になってしまった。
その人は私達が正視できないほど
ぺしゃんこに沈み込んでしまった。
「私は食べられないから、
これ、あなた方で食べて頂戴。」
ヘルパーと看護師達は途方に暮れた。
それ以後、その人はものを食べる事はなく
話もしなくなった。
こちらから話しかけても諦めたようにふっと笑って
会話にならなかった。
病状は急斜面から転がり落ちるように悪化した。
「どうしてあんなひどい事をしたんですか。
○○さんはずっと待ってたんですよ。
最初から断わった方がましだった。
その方がまだ思いやりがあった。」
看護師達が口々に主治医を批判し、責めた。
後でベテランの看護師が言った。
「先生は来なかったんじゃなくて
来れなかったんだよ。
○○さんの家族は何年も殆ど来ないし
長い間ずっと先生先生って
息子みたいに頼りにされて慕われて
今この段階になって最後のお別れに
寿司折りなんか開かれたら
先生の方が泣けてきたんじゃないかな。」
昨夜、その曲を聴いていると、
あの人もこの人も、
死期が間近に迫った事を知った時に
一度だけ
誰かと何かを一緒に食べたがっていた事を思い出した。
誰かと一緒に食卓を囲んで貰えた人は
幸せそうに世を去っていった。
誰とも食卓を囲んで貰えないまま
ぽつんとうなだれて世を去っていった人達の姿は
今もちょっとした事で
当時耳にした歌なんかに誘発されて甦ってくる。
誰でもこの世を去る前には
誰かと一緒に「おいしいね」とか「ありがとう」と
分かち合いたいものなのだろうか。
主イエス・キリスト
あなたも
弟子達と一緒に食卓を囲む事を望まれました。
あなたは
彼らの長い長い夜を
誰よりも御存知です。