まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

トンボ日和

2022年09月25日 | 日記

台風一過の快晴。
寒からず暑からずの日本晴れ。
気持ち良さに誘われいつもの公園散歩。
ついつい青空を見上げる視線の端を
しきりに横切っていくものがあるなと思って目を凝らすと
空いっぱいに群れ飛ぶトンボの一団でした。



カメラに映ったのは一、二匹でしたが
驚くほどの数のトンボたちが乱舞を繰り返しています。
まるでどこからか湧いて出たような・・・
まさしく格好の「トンボ日和」と言ったところでしょうか。
それにしても飛んでるトンボを写真に撮るのは
まことに至難のわざですねえ。(笑)
と思っていたら・・・

池の欄干にとまっているトンボを発見!
息を殺しながらそっと近づくとズームで接写に成功。
赤トンボも秋本番ですっかり赤みが増して
これはアキアカネでしょうか。
見上げる空もすっかり秋色に染まってヘタの一句です。

   行き暮れて つかの間トンボ 日和かな (杉作)


(続)里芋の秋

2022年09月24日 | 日記

季節は里芋の秋です。
昨日、そんな記事を投稿したら
無性に里芋が食べたくなって来てスーパーで購入。
今年収穫した里芋かどうかは不明です。
まあ、仕方ありません。(笑)

泥つきの皮を丁寧にむいて
シンプルに煮っころがしにしてみました。
冷蔵庫にユズの残りがあったのですり下ろしました。
我ながらなかなかの出来栄えで自己満足です。
ほのかな柚子の香りにねっとりとした食感がたまりません。
本当はもっと味の濃い煮物が好きなのですが
この歳になるとやはり薄味が一番です。
家族にも大好評でした。(笑)


里芋の秋

2022年09月23日 | 日記

涼しくなってすっかり秋めいて来ました。
「天高く・・・」なんとやらで
夏バテで減っていた食欲もやっと戻って来ました。
あれね食いたいこれも食いたい食欲の秋。
近所のビニールハウスにも・・・

デッカイ葉っぱですが
これ何の葉っぱかご存じでしょうか。
意外に思われるかも知れませんが里芋の葉なんです。
そうサトイモです、私の大好物サトイモ。
この葉っぱの下には里芋がゴロゴロと収穫の時を待っています。
秋はサトイモやサツマイモ、レンコンなど
根菜類がまるまると太って美味しくなる季節ですが
イモ好きにはたまりませんねえ。
煮物もいいですが筑前煮やケンチン汁も捨てがたい。
この季節は東北地方では「イモ煮会」もなども各地で開かれて
まさしく至福のような日々が続きます。
ああ、それなのにそれなのに・・・

この週末はまたまた雨の予報とか。
私の個人的な五連休も散々に雨に降られましたが
この三連休もまたしても雨ですか・・・
でもこのデッカイ葉っぱの下でもはイモたちが養分をタップリ吸って
ますます美味しくなると思えば仕方ありません。
それをささやかな愉しみに・・・

 


メメント・モリ

2022年09月21日 | 日記

東京都写真美術館。
五連休の最後に選んだのはここだった。
いつもなら好きな絵画展に足を運ぶのが常なのだが
これといって惹かれる展覧会がなく(残念)
以前からずっと気になっていた写真展に出かけることにした。
写真芸術には絵画にはない魅力がある。

開催中の「メメント・モリと写真」展。
副題にズバリ~死は何を照らし出すのか~とある。
メメント・モリとはラテン語で「死を想え」という意味で
中世末期、ヨーロッパでよく使われた言葉だと言う。
私がこの言葉を初めて知ったのは
写真家・藤原新也のルポルタージュ「全東洋街道」だった。
夥しい「死」があふれる写真集で圧倒された。

展覧会にも大小無数の死があふれていた。
ハンス・ホルバインやユージン・スミス、ロバート・キャパ、
戦場カメラマン澤田教一にアラーキーこと荒木経惟、
敬愛する藤原新也の作品もあった。

衝撃的な写真が並ぶ。
ガンジス川ではこうした光景がごく日常なのだ。

  ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。

写真につけられたキャプションは
人間などしょせんその程度の存在でしかないことを語る。
死ねば単なる「モノ」でしかないと語る。
だからこそ人間は自由なのだと逆説的に訴える。

ガンジスのほとりでは死体の野焼きが行われる。
これもごく日常の光景である。

  ニンゲンの体の大部分を占める水は
  水蒸気となって空に立ち昇る。
  それは、雨の一滴となって誰かの肩に降りかかるかもしれない。
  何パーセントかの脂肪は土にしたたり
  焼け落ちた炭素は土に栄養を与えてマリーゴールドの花を咲かせ
  カリフラワーを育てるかも知れない。

藤原新也の写真と一文が異彩を放つ。
「メメント・モリ(死を想え)」が「死を忘れるな」とも聞こえる。
この歳になると私にも「死」が確実に射程圏に入って来た。
覚悟はあるか?と問われているような気がする。

 


声をあげる

2022年09月20日 | 日記

三連休にもかかわらず・・・
台風接近の暴風雨にもかかわらず・・・
代々木公園には13000人もの市民が集まって
「国葬中止」「原発再稼働反対」「安保法制廃止」を叫んだ。
集会後は渋谷や原宿をデモ行進したと言う。
テレビは台風報道ばかりでどこも取り上げなかった。

こういうニュースを聞くといつも頭が下がる。
同時に「声をあげる」ことの大切さをあらためて痛感する。
日々の生活に追われるばかりで
ともに声をあげる機会はなかなかないけれど
思いはな同じですよ!と心の中で精一杯の連帯を叫んでみたい。。
それぐらいしか出来ない自分がもどかしく情けない。
実際に声を上げる国民は少ないけれど
同じ思いの人々は意外に多いのではないだろうか。
国葬の是非をとっても世論調査では反対がすでに6割を超えた。
声をあげることが世論となり政治を動かす。
そう信じるしかない、と思う。