迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

「死を考えると寂しさ募る」 人生案内

2011年12月06日 | 人生案内
私が初めて死を意識したのは小学生の時だったと思います。
多分、10歳前後ではなかったか。
突然、家族の誰かが死んでしまうととても悲しくなる、と気付いたからでした。
みんなが悲しくならないようにするにはどうしたらいいのか。
小学生が一生懸命考えて出てきた結論は、
「家族みんなが一緒に死んでしまえば誰も悲しむ人はいない」
という、グッドアイディアでした。
家族みんなが一緒に死んでしまうという状況がどういうことなのかわからない小学生らしい発想ですが、それ以来死を意識することはなくなっていったように思います。

しかし、私も歳をとり毎年毎年命のローソクは確実に短くなっています。
そうなると自分のことだけでなく、家族を含めた死について考えることも出てくるようになりました。
考えてどうなることでもないので、すぐに忘れてしまうことなのですが、お悔やみ事があったりするとやはり思い出しては、の繰り返しです。

私は数年前、高熱で数日間寝込んだ時の、夢なのか現実なのかがわからない状態を覚えているので、多分死の瞬間は夢なのか現実なのかがわからない状態で死んでいくのだろうと思っています。
夢の中でお花畑に誘われた、とか故人に来るなといわれて思いとどまった、などのエピソードを聞くたび、私の想像は正しいと勝手に思い込んでいるので、死を恐れることはないのです。
が、突然の事故で夢を見る間もなく死んでいった場合、成仏できないのではないかと思うと、それだけが心配だったりするのであります。

そんなことを昨日の読売新聞の「人生案内」を読んで考えたのでした。
死を考えると寂しさ募る
 60代会社員男性。子どもはおらず、妻と2人暮らしです。経済的にも人間関係でも悩むことは一切ありませんが、時々、死について考え込んでしまうことがあります。
 今の会社には40年近く勤めており、仕事には充実感を持っています。65歳ぐらいまでは体力面でも能力面でも大丈夫という自信があります。
 ただ、周囲での不幸な死亡の話などを耳にすると、寂しい気持ちになって落ち込んでしまい、仕事のペースが少し落ちます。死について考える内容としては、自分はいつ頃どんな状況で死を迎えるのかとか、死の直前はどんな状態で、その時はどんな心境かなどです。
 こうした悩みは誰にも話したことはありませんし、仕事や娯楽をしているうちに、いつの間にか忘れています。だれでも多少、気持ちに波があるものだと言い聞かせてもいます。それでも心の整理がつきません。(岡山・S男)