迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

清武が輝いた日に思うこと (日本代表 3-0 韓国代表) 宇都宮徹壱

2011年08月11日 | スポーツ
サッカーの日韓選は結果だけを見れば3-0の快勝だったが、3点目を取ってからのミスの多さは今後の気がかりのように感じた。
韓国のシュートの精度が高ければ、接戦になっていた可能性さえあったはず。
しかし、スポーツニュースやネットの記事を読んでも、そのあたりの問題点について触れられているものがなかった。
で、いつものようにもっとも信頼しているコラムを読んでみると、両チームについての現状と課題がよくわかる。
興味のある方は記事を読んでもらうとして、スポーツニュースでは得点場面だけでなく、失点に結びつきそうな場面についても解説していただきたい。

なにはともあれ、松田選手に最高の勝利を捧げることができてよかったですね。

清武が輝いた日に思うこと 日本代表 3-0 韓国代表

2011年8月11日(木) 宇都宮徹壱
■新たなステージに突入した日韓戦
「日本のMFが強いことは認めるが、それに対する対策というものも十分に立ててきた。そして韓国のMFであるキム・ジョンウ、イ・ヨンレ、キ・ソンヨンは非常に呼吸も合っているし、素晴らしいプレーを見せてくれる選手たちだ。明日の中盤の戦いは決して押されることはないと信じている」

 前日会見での韓国代表チョ・グァンレ監督のコメントである。「アジアカップの韓日戦では中盤での戦いで勝負が分かれた。明日はどう予想するか?」という韓国人記者の質問に対して指揮官は、日本のMFの優位性を認めた上で、対策には抜かりがないことを強調している。何気ないやりとりのようにも見えるが、私としては韓国サッカーの変容ぶりが実感できて実に興味深く感じられた。

 ザッケローニが日本代表監督に就任して1年も経たないのに、すでにこれが3回目の日韓戦。しかも昨年はワールドカップ(W杯)前の2月と5月にも対戦しており、この2年で実に5回も日韓戦が行われることになる。ただしW杯を挟んで、それ以前の2試合とそれ以後の2試合とでは、韓国のサッカーの方向性に大きな変化が感じられる。それはすなわち、現監督のチョ・グァンレが韓国代表の方向性に大きな変化をもたらしているからにほかならない。従来のフィジカルとスピード、そしてサイドアタック重視から、中盤にタレントを配したパス主体のスタイルへの転換。これにより日韓戦のホットスポットは、サイドやバイタルエリアから中盤へと移行していくことになる。

 一方、ザッケローニも日韓両国の力関係について「地理的にも近いし、アジアではトップを走っている国同士。近年では、サッカーでも非常に進化していると思う」と語っている。そしてその証左として、昨年のW杯で両国ともベスト16進出を果たしたことと、ヨーロッパでプレーする選手の増加を挙げている。90年代後半以降、抜きつ抜かれつの関係を続けている両国だが、目指すサッカーの方向性が似てきたという意味でも、日韓戦は間違いなく、新たなステージに突入したと見てよいだろう。とはいえ、いくら世代が変わり、そしてヨーロッパでプレーする選手が増えても、やはり変わらないものはある。それは言うまでもない、「絶対に負けられない」という両者の強い闘争心だ。

■終わってみれば3-0で13年ぶりとなるホームでの勝利
 札幌ドームで代表戦が開催されるのは、08年8月20日以来、実に3年ぶりのこと。しかも今回は、U-22日本代表の試合とセットで行われるとあって、ドームのスタンドは第1試合の後半にはすでにほぼ満席状態であった。この日のスターティングメンバーは以下の通り。GK川島永嗣。DFは右から内田篤人、吉田麻也、今野泰幸、駒野友一。MFは守備的な位置に長谷部誠と遠藤保仁、攻撃的な位置に岡崎慎司、本田圭佑、香川真司。そして1トップに李忠成。6月のキリンカップで試した3-4-3ではなく、今回は慣れ親しんだ4-2-3-1で臨んだ。試合前、8月4日に34歳で亡くなった元日本代表の松田直樹さんへの黙とうがささげられてから、厳粛な空気の中でキックオフを迎えることとなった。

 試合内容については、まずは得点経過を中心に振り返ってみることにしたい。序盤、しっかり守備を固めて鋭いカウンターを繰り出す韓国の攻撃を耐え忍んだ日本は、前半25分を過ぎてから盛り返し、相手陣内で面白いようにパスがつながるようになる。そして35分、遠藤がイ・グノからボールを奪い、中央の李へ。このボールを李がヒールで流し、受けた香川がイ・ジョンスとキ・ソンヨンを巧みなボールコントロールでかわして、技ありのゴールを決める。今年1月のアジアカップ、対カタール戦以来となる香川のスーパーゴールにより、日本が待望の先制点をゲット。1点リードのままハーフタイムを迎える。

 日本の攻勢は、後半に入ってからも衰えることはなかった。8分には追加点。そのきっかけを作ったのは、久々のスタメン出場となった駒野であった。前半こそ、ク・ジャチョルとチャ・ドゥリのドリブル突破に苦しめられていたものの、後半は自ら積極的に仕掛けていき、相手DFの股(こ)間を抜いて自らシュート。いったんはGKチョン・ソンリョンがセーブするものの、これを逆サイドで拾った清武弘嗣(前半36分に岡崎に代わって出場)が折り返し、中央で待ち構えていた本田が左足ワンタッチでゴールに流し込む。

 さらにその2分後、本田のパスを受けた香川が右の清武にいったん預け、清武からのグラウンダーのラストパスを自ら走り込みながら右足ダイレクトでネットを揺らす。これで3-0。こうなると、もはや日本の勝利は揺るがないだろう。その後、日本が立て続けに主力選手をベンチに下げたこともあり、韓国に何度も押し込まれる展開が続くが、なぜか彼らのシュートはことごとく枠を超えてしまう。終盤は決して感心できる内容ではなかったものの、それでも必死で追いすがるライバルを辛うじていなし、失点ゼロでタイムアップ。終わってみれば3-0の圧倒的なスコアで、ホームでは13年ぶりとなる日韓戦勝利を果たした。

■誤算の連続で崩壊した韓国のディフェンスライン
「たくさんの声援を送ってくれたファンの皆さんにいい試合をお見せできなかったことをお詫び申し上げる。W杯アジア3次予選を目の前に控えている。その意味で、今日の試合はわたしたちのチームにとって、いい薬になったと思う」

 試合後の会見に臨んだチョ・グァンレ監督。「いい薬になったと思う」という言葉とは裏腹に、いつも以上に焦燥しきった様子であった。無理もない。アウエーの日韓戦に13年ぶりに敗れ、しかも0-3という屈辱的なスコアで日本に敗れたのだから(あとで知ったのだが、日本が韓国に3点差以上で勝利したのは1974年の日韓定期戦以来のこと。何と、57歳のチョ監督が代表デビューを果たす前年の話である)。

 では、韓国の指揮官が考える敗因とは何だったのか。会見での発言を聞く限り、以下の3点があったようだ。すなわち(1)当初想定していた選手が負傷やチーム事情により招集できなかったこと。(2)海外組の選手が試合勘を失ってしまっていたこと。(3)センターバックの選手が負傷のため相次いで交代してしまい、ディフェンスラインが混乱したこと。このうち(1)は当初から分かっていたことであり、(2)についてもある程度は想定していたフシが見られる。問題は、まったく予期できなかった(3)であろう。

 この日、センターバックに入っていたキム・ヨングォンは、大宮アルディージャに所属するJリーガーであり、韓国代表ではイ・ヨンピョの後継者として左サイドバックでの活躍が期待されていた。しかし、この試合では「守備ラインに不安があったので、そこを補う役割をしてもらう」(チョ監督)べく準備していたところ、前半25分で負傷退場。さらに代わって入ったパク・ウォンジェも、わずか12分のプレーで負傷退場を余儀なくされ、結果としてパク・チュホを投入したが「経験不足もあり、うまく守備ラインが機能しなかった」(同)。そこを日本の攻撃陣に突かれた、ということらしい。

 確かに、日本の反撃が始まったのがキム・ヨングォンの不在後であったことを考えれば、チョ監督のコメントもあながち間違っていないとは思う。また、今回招集を見送ったイ・チョンヨン(ボルトン)やチ・ドンウォン(サンダーランド)といった欧州組が合流していれば、さらに手ごわい相手になっていたことは間違いないだろう。だがそれ以前に、イ・ヨンピョやパク・チソンといった02年W杯の「4強戦士」の代表引退の穴を埋められていないことが、何より問題であったようにも思えてならない。

 この件についてチョ監督は明言していないが、今年1月のアジアカップ以降、韓国が後継者問題に苦しんでいるのは間違いなさそうだ。もともとスペインのようなパスサッカーを理想としていた同監督が、結局は中盤省略のパワープレーに活路を見いだそうとしていたことからも、今の韓国代表の苦悩を見る思いがする。いずれにせよ、前日会見の言葉通り、中盤での日韓の攻防があまり見られなかったことは、いささか残念ではある。

■「ポスト遠藤」への不安、そして清武への希望
 もっとも勝った日本についても、すべてにおいて手放しで喜べなかったことは留意すべきである。とりわけ、3点差としてからの日本は、集中力の欠如によるパスミスなどで相手に付け入る隙(すき)を与えてしまい、何度となく失点のピンチを招くこととなってしまった。幸い、相手のシュートミスと川島の好判断に救われたものの「いつもの韓国」であれば、かなり際どいゲーム展開になっていたはずだ。

 後半の日本がグダグダになってしまった理由としては、個人的には守備的MFの長谷部と遠藤の不在が大きかったように思える。ザッケローニ監督は、後半21分に長谷部に代えて阿部勇樹を、その7分後に遠藤を下げて家長昭博を投入している。おそらく指揮官としては、遠藤不在のシミュレーションとして家長を試したかったのだろう。しかしながら、その試みは失敗だったと言わざるを得ない。阿部と家長のコンビは、お互いの持ち味を出すにはあまりにも急造すぎて、何度となくピンチを招く要因となってしまった。後半40分、細貝萌が香川に代わってピッチに送り出され、家長が右サイドに回されたことを見ても、この試みは失敗に終わったと考えるのが妥当であろう。韓国がイ・ヨンピョやパク・チソンの穴を埋めきれないのと同様、日本もまた「ポスト遠藤」を見いだせずにいることは留意すべきである。

 とはいえ、この試合ではもちろん収穫もあった。香川の代表での復活もそうだし、今年になって初招集された駒野が、長友佑都の不在を補って余りある活躍を見せてくれたのも好材料である。だが何と言っても、この日の一番の発見は清武がA代表でも十分にその才能を発揮できたことだと思う。今回のメンバーでは最年少である21歳の若者が、ホームでの日韓戦という極めてテンションの高い試合で、初キャップながら見事に2アシストを披露してみせたのである。清武についてのザッケローニの認識は「サイドの選手」であり、現在のところ遠藤の後継者であるとは言い難い。それでも、清武の評価について尋ねられたザッケローニが「非常にうれしい」と語っていたからも、及第点以上を与えられたと見てよいだろう。ここにまた、新たな次代のヒーローが誕生した。

 最後に本稿を締めくくるにあたり、余談をひとつ。清武のA代表入りが発表された8月4日は、松田さんの早すぎる死が発表された日でもあった。私は残念ながら代表発表会見に出席できなかったのだが、当日のツイッターのタイムラインを見ると、松田さんの死を悼む声と清武の選出に驚く声とが同時に流れていたことに、ある種の宿命を感じてしまった。もちろん、1977年生まれで横浜F・マリノス一筋だった松田さんと、89年生まれで大分トリニータの下部組織で育った清武との間に、これといった具体的な接点はない。それでも、松田さんが亡くなった直後に、清武のA代表入りが発表され、その彼が「追悼試合」とも言えるゲームで初キャップを刻み、なおかつ大活躍したことに「それでもサッカーは続く」という言葉を思い浮かべたのは、私だけではないと思う。天に召された松田さんは、この日の日韓戦勝利に、果たしてどんな思いを抱いたのであろうか。
<了>

なでしこ国民栄誉賞 おめでとう

2011年08月02日 | スポーツ
とはいうものの、心からお祝いすることができなくて気の毒です。
大震災後、明るい話題のなかった日本国民の希望の光となったことは間違いないのですが、でも国民栄誉賞ってどうなのかなー。
表立って国民栄誉賞をやるなとは言いにくいから余計にそう感じるのかな。
せめて、オリンピック予選を勝ち抜いてからの受賞なら納得するけど、その頃までアレが総理をやっているとは思えないから仕方ないのかなー。

前にもつぶやいたことがあるけど、個人的には5000曲もの作詞をした阿久悠さんでさえ国民栄誉賞をもらってないのに、なんだかなーって感じです。

スタッフ含めて三十数人が対象なんですか。
得点王とMVP獲得の沢さんだけじゃダメだったのかな。

あまり知られていない宮間あや選手の裏話 【一筆多論】別府育郎 一人違う景色を見る力

2011年08月01日 | スポーツ
ワールドカップ決勝戦の優勝が決まった瞬間を選手の背後から撮った映像を見ると、一人だけPKを決めた熊谷選手に向かわず、左に歩き出す選手がいた。
それが宮間選手だった。
この人はどこに行くんだろう、という疑問が晴れたのは数日後、アメリカ選手が現地のテレビで語ったことによって知らされることになる。

なでしこの帰国後はメディアから引っ張りだこで、つまらない質問ばかりが飛び交っていたが、知られざるエピソードを取り上げたり、あまり知られていない試合の激しさなどが話題となることはほとんどなかった。
どちらかというとバラエティ枠の「とんねるず」の番組でゲーム中の話題に触れられたりしたこともあったが、その程度に終わってしまった。
結局、見るべき価値があったのはNHKの特番だけだったようだ。

それにしても、宮間選手はくだらない(失礼)テレビに出ることなく自分のスタイルを貫かれたのは立派でした。
【一筆多論】別府育郎 一人違う景色を見る力
 全員が同じ方向を向く組織は強い。一層の強さを求めるなら、誰か一人、違う景色を見ていると、さらにいい。「なでしこ」が米国に競り勝ったワールドカップ(W杯)の決勝戦を見て、そう思った。
 いつも一人、周囲と違う行動をとる選手がいた。黄金の紙吹雪が舞う中、W杯を手にする沢穂希ら選手、スタッフ、協会幹部たちが記念写真に納まろうとしたとき、カメラの前をVサインをしたまま笑顔で横切る選手がいた。宮間あやだった。
 延長戦を含めた120分を自らの1ゴール1アシストで引き分け、PK戦に向けて控え選手も含めた大きな円陣が組まれたとき、宮間はベンチで監督、コーチとともに、PKを蹴る順番を最終確認するホワイトボードを見つめていた。
 PK戦では1番手でGKの逆をつく緩いシュートを決め、「女ヤット」の愛称もなるほどと思わせた。「ヤット」こと男子代表、遠藤保仁の「コロコロ」と呼ばれる人を食ったようなPKを、W杯決勝の舞台で決める度胸のよさ。
 それだけではない。勝敗が決した瞬間、4人目のキッカー、熊谷紗希に向けて駆け出すチームメートに、背番号8は、くるりと背を向けた。宮間は歓喜の輪に加わらず、敗れた米国選手一人一人を抱擁していた。
 2月、ドーハで行われたアジア杯準決勝。韓国をPK戦で下した歓喜の輪に、遠藤の姿はなかった。京都時代の同僚で、これが最後の代表100試合目を飾れなかった朴智星を慰めていたためだ。宮間も、米国のリーグで活躍した経験を持つ。
 米国戦後半の同点弾も、不思議なゴールだった。角度を変えて繰り返されるビデオ映像に、スタンド最上段からのものがあった。右に開いた永里優季にパスが出たとき、宮間は左サイドのハーフライン近く、ゴールからは遠い位置にいた。
 何かを感じたのだろう。ゴール前へ長い距離を宮間は一直線に駆けた。永里のクロスに丸山桂里奈がつぶれ、米国DFのクリアが味方同士で交錯し、トップスピードで割って入る宮間の前にボールは浮いた。
 左足のアウトサイドでGKの逆をついてゴールを決めた宮間は駆け寄るレギュラー組を振り切り、控え選手の待つベンチへ駆けた。敗者を、控え選手を思いやる気持ちは、ピッチを広い視野で冷静に俯瞰(ふかん)する見事な司令塔ぶりにも通じた。試合後のインタビューでは、辛(つら)い時代を支えた代表OGの名を次々あげて感謝の言葉を継いだ。
 帰国後、テレビ各局をハシゴするイレブンの中に、彼女の姿はなかった。出演要請をすべて断り、「早く温泉に入りたいから」と所属クラブのある岡山に帰ってしまったのだという。岡山では「ただのフィーバーに終わらせないように地道な努力を続けたい」と語った。
 有名になった沢の、「苦しくなったら私の背中を見て」という言葉は、最初は宮間に向けて発せられたのだという。次代のリーダーを託す思いが込められた言葉でもあったのだろう。(論説委員)
2011.8.1 07:40 (MSN産経ニュース)

「あきらめない」結果がワールドカップ優勝

2011年07月18日 | スポーツ
早起きをして「なでしこジャパン」を応援したら、ワールドカップ優勝の瞬間を味わうというご褒美をいただきました。

前半15分までに3-0というスコアになっていてもおかしくないゲームでしたが、そこを無失点で乗り切り、後半はほぼ互角に戦えるようになりました。
点を取られても追いすがるというあきらめない姿勢は、われわれ日本人の心をゆさぶってくれました。

PK戦を前にして、佐々木監督の笑顔が見えたところで日本が勝ちそうな予感がしました。
体格、技術的に優れた相手に対して、臆することなく戦った「なでしこジャパン」あっぱれです。

サッカー日本代表を応援している「キリンビール」が100万円の報奨金を支給してくださるそうです。
また、「ほっともっと」は「なでしこジャパン」をCMに起用するそうですが、経済的に恵まれていない彼女たちをもっとCMに起用してあげてください。
「キリンビール」「ほっともっと」を贔屓にしますよ。

最後に「なでしこジャパン」ワールドカップ優勝おめでとうございます。

なでしこ快進撃 「早起きは三文の得」

2011年07月14日 | スポーツ
中学の英語で「The early bird catches the worm.」というのを習いました。
早起きの鳥は虫を捕まえる。転じて、早起きは三文の得。

今朝のなでしこジャパンの快進撃はまさに「早起きは三文の得」でした。
夏場は水分を多くとっているので夜中に目覚めてトイレに行きます。
なので、目覚ましをかけずに就寝。
目覚めてテレビをつけると、ニッポンピンチの声。
画面が映ると同時に失点という最悪のスタートです。
一瞬、このまま寝てしまおうかとも思いましたが、テレビの前で応援開始。
ボールもまわるし行けそうな予感がしているうちに同点ゴール。
そして、後半の逆転、ダメ押しゴールを見ることが出来ました。

個人的に注目しているのは左サイドバックの鮫島彩選手。
オーバーラップして、仕掛けたり、クロスをあげたりで、トコトコ走っている感じは駒野、オーバーラップしてからは長友みたいです。

で、冒頭の「The early bird catches the worm.」。
早起きの鳥は虫を捕まえるのに、早起きの虫鳥は鳥に食べられちゃったじゃないか、反論を聞いたことがあります。
それに対する答えがなかなかよくて、虫は早起きしていたんじゃなくて、夜遊びをしていたから食べられちゃったんだって。
ミョーに納得したことを覚えてます。
当時は夜更かしの虫みたいなものだったからね。

月曜日も早起き鳥で応援します。