少し早いですが、5月11日は「母の日」ですね。
須永博士の詩には、
「母」
「母への感謝」
が、色紙と中パネルであります。
ちなみに父は、
「親父の背中」
「父」
があります。
詩集の中にも父、母への詩がたくさんありますが、今日は代表的なこの一枚をご紹介します。
「お母さん ごめんね」
この詩は、真理ちゃんという13歳の女の子と出逢い、その女の子に
「お母さんのために詩を書いてください」
と言われて書いた作品です。
お母さんは真理ちゃんが
「病気で、あと1年しか生きられない」
と分かっていましたが、誰にも言えず、ただひたすら看病の日々でした。
たまたま須永博士のサイン会場に来られ、
「誰にも言ってないのですが娘の命はあとわずかです。病院のベットで苦しんでいる娘に勇気づける詩を書いて欲しいのです。」
そして、真理ちゃんに詩を書きました。
「あの日
あなたと思い切り走った あの夕日が沈むあぜ道
本当に楽しかったです・・・中略
またあの日に戻りたい
またあなたと一緒に力いっぱい走りたいのです」
この詩を渡した次の日、車椅子で、サイン会場まで真理ちゃんが来てくれたそうです。
「この詩を書いた人に会いたい」と。
そして真理ちゃんが、
「おじさんの詩を読んで、久しぶりに心が楽しくなりました。お願いがあります。病気で身体が痛くて、そばにいるお母さんに優しい言葉がかけられないのです。
だから、私の気持ちを詩にしてください。
わたし、お母さんが大好きなんです。」
そして、心を込めて書いた詩が、この詩です。
それから、須永博士も旅先から三度、真理ちゃんの病室をたずねたそうです。
必死に病気と闘っていましたが、悲しいお別れの日がやってきました。
真理さんは、薄れていく意識の中で
「お母さん、お母さん、お母さん・・・・・」
と1分の間に40回叫び続け、やがて安らかに短い青春を閉じました。
この話は、須永博士の講演会で、必ず話していますので、ご存知の方も多いと思います。私も今まで数え切れないほど聞いています。
なのにいつも、涙がこみ上げてしまいます。
須永博士はいつも、真理ちゃんの写真を持って旅をしています。
「青春まっしぐら」
という詩集に、詳しく書かれてありますので、機会がありましたら、ぜひ、お読みになっていただきたいです。
その「青春まっしぐら」に書かれてあった須永博士の言葉です。
「人は長く生きても、何も残せない人がいます。
短くても、心を、優しさを、素晴らしい人生を残していく人もいます。
私は旅の中で、何度も真理さんの事を想い出します。
そんな時、わたしは大空に向かって叫ぶのです。
“真理さん!! あなたの分まで 生きること がんばるぞーー!”
と。」
こう書いてありました。
そして、「本気をだせばなんでもやれる」という詩も生まれました。
今日は、1ヵ月後に迫った母の日に、と作品を載せるつもりでしたが、真理ちゃんの事を私も思い出し、長くなりました。
8年ほど前になるでしょうか・・・。
真理ちゃんのお母さんが、須永博士美術館に来てくださいました。
「真理に会いにきました。」
とおっしゃっていました。
須永博士と一緒に、今も旅をしている
と、お母さんも思ってくださっていたのですね。
本当に、真理ちゃんを感じるときがあると、須永博士も言っていたこともあります。
サイン会場で長い列が続き、自分の体が持つかな・・・。と思ったとき、目の前に座った女の人が「真理」さんだったことが数え切れないほどありました。
私もその場面にいたこともあるので本当です。
旅で出逢った皆さんや、この世を去ってしまった人々・・・
その一人一人の想いと一緒に、須永博士は今も旅を続けています。
今日は、この詩とともに、私も
もう一度、母への感謝を想いました。