まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

鈴木清順の才能

2017年02月23日 | 日記

映画監督の鈴木清順が亡くなった。
そのマニアックな作風から
日本の映画界では独特のポジションを確立し
熱烈な「清順ファン」も多かった。



独特の「山羊ヒゲ」がトレードマークだった。
ダンディな紳士で知られた松竹大船の大先輩・木下惠介は
幹部に「あんな汚らしい男を監督に採用するな!」と怒ったそうだが
清順が松竹から日活へ移籍する時には
社内で唯一人「頑張れよ!」と激励の言葉を贈ったと言う。
誰からも愛された柔和な人柄だった。
反面、自らの信念や美意識は決して曲げない硬骨漢で
会社に逆らって仕事をホサれている時も
その一徹さは揺るがなかった。
後年は「俳優」として映画に出演することも多かったが
人柄そのものの飄逸な演技が魅力だった。



監督として注目を浴びたのは
60歳近くになってからでかなりの遅まきだった。
中でも「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」「夢二」といった
いわゆる大正ロマン三部作が有名で
ツィゴイネルワイゼンはその年のキネマ旬報第一に輝き
海外でも高い評価を受けた。
鮮烈な色彩表現と難解なストーリーは清順映画の代名詞となり
コアな映画ファンを熱狂させた。
ただ、凡庸な映画ファンであるオジサンは
イマイチついて行けず
日活時代のプログラムピクチャーが懐かしい。



高橋英樹主演の「けんかえれじい」、渡哲也主演の「東京流れ者」
宍戸錠主演の「野獣の青春」などなど
いずれも日活アクション映画の系譜を飾る傑作ばかりである。
この時代から独特の映像美は健在で
私は鈴木清順の本質は難解な芸術映画ではなく
胸わき踊るプログラムピクチャーの中にこそあると
固く信じているのだが・・・

以前、清順氏の実弟である
NHKの鈴木健二アナウンサーがこんなことを言っていたのを思い出す。

  「兄はずっと映画にしがみついて生きて来ました。
  映画の神様がやっと微笑んでくれました。
  人間、二十歳で才能が花開く人もいれば
  六十歳になって花ひらく才能もあるんです。
  自分に絶望しないことが大事なんです。」


その言葉にいたく感動したものだが
六十歳をとっくに過ぎた私の才能はいつ開くのだろうか。(笑)


船旅への誘い

2017年02月22日 | 日記

ふと海が見たくなった・・・
なんて言うとカッコいいですが
ヤボ用で立ち寄った浜松町からちょっと足を伸ばしただけです。
ハイ、単なる気まぐれでした。(笑)



東京港の竹芝桟橋です。
八丈島や伊豆諸島への船が発着する客船ターミナルです。
名前を見ただけで船旅への憧れが高まります。
私、自慢ではありませんが「船旅」の経験はほとんどありません。
学生の頃、青函連絡船には乗りましたが
あとは船で淡路島と小豆島に渡ったぐらいでしょうか。
そうそう、礼文島にも行きましたが
シケで海が荒れて船酔いで散々な目にあったことがあります。



海は穏やかでした。
二月とは思えぬあたたかな日でした。
でも、岸壁にはクルーズ船が一隻泊まっているだけで
ちょっとアテが外れてしまいました。
うーん、残念!
南の島に行く船があれば
そのまま船上の人になってもいいなあと思っていたのに・・・(笑)

レインボーブリッジは封鎖されていませんでした。
前方のけったいな格好のビルは
最近、視聴率低迷の某テレビ局でしょうか。
羽田空港からは次から次へと旅客機が飛び立ちますが
旅情は感じませんでした。
目的地へ一足飛びなんて下品な旅ではなく
大海原をのんびりと優雅に旅したいものですねえ。



ふと足もとを見ると・・・
タイルに舟へんの漢字がビッシリ刻まれていました。
船旅への旅情をかきたてる工夫でしょうか。
艝とか艫とか艀とか・・・
読めない漢字もいっぱいありましたが
わが家のピアノ小僧の名前にもつけた「航」の字が
やっぱり一番好きですねえ。
平らかな大海原をゆったりと行く船の姿が見えるようです。

潮風の匂いが気持ちよかったです。
そう言えば石川啄木にこんな短歌がありましたねえ。

  ゆゑもなく 海が見たくて 海に来ぬ

        こころ痛みて たへがたき日は (「一握の砂」)

やっぱり海はいいですねえ。
とくに「こころ痛む」ことはありませんでしたが
ゆゑもなく海を見に来て
久しぶりに気分がリフレッシュしました!
肝心の「船旅」の方は当分無理かもも知れません。



吹き来る風が私に云う

2017年02月21日 | 日記

ついこの間
強烈な春一番が吹いたばかりだと言うのに・・・
東京にはまたまた強風注意報が発令。
いろんなものが吹き飛んで大荒れの天気でした。

春一番は知っていますが
気象用語に「春二番」とか「春三番」はあるのでしょうか。
風の強さもさることながら
凍えるほど寒かったり、汗ばむほどの陽気だったり
コロコロ猫の目のように変わる最近の天気にオジサンはついて行けません。
どうやら花粉も大量に飛散しているようで
クシャミ連発、鼻水ズルズルで「悲惨」な状態になっています。
この風ではさすがに仕事にならずお掃除は中止。
控室で本を読んで過ごしました。
先日、バイト帰りに古本屋さんの100円コーナーで買った
古い中原中也の詩集をパラパラとめくっていると・・

  これが私の故里(ふるさと)だ
  さやかに風も吹いている
    心置(こころおき)なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

  ああ おまえはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が私に云(い)う

有名な「帰郷」という詩の一節ですね。
高校時代は中也の詩をいくつもそらんじているのが自慢で
ずいぶんのぼせたものです。
中原中也は山口県・湯田温泉の出身ですが
詩人を夢見て都会に出たものの、なかなか思うにまかせず
逃げるように帰って来たふるさとで
五月の風に吹かれながら悔恨の念を噛みしめたのでしょうか。



風が少しおさまった公園の池では
カメがのんびりと「甲羅干し」の真っ最中でした。
見るからに長閑な光景ではありますが
これはミシシッピアカミミガメという獰猛な外来種で
生態系を破壊する困ったやつです。
もちろんカメが中原中也を知るはずもありませんが
この詩にピッタリの風景に思えました。

  ああ おまえはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が私に云(い)う

そんな心境になったことが何度もあります。
心が故郷に向かう時は決まって弱気になっている時です。
ろくなことがありません。(笑)
春の嵐が吹き荒れる日は
心も激しく泡立つような日でした。


高齢者ドライバー

2017年02月20日 | 日記

いつものお掃除マンションの駐車場。
通りがかりにふと見ると
フロント部分が大破した乗用車が目に入った。
つい数日前まではこの場所に
普段と変わらぬ元気(?)な姿で駐車してあった筈なのに
どこかで事故にでも遭われたのだろうか。
見覚えがある車だった。



名前までは存じ上げないが
持ち主は80歳ぐらいの柔和なお爺ちゃんである。
毎朝、マンション一階のポストに新聞を取りに来られる時に
必ず挨拶を交わす住民さんだった。
ちょっと足が悪いようで足を引きずるように歩いておられたが
休日には奥様を助手席に乗せて
よく買い物に出かける姿を見かけたものだった。
見るからに安全運転だった。

高齢者ドライバーの事故が大きな社会問題になっている。
事故のニュースを聞かない日はないぐらいで
原因の多くがアクセルとブレーキの踏み間違いだそうである。
悲惨な死亡事故もめずらしくないだけに
早急な対策が求められているのだがなかなか決め手がない。
どうやら免許更新時の「認知症チェック」は義務付けられるようだが
便利な乗り物だけに肝心の「免許返納」は進まない。
自動車メーカーによると「自動運転」はすでに技術的には可能でも
それに伴う法整備が追いつかない現状だそうだが
公共交通機関がない田舎ならともかく
そこまでして運転しなければならないのか大いに疑問である。
自動車学校を二度も中退するという
輝かしい経歴を誇る私は幸か不幸か免許を持っていない。
交通事故には無縁の人生を送って来た。
でも、そんな私でさえコンビニで買い物をする時には
駐車場から突然、車が突進して来るのではないかとビクビクしてしまう。

昨日、久しぶりに事故車の持ち主を見かけた。
何ごともなかったかのように
いつもと変わらぬ様子でニコニコと挨拶をされた。
とりあえずホッとしたものの
あの車はどう考えても「廃車」になる運命で
これを機会に免許返納をされてはどうかと進言したかった。
もちろん言わなかったけれど・・・(笑)



マチスとルオーの友情

2017年02月19日 | 日記

マチスとルオー展に行って来ました。
汐留のパナソニックミュージアムで開催中の展覧会は
ほどよく混んでいました。
何ごとにつけても「ほどよく」がいいですねえ。



マチスもルオーもフランスを代表する画家です。
この二人の偉大な画家が交わした膨大な数の「手紙」をもとに
創作の秘密を解き明かすというユニークな企画です。
二人はパリの国立美術学校の同級生で
ともにギュスターヴ・モロー先生に師事したという仲です。
それは知識としては知っていましたが
まさかこれほど仲のいい間柄だったとは知りませんでした。
その往復書簡をつぶさに読むと
互いの尊敬と信頼が満ち満ちていて深い友情を感じました。
二人の画風は大きく違っていましたが
画家としてのそれぞれの個性と美意識を認め合い
何より人間として尊敬しあっていました。
ゴッホとゴーギャンも共同生活をするほどの強い友情でしたが
結局、求めるものが激しすぎて空中分解でした。
その点、マチスとルオーは大人と言うのか
年を取ってからも互いの健康を気遣いながら創作に励み
マチスが亡くなるまで友情は続いたと言います。

マチスの色彩はウキウキするほどキレイでした。
ルオー独特の太い輪郭線も力強く
対照的な画風の二人が生涯に渡って惹かれ合い
友情を育くんだという事実にちょっと圧倒される思いでした。
自分にこれほどの友情を感じる相手が
果たしているのだろうかと、ふと考えてしまいました。



会場にはこんなコーナーもありました。
マチス先生が人物スケッチをしているという体裁ですが
思わずモデルになってパチリ。
え、誰に撮ってもらったのかですかって?
ハイ、この日は息子を一緒に連れて来たのです。
センター試験が終わって
間もなくピアノの本試験が始まる時期で
そんなことをしている場合ではないのですが
どうしてもルオーが見たいというので仕方なく連れて来ました。
ルオー先生の神通力が
試験にも通じるといいのですがねえ。(笑)