迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

八百長と米長理論(米長哲学)

2011年02月06日 | スポーツ
大相撲の八百長の対極にあるのが将棋界の米長理論(米長哲学、以下米長理論とします)だと思います。
将棋界の米長理論とは
『将棋の米長邦雄永世棋聖が、「一番大切な対局、これだけは負けられない勝負とは何だろう」と語ったことがある。タイトル戦でも、昇段のかかる一局でもないという、その勝敗が実は自分にはあまり影響がなく、しかし、対戦相手にとってはこの上なく重い意味をもつ一局であるとき、そういう勝負こそ全身全霊を傾けて勝たなくてはならないのだ』
というもの。
将棋というゲームは錯覚や勘違いが常につきまとい、七冠全てのタイトルを獲った羽生名人でさえも、1手詰めを見逃して負けたこともあるほど。
負けそうになっている相手も苦し紛れの勝負手を出して、なんとかトン死させてやろうと必死になっているから、錯覚やトン死で逆転負けをしても言い逃れがしやすい。
一方、大相撲では相手との阿吽の呼吸がなければ、ヤオの取り組みには不自然さを感じてしまうことがある。千秋楽、勝ち越しをかけた大関との対戦で、不自然な転び方をしたり、あっけなく土俵を割ったり。
そういえば花田兄弟の優勝決定戦も、兄の投げを弟がこらえることなくあっさりと勝負が決まっちゃったシーンが思い出されます。
でも、お茶の間の想いは、優勝回数の多い弟よりも兄に勝たせてあげたいということだったので、この取り組みが騒ぎになることもなかったわけです。
それくらい、温情相撲を受け入れる懐の深さを相撲ファンは持っていたのです。
それなのに、相撲協会は八百長記事を書いた週刊誌を訴えて、4千万円もの金を受け取ったのですから、その報いを受けたのでしょう。

それにしても、あの口の軽いへんな弁護士を座長にして調査をするんですね。
よくよくダメな組織なのがよくわかります。