ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

最低最悪

2006-07-07 23:00:49 | 信仰
看護助手の時も3交替の夜勤があった。
夜勤明けには天気が良ければ
バスに乗って昔卒業した大学の礼拝堂に行った。
前夜は休憩する時間がなかった。空腹だ。
礼拝が始まるまで時間がある。
いつもは隅っこのベンチでいちゃいちゃする男女がいたり
二日酔いで潰れた学生が密かに熟睡していたりするが、
その日は誰もいなかったので
二階の隅のベンチで食ずに持ち帰った弁当を開いた。
夜勤の休憩のために作ったおむすびと卵焼きは硬く冷えて
米粒が砂利のようだ。
前夜の自分の仕事ぶりを思い返す。
「あの仕事はお前の最善だったか?」
耳元で誰かに言われた気がした。
いいえ。最悪でした。


脳外科で看護助手の仕事をするようになって以来、
私は教会絡みの人の集まる場所でいろんな人から
歯の浮くような言葉をかけられるようになった。
教会に集まる人々は何故か
「可哀想な人を救ってあげる」という話が好きだ。
「大変なお仕事ですねぇ」
「病める人々に尽くすなんて素晴らしい。
立派な証しになりますね。」
何だ?立派な証しって。何それ。
「シモの世話までするんですか。偉いですねぇ。
でもそんな時はやっぱりゴム手袋つけるんでしょ?
まさか素手でやらないですよね、そんな事。」
何がやっぱりだ。何がまさかだ。何がそんな事だ。
私は愛想笑いをしながらイライラしていた。


あなたも可哀想な人を救ってあげて
賞賛され感謝されたいですか。
でもあなたは臭いのと汚いのと醜いのは嫌いでしょ。
ゴム手袋なんて、
いちいちつけてたら患者さんの急場に間に合わなかったり
仕事にならない事くらい想像できませんか。
だから感染症を媒介しないために何度も何度も手を洗って
消毒して、手の皮も爪もぼろぼろなんだよ。
それよりあなたは自分が寝たきりになったら
ゴム手袋をつけた手で身体を触られたいですか?
正直ですね。
あなた今、聞きもしないのに言いましたね。
「私は大小便垂れ流して他人にシモの世話をされるくらいなら
死んだ方がましです」って。
あなた本当に正直だ。
私が毎日接してる患者さん達は皆、
あなたの目には死んだ方がましなんですか?。
そして毎度の事だけど、
話がどんどん見当違いな方角に脱線しますね。
「死んだ方がまし」から高尚な「尊厳死」にまで
話が一足飛びに飛躍しましたね。
凄い飛躍ですね。
今あなたが死んだ方がましと言った人々の苦しみで、
私は生活しているんですよ。
理解して貰いたいとも思ってませんけどね。
うんざりしてるんですよ。
教会がらみの人の集まりに行くと
必ずこの種類の会話をしたがる人が
毎度毎度私に近寄って話しかけてくるのは何故でしょう?
そうでした、あなたは自分の手を汚すの嫌いでしたね。
それならちょっと黙ったらどうですか。
実際に自分の手を他人の汚物で汚さなければ
わからない事だと思いませんか。


手を汚してもわからない者がここにいる。
ここで冷えた握り飯を噛んでいる。
前夜やたらとブザーを鳴らす人がいた。
ほとんど1分間隔で鳴らす。ブザーを握ったままなのだ。
「今は昼の3時かい、夜の3時かい。」
「夜の3時ですよ」
そう応えながら振り向くとその向かいのベッドの人が
鼻の管を抜いてくりくりくり…と捻って遊んでいた。
看護師が管を入れ直す間に、その人はまたブザーを鳴らした。
「オシッコ。」
トイレに連れて行き、便座に座らせて一歩廊下に出た途端、
またブザーを鳴らす。
「今何時?」
「4時。」
トイレが済んで病室に戻るとすぐにまたブザーを鳴らす。
「猫だ。猫がいる。」
猫は隣の人のベッドの下の尿瓶だった。
再び鳴らす。行って見るとベッドの横で棒立ちになっている。
「かっ…固まった」
すくんで動けないまま失禁していた。
身体を拭き、寝衣とシーツを換え、床を拭く。
他の病室からも1分間隔でブザーが鳴っている。
私達は採血の準備がまだ、記録がまだ、
今日までに作らなければならない次週の入浴予定表がまだ。
時間がどんどん飛んで行く。
焦っているとまたブザーが鳴った。あの人だった。
家族がずっと面会に来なくて寂しいのは分かってる、
分かってるけどもういい加減してくれ勘弁してくれ
今度は何なの。
内心苛立ちながら私は病室に走った。
「どうしたのっ」
その人はブザーを握ったまま言った。
「あんたにサンキューって言おうと思って。」
その時
あの人と私との間にはキリストが立っておられたと思う。
その人は私に「サンキュー」と言った。
虐げられた人が
虐げた者に向かって「サンキュー」と言った。
私は自分が大嫌いだ。むかむかする。
偽善者。
最低最悪。


看護助手が看護学生になって、
卒業後のお礼奉公が1年経たないうちに
生まれた土地に戻って来なければならなくなった。
当然転職。臨床1年目なんて何の経験もないのと同じ。
修行のつもりで救急病院の
外科と循環器内科の混合病棟に入った。
配属は外科。3交替。


ここでも私はまた同じ事をした。
前夜、午前0時過ぎに外科の末期癌の患者さんが亡くなった。
医師の臨終宣告、遺族への挨拶、死後処置を済ませる間に
まだ到着しない親族を待ちながら他の患者の業務もする。
他の病室の患者さん達からも頻繁にブザーで呼ばれる。
やっと遺族全員が集まり、
これで霊安室に誘導できるという時に、
循環器内科の患者さんが同僚の目の前で急変、
心肺停止した。
(後でわかったが心破裂だった。)
先輩が心肺蘇生する間に同僚は医師を呼び、
私は家族を電話で呼び出した。
循環器の医師が間もなく来た。
急変した人の家族にはすぐ連絡がついたので、
私の手が空くのを待っている遺族と遺体を
急いで霊安室に誘導しなければならない。
ストレッチャーを運んでいるとまたブザーが鳴った。
消灯からずっと眠らずにブザーを鳴らし続けている人だった。
「毛布をかけてくれ」「ちり紙を取ってくれ」
「尻を掻いてくれ」「今何時だ」「女房に電話してくれ」
「やっぱり毛布はどけてくれ」「ちり紙を床に落とした」
「寒いから毛布かけてくれ」「今何時だ」
動けない人ではない。
消灯になって妻が帰ってしまうと寂しいのだ。
彼はブザーを鳴らしても看護師がすぐ来ない事に苛立って
ブザーを握ったままずっと鳴らし続けていた。
私は彼のベッドサイドに走った。
「おい、背中掻いてくれよ。」
遺族が待っている。
結局言う通りにしたが、
手早くささっと掻いてもその人は満足しなかった。
「もっと丁寧にゆっくり掻いてくれ。」
「悪いけど今ゆっくり掻いてあげられない。
自分で掻けませんか。ほら、手が届きますよちゃんと。」
不満そうなその人を後に残して私は遺族の所へ走り、
霊安室に遺体を搬送し、走って病棟に戻り、
急変した人の処置に加わった。
急変した人は一度ICUに入り、
心臓外科のある病院に搬送された。


中断していた業務に戻り、
残務と後片付けが終わって外に出ると
午前1時に終わるはずの勤務は4時を過ぎていた。
帰宅して横になってみたが眠れなかった。
むかむかしていた。プロのする事じゃない。
他の患者が死んだ事も、別の患者が急変した事も、
あの人には何の関係もない。
あの人には
看護師に心よく背中を掻いて貰う当然の権利があった。
自分がその権利を無視した事を反芻していた。
私はこういう自分が大嫌いだ。
最低最悪。


午後になってぶらぶらと外を歩き、
近所のカトリック教会の聖堂に入った。
かつて考え事をする場所は母校の大学礼拝堂だったが、
この土地に移ってからは
よく近所のカトリックの聖堂にお邪魔して黙想・・というよりは
ぼーっとしていた。
ここは滅多に人を見かけない。
その日は神父様も留守番の女性も見かけず、
私はいつも通り聖堂のベンチに座った。
しばらく座っていると足腰がだるくなったので、そこを出た。
門の所に修道女が立っていた。
小柄でかなりの高齢だ。
挨拶をするとにこやかに話しかけてきた。
いつもはその時間帯に修道女を見かける事は殆どなかった。
その人に挨拶しながら思っていた。
今日に限ってどうしてこの人はここにいるのだろう。
「あなたはよくこうしてお祈りにいらしてますね。」
お祈り・・・お祈りというよりは・・・
何でその修道女に話す気が起きたのか、自分でもわからない。
しかし私は前夜の事をつい全部話してしまった。
自分がプロとして人間として最低な事も。
修道女は私に言った。
「あなたが悪かった失敗したと思えるのは、
まだ生きている証拠です。忙しさに埋もれて、
そんな事ぐらいどうでもいいと思うようになったら、
もうそれは死んだものです。
あなたは生きた看護をして下さい。」


その修道女はこうも言った。
「自分の身体に気をつけなさい。顔色が良くないですよ。
自分が健康でなければ、
他人の苦痛に目を向ける余裕がなくなります。
自分が疲れていると、心の看護が出来なくなります。」


キリストはすぐそばにいる、と思った。
キリストはすぐそばにいて、私をじっと見ている。

立派な証しって、何それ?

2006-07-07 12:55:35 | 信仰
晴佐久昌英著『恵みの時 病気になったら』
                サンマーク出版 2005年



「僕達キリスト教徒は、
死の苦しみの時にも主よアーメンとかハレルヤとか、
信仰深く立派な証しをしなければならないでしょうか。
僕は自信ありません。」
仕事が休みで夕礼拝に出ると、Bさんが話していた。
Bさんは肝臓の具合が悪くて、その少し前まで入院していた。
ある日、全身にひどい発疹が出て呼吸困難になった。
息を吸い込む事が出来なくて苦しんだという。
「死は必ずやって来ます。」
息が出来なくなった時、死を意識したのだろう。死の恐怖。


でも「立派な証し」って何だ?
私達にとって身近な作家の三浦綾子さんとか、
瞬きの詩人の水野源三さんとか、
或いは末期癌の臨終の苦しみの中で
「Oh…lord」という言葉を残して帰天した私達メノナイトの
バックウォルター宣教師みたいに、
皆を感動させるような、励ますような、
皆の信仰をさらに高めるような、
そんな立派な信仰深い闘病や
死に方に対する憧れがあるのだろうか。
いや、憧れというよりも
暗黙のプレッシャーが私達にはあるような気がする。
「信仰深い感動的な態度、表現、姿勢を
死の苦しみの時にあっても貫く」みたいな、
美化された闘病や臨終を「しなければならない」かのような、
あり得なく不自然で変なプレッシャー。
Bさんはその事を言っているのだと思う。
わかる気がする。


確かにあると思う。
本当に辛くて苦しくてのた打ち回るほどの時に限って、
入院している事も、何の病名で治療してるかも、今の病状も、
誰にも知られたくなかったりするし、
元気になるまで誰にも近寄られたくなかった事が
私にも実際ある。


例えば、
「私、今悪性の病気で借金があって貧乏で家族とも音信不通で
孤独ですけど、それでもこんなに
信仰の喜びに満ち溢れて喜んでます、
だっていつも喜んでいなさいって
聖書に書いてありますから♪」みたいに
取って付けたように尻上がり寿的な
予定調和的な喜びを演じて、皆の信仰を励ますような
かっこいい事を言わなければならないのに、
実はそれどころじゃない。
本当は痛くて苦しくて解決できない悩みもあって、
誰彼構わず罵って殴って暴れ回りたい、
そこら中の物をこっぱみじんに叩き割りたい、
けれどチクショー体が動かない、
家族友人みんな出て行け、
看護婦の嘘つき、医者の役立たず、
神様のバカヤロー、さあ殺せ、殺してくれぇぇぇぇぇぇぇ!
のような状態に、
自分がなってしまうかも知れない・・・という事。


これ何か変だ。何か変。
病気で辛い思いをしている人が、何で
立派な信仰態度を見せるべくプレッシャーをかけられて
病気の苦痛の上に
苦痛をさらに上乗せされなければならないのだ?



Bさんはある末期癌の人の
死に対する姿勢を知って励まされたという。
その人は言った。
「私は人々を感動させたり
勇気付けるような死に方は出来ないかも知れない。
惨めに苦しんで泣き言や恨み言を吐きながら
四転八倒して醜く死ぬかも知れない。
近くにいる人はあまりのひどさに目を背けるかも知れない。
しかし私は思う。
私の惨めな断末魔を見た人は、私の死後、
生きる事の意味を考えるだろう。
惨めな最期であればこそ、
私の死は誰かが生きる事の意味を問い、
死を迎える心構えの機会になるだろう。
立派な証しを出来なくても、
誰かが何か意味を見出すために役立つかも知れない。」


Bさんはその人の言葉によって
少し安心して死を迎えられそうだ、と言う。
そりゃまだ早すぎるってBさん。
「僕も死の間際に立派な証しを出来ないかも知れないけど、
誰かが生きる事と死ぬ事を考えるために
僕でも役立つかも知れない。」
聞いているうちに一粒の麦の例えを思い出した。
それを言うとBさんは、
「僕も最初そう思ったけど、
十字架に架けられたイエス様の死と僕なんかの死を
一緒にするなんておこがましいよ。」と言った。
おこがましくはないよ。命は全て主のものだから。
命を自分のものと思えば驕りになるけど、
命が全て主のものである以上は、
どんな死であってもそれだけの価値はあるはず。


人間が苦しんで苦しんで死ぬという、
そんな断末魔にその当時まだ私は出会っていなかった。
苦しんでいるうちはまだ生きている。
意識が途絶えて苦しまなくなってもまだ死は来ない。
生きたまま水袋のように膨れ上がり、
凄まじい勢いで組織が崩壊していく。
モニターの停止した瞬間に初めて、ああ、終わった、と思う。
一人の人間の人生が完結した瞬間、
その人にお疲れさま、最後までよくがんばったね、
と話しかけたくなる。
看護師や看護助手が死後処置をしながら
遺体にそう話しかける光景を何度も見た事がある。
そう話しかけたくなるのだ。誰でも。
「お疲れさま。」
たとえその遺体が熟れ過ぎて崩れた柿のようであっても、
骨に薄皮一枚貼り付けただけみたいに干乾びていても、
血と膿と吐物や排泄物に塗れていても、
悪臭を放つ巨大なカリフラワーに占領されていても、
思わず声をかけたくなるほど気高く厳粛なものだ。
「お疲れ様でした。大変でしたね。
最後までよくがんばりましたね。」


信仰の喜びに満ちた、平穏な死であれば幸いだと思う。
しかし心の悩みと肉体の苦痛に苛まれた惨めな死であっても、
実際その場に居合わせた者は必ず
生きる事と死ぬ事の意味を自分に問う。
目の前で見ると、問わずにいられない。
だからどんな死であっても
一粒の麦である事に変わりはないと思う。
おこがましくないよ、と私はBさんに言いかけたが、やめた。
Bさんとそれ以上死の話をしたくなかった。
血色の減退した、黄ばんだ顔を見ていると、
近いうちに現実のものになるような予感がしてくるから。
死は必ず来る。だからそれまでは生きる事を考えるのだ。


病気の時に皆を感動させるような
立派な証しをしようなんて考えてられるか?
だいたい立派な証しって何?
内心では大泣きしてるのに、
空々しく自分を飾っていられるか?
そんなカッコいいはずないじゃない。
何か変だよ。何か。


その夕礼拝からしばらくして、
ある日私はカトリック北11条教会の光明センターに行った。
私は日頃から永井隆さんやアントニー・デ・メロ師の本や
テゼのCDを買いにその店に行き、
修道士さん達とよく長い立ち話をしていた。
買った本を袋に入れて貰う間、
カウンターに積まれた薄い小冊子が目に入り、
何となく立ち読みした。
『信徒使徒職養成シリーズ5
 病人訪問 いやされるかかわり』
              (カトリック福音センター刊)
冒頭の詩に目が釘付けになった。
晴佐久昌英司祭の詩だった。


 病気になったら、どんどん泣こう
 痛くて眠れないといって泣き、
 手術がこわいといって涙ぐみ、
 死にたくないよといって、めそめそしよう
 恥も外聞もいらない
 いつものやせ我慢や見えっぱりをすて、
 かっこうわるく涙をこぼそう・・・


あ、これだ。
Bさんや私が引っかかってたあの「何か」は、この事だ。
ごめん。これも追加して下さい。
この詩大ヒットだよ、
私達が引っかかっていた問題に対する大ヒット。
私はそう言ってその店の修道士や店員さんに読んで貰ったが
「ふ~ん。」
何がそんなにヒットなのかはいまいち伝わらない様子だった。
教会に持って行ってBさんや皆に紹介した。
皆一様に「すごくいい詩だ、感動した」と賞賛するだけで
あまり解って貰えない気がした。
Bさんに至っては「あー。夕礼拝の時そんな話したっけねぇ」
それでもうこの話はやめ。


10年経って、今では
『病気になったら』の詩は皆に愛されて一冊の本になっている。