映画監督の鈴木清順が亡くなった。
そのマニアックな作風から
日本の映画界では独特のポジションを確立し
熱烈な「清順ファン」も多かった。
独特の「山羊ヒゲ」がトレードマークだった。
ダンディな紳士で知られた松竹大船の大先輩・木下惠介は
幹部に「あんな汚らしい男を監督に採用するな!」と怒ったそうだが
清順が松竹から日活へ移籍する時には
社内で唯一人「頑張れよ!」と激励の言葉を贈ったと言う。
誰からも愛された柔和な人柄だった。
反面、自らの信念や美意識は決して曲げない硬骨漢で
会社に逆らって仕事をホサれている時も
その一徹さは揺るがなかった。
後年は「俳優」として映画に出演することも多かったが
人柄そのものの飄逸な演技が魅力だった。
監督として注目を浴びたのは
60歳近くになってからでかなりの遅まきだった。
中でも「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」「夢二」といった
いわゆる大正ロマン三部作が有名で
ツィゴイネルワイゼンはその年のキネマ旬報第一に輝き
海外でも高い評価を受けた。
鮮烈な色彩表現と難解なストーリーは清順映画の代名詞となり
コアな映画ファンを熱狂させた。
ただ、凡庸な映画ファンであるオジサンは
イマイチついて行けず
日活時代のプログラムピクチャーが懐かしい。
高橋英樹主演の「けんかえれじい」、渡哲也主演の「東京流れ者」
宍戸錠主演の「野獣の青春」などなど
いずれも日活アクション映画の系譜を飾る傑作ばかりである。
この時代から独特の映像美は健在で
私は鈴木清順の本質は難解な芸術映画ではなく
胸わき踊るプログラムピクチャーの中にこそあると
固く信じているのだが・・・
以前、清順氏の実弟である
NHKの鈴木健二アナウンサーがこんなことを言っていたのを思い出す。
「兄はずっと映画にしがみついて生きて来ました。
映画の神様がやっと微笑んでくれました。
人間、二十歳で才能が花開く人もいれば
六十歳になって花ひらく才能もあるんです。
自分に絶望しないことが大事なんです。」
その言葉にいたく感動したものだが
六十歳をとっくに過ぎた私の才能はいつ開くのだろうか。(笑)