迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

最小限の被害で済みました

2011年03月11日 | LIFE

北関東の我が家もかなり揺れました。
あまりに揺れが続くので外に出ましたがそれでも強い揺れが続き、「この世の終わりなのか」と思ったほどでした。
ご近所も外に出てきていて、揺れの大きさにただただびっくりしたのでした。

我が家の被害状況は、食器類が10個ほど割れたのと、植木鉢が10鉢ほど倒れた、そしてメダカの水槽から水がこぼれた(今年生まれたメダカを隔離していましたが、それが揺れによって水没してしまい、全て食べられてしまいました)、そして外壁の一部に亀裂が入った程度です。
その後、片付けもどうにか済ませました。

ご近所の被害状況は、瓦屋根の上部が壊れているお宅が何軒か見られ、買い物に出かける途中では大谷石の塀が倒れているところが3箇所ほどありました。

被災された皆様にお見舞い申し上げます。
一日も早い災害復興のために、一致団結していきましょう。

追記:なにかの参考になると思うので、もう少し詳しく当日のことを記録しておきます。
地震当時、テレビではNHKの国会中継をやっていました。
つまらない国会にテレビを消そうかと思ったのですが、なんとなくそのままにしていたのです。
大きな揺れがあった時、とっさのテレビの画面を見ました。
そこには東北を震源に「震度7」(もしかすると6だったかもしれません)の緊急地震警報が出されていて、ただ事ではないと悟ったのでした。
我が家では避難路の確保のため、地震があると外に出る、つまり玄関に移動するようにしているのですが、今回も当然のように玄関に移動。
いつもはドアを開けて外に出られるようにするだけなのですが、今日はそのまま外に出ました。
地震の揺れは激しさを増し、収まる気配を見せません。
ゴーっという地鳴りが続き、いつも見ている近所の景色が揺れ続けました。
もうただただふたり、家の前で抱き合っているだけでした。
家がつぶれるのではという思いもよぎりましたが、我が家は平屋なのでご近所の2階建てがつぶれるまでは大丈夫と思ったりしました。
そんなことを思いながらも揺れは収まらず、本当にこの世の終わりなのかも、この揺れは永遠に続くのではないのか、と思っていました。
お隣も家の外に出てきた頃にようやく地震が収まりました。
その時、雪がはらはらと落ちてきて、こんな時に雪が降るなんて「自然は容赦ないなー」って思いました。

その後はお隣の老夫婦に声を掛け、無事を確認してから我が家の実況見分をしました。
我が家の被害状況は、食器類が5個ほど割れたのと、植木鉢が10鉢ほど倒れました。
そしてメダカの水槽から水がこぼれ、今年生まれたメダカを別の容器に隔離していましたが、その容器が揺れによって水没してしまい、チビメダカは全て食べられてしまいました。
屋外を点検したところ、屋根には異常はなく、外壁の一部に亀裂が入ったのを確認した程度です。
それらの片づけをしながらテレビを見ると、津波に壊される家、押し寄せる津波の映像をただただ見守るだけでした。

近くに住む妹と連絡が取れ、停電しているとのこと。
義弟は出張中ということもあり、停電していない我が家で一晩過ごすことになった(その後、義弟が出張から帰るまで泊まっていた)。
妹と姪が来たが、家電製品のスイッチを切り忘れたというので、通常は10分ほどの距離を車で走らせる。
が、旧道との分岐から北側がの信号が停電で消えているためか、国道は大渋滞。
狭いので滅多に使わない裏道を使ってなんとか到着。
帰りはゴルフ場側の裏道を通るが、あちこちで建物や塀の被害が見られる。
余震が多くびくびくしながら、テレビの震災報道を見ながら不安な夜を過ごす。
都内に出掛けた母は、帰りの足がなく病院で一夜を明かすこととなった。