GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

オリバーストーン ダナン着

2007-09-07 01:40:29 | 新聞・書籍
5日の12時50分、オリバーストーン監督がダナン空港に到着。ソンミ虐殺事件をテーマとした映画「Pinkville」の撮影開始に先立ちソンミ(Sơn Mỹ )の地を訪れるとのこと。空港に一行を出迎えたのはダナンの五行山出身のPhùng Lệ Lý(Le Ly Hayslip、When Heaven and Earth Changed Placesの著者)・・・というような記事がトゥイチェ紙のサイトにありました。

http://www.tuoitre.com.vn/Tianyon/Index.aspx?ArticleID=218770&ChannelID=10

この記事の全文が聞き取れるようになっているのでベトナム語の勉強には好都合です。その意思があればの話ですが。今日初めてチラッと聞いてみるとで耳障りの良いサイゴン発音。ベトナムを離れて聞けばもっと美しい響きに聞こえるだろうと思います。

http://www.vn-navi.com/dictionary/

このサイトを使って単語はある程度日本語に訳せるので、ネットに接続できれば何処にてもベトナム語の勉強が可能ということのようです。しかし肝心な学習意欲は減退するのみの今日この頃。

飛ばし読みをしてもそこそこ意味は解る記事でしたが(ちゃんと読んでも単語がわからないので飛ばし読みになってしまい結果は同じ)、cộng sự という単語が辞書にもなく、漢字に直せば共産主義の「共」に事実の「事」ですからH君に訊いてみよう、と電話すると繋がらず、ダナンの記事でもあるから、とランさんに久しぶりに電話してみました。

日本語の単語をメールで訊かれて返事もせずに放っておいたことなど思い出し少々気が咎めましたが、それよりランは日本語では答えられないんだ、と途中で気付いた自分の愚かさの方が問題です。「一緒に仕事する人のこと、英語だとパートナー」と教えてくれたのでまぁまぁ意味は了解。電話を切った後で、「何が起きたのか」とメールが来ました。何のことか解らず「別に何でもない」と返信すると「声が変、何かあったら話してくれ」などと気を遣われてしまう始末。

それで納得。先ほどポロっと奥歯が一本折れてしまったからです。1年前に日本から貰ってきたコシリカリの真空パック1kg入りを炊いて食べたところ、少々水加減が不足して硬く炊き上がってしまい、胃の消化のためにももっと柔らかくしないと・・・と思った瞬間のことでした。また歯医者に行くのかと思うと気が重く、次に日本に帰るまで放っておこうかとも思ったわけですが、歯が抜けてそれでなくても通じないベトナム語の発音が更にひどくなるというのも問題です。

ヘルメットt着用義務化

2007-09-06 02:00:29 | 天気
近所の皿飯屋で8000ドンの食事を済ませ、帰ろうとした時に駐輪番をしてる顔見知りのお兄さんに「ヘルメット被らないといけないんだぜ」と声を掛けられました。以前にも一度「カムサハミダ」と言われたり、試合のTV中継中はサッカーの話などを一言二言。

今は国道を走る時は着用しなければなりませんが、市内道路も12月15日から前面的に着用が義務付けられるようです。それに向けて今月からホーチミン市の公職幹部が率先してヘルメットを被るようにしているのだとか。「公職幹部」がどのような人を指すのか知りませんが、あまり徹底されてはないようです。交通事故の死者数が年間一万人を超えて久しく尚且つ年々バイクの数も増加してるわけですからヘルメットの着用義務は当然のこととも思えますが、何しろこの暑さの中で被るのは鬱陶しいものがあります。

6年前の6月にも市内も前面義務化となったわけですが、その日の朝街に出て見ると被ってるのは1割以下。交通警官の数は限られてますから取り締まれるわけがなく、その日に破綻してしまいました。今年は果たしてどうなるのでしょう。当時は誰だったか知り合いの女の子が「アオザイ着てヘルメット被れって言うの?そんな馬鹿なこと出来るわけないでしょ」と憤慨してましたが、彼女もそれから6歳ほど歳を取ったのでアオザイが似合わない体形になっているかも知れません。ヘルメットが義務化されるからこれからはバイクで出掛ける人が減る、との声も聞きましたが、バイク替る交通手段が多いわけでもないないし。ただ、夕涼みに彼女を後ろに乗せて街を走り回るバイクは少なくなりそうです。

10年ほど前はヘルメットを被っているのは外国人くらいなもので、ビエンホアの交差点で信号待ちしている時にいきなり英語で話し掛けられました。フエに居た時などはヘルメット姿が異様に見えたようで交通警官に呼び止められ、バイクの登録証やパスポートも携帯してなかったため警察署まで連れて行かれる羽目に。法的強制がなくてもヘルメットは被るものだ、という意地みたいなものもあったし、実際ノンヘルで走るには恐怖感もありました。それが何故か今は日本と同じように規制されることに「ベトナムも他と変わらない国になってしまうのか」と残念な気分になたりもしてます。

しかし、それでもやはりべトナムらしさは至る所で発揮され、ヘルメット価格の上昇、安全を保障できない品質、メーカー品の偽物などが新聞を賑わせています。




新学期

2007-09-04 22:44:55 | 天気
二連休を恐ろしく駄らけて過ごしてしまいました。TVのない生活故ダラダラとブラウン管を眺めることからは逃れられてもPCがあれば同じようなもの。その気になりかけた好調マリナーズはまさかの9連敗。イチローの姿だけでも、と思っても「Yahoo!動画は日本国内でのみ視聴できます」のメッセージなので、ユーチューブの動画を見たりしてました。せめて掃除ぐらいはしなければ、とは思いつつ自炊して洗濯機を回すのが精一杯。二日も時間があるからとの余裕が却ってアダです。独立記念日が日曜と重なり振り替え連休となったわけですが、TVも新聞も見なかったのでその雰囲気もありません。九月二日の独立記念日とは即ち日本支配からの独立でもあるわけなのに、そのことすら忘れてしまっているかのよう。

中国の国慶節は日本の新聞でも「国慶節」と書かれますが、ベトナムのNgày Quốc khánh(国慶日)は何故か独立記念日と訳されるようです。ベトナムではなぜ「節」でなく「日」なのでしょう。そう言えば日本も戦前は「紀元節」というのがあったとか。その同じ日を今はなせ「建国記念日」と呼ぶのかも可笑しなものです。

連休明けに学校の夏休み明けが重なり、道路の混雑もなお更です。事務所の近くに中学校があり、新一年生(6年生)がぞろぞろ道路に溢れてました。5・4・3制のため中一でも日本の小六の年齢でかなり幼い印象を受けます。それが10年生ともなると制服のまま堂々と5000ドン持って雑貨屋へ煙草のバラ買いに来るようにもなります。

ベトナムの中学一年生が幼い理由のもう一つは新学年の始まりが九月で、その年内に満11歳になる子が入学するため九月から十二月生まれの子供は満年齢が日本の小学5年生に相当するからです。九月以降生まれた子供は、日本で言うところの「不利な早生まれ」になり、しかも6歳に満たない上、比率も単純計算で1/4ではなく1/3。個人差があるとしても統計的にはある年数までは月数の差が「成績」にも表れるそうですから少子化と進学率の高まりにつれ1月生まれが増えるかも知れません。

かつてベトナム旅行を一緒にした時、イノマタさんから「本当は1月生まれなんだけど、親が4月で出生届を出した」と聞かされました。それが功を奏してか無事有名国立大に入れたわけですが、まだ受験競争なる言葉もなかった頃でなかったかと思います。今日のトゥイチェ紙にはホーチミン市にあるグエン・クエンという私立高校が他省からの入学も多いほど人気だと書かれてました。
Trường tư thục Nguyễn Khuyến: Vì sao “hút” học sinh?
大学進学率を誇る私立高校の登場、ということのようです。

連休中も夜半からの雨は強く相変わらず市内の道路は冠水したとのこと。大雨の中をずぶ濡れになってはしゃぎ回ったり、冠水した道路にたらいに乗って遊んだりというのは、自分が子供の頃に雪が降ってソリで遊んだのと変わらぬノリなのでしょう。



ソンミ村

2007-09-04 05:26:36 | 新聞・書籍
オリバー・ストーン監督が4作目のベトナム戦争映画を撮るとの記事がありました。
On August 28 2007, it was announced Stone would direct Pinkville, a Vietnam war drama set to star Bruce Willis and Channing Tatum. The films plot focuses on the investigation into the 1968 My Lai Massacre of Vietnamese civilians. It will be Stone's 4th Vietnam film, after Platoon, Born on the Fourth of July and Heaven & Earth.

1986年製作の「プラトーン」も観たことはなく、「天と地」Heaven & Earth は確か映画館で観て少々ガッカリした記憶があります。戦争中に21歳で米国に渡ったLe Ly Hayslipの自伝が原作の映画で、当時の僕自身のベトナムへの思い入れからすると噛合わないものが多かったのだろうと思います。それから既に13年ほど経ってしまいました。

Le Ly HayslipさんはEast Meets West Foundation と Global Village Foundationを設立しダナンの「希望の村」への支援も行っていましたが、今は「希望の村」の運営は日本の婦人民主クラブの里親による支援が主のようです。

彼女が12歳の時、村に米軍のヘリコプターが降りて来て人生を変えられてしまったように、それから10数年にも及ぶ間多くの村の生活が破壊され、その最悪の悲劇が1968年ソンミ村ミライ集落の虐殺でした。Le Ly Hayslipさんは1949年生まれで今年58歳。ここで生活していても同年齢のベトナム人と話をした機会は多くありません。3年前の5月の連休にぶらっと遊びに行ったラムドン省のカッティエンで中部出身のご婦人と話をしたことがあります。

中部高原地帯は戦後中部から来て入植した人々が多く、偶々通りかかって庭に干してあったカシューナッツを写真に撮ろうとしたら犬に吼えられ、仕方なく家の人に挨拶したところ水とマンゴーをご馳走になり世間話をして来ました。貧しさと苦労を語った後で、それでも戦争よりは酷くないから、との言葉をその時初めて聞きました。マンゴーに包丁を入れる時に右手がないことに気付きました。




十月になれば

2007-09-02 18:55:10 | 
九月で思い出すのは、79年にヒットした竹内まりやの「SEPTEMBER」。その6年前には南沙織のLPの中に「九月になれば」という歌がありました。「九月になれば」は60年代の映画(ロック・ハドソン/ジーナ・ロロブリジーダ)の方が有名のようですが観たことがありません。南沙織の歌もパチンコ屋でシングル盤に交換して集めただけだったのでこのタイトルの歌を同時代には聞いたことはなく、数年して伊藤君からLPを借りて知りました。

1971年の大晦日、紅白歌合戦のに出場する南沙織の映像を見ようと国分寺のアパートに出掛けた時、沖縄出身のKさんに「本土復帰キャンペーンの一環だ」と言われとてもバツの悪い思いをしたことがありました。当時はそんな言葉も尤もらしく聞こえるほどの人気振りでした。どうせ僕は政府の政治的陰謀に乗せられたミーハーです、と居直ることもできず肩身の狭くしてそれでも画面を眺めてました。

九月になればどうなるのか。その歌の歌詞は覚えていません。それよりもベトナム映画「十月になれば」の方が印象的でした。日本のTVでも放映されたĐặng Nhật Minh監督の1984年の映画です。未だカンボジアでの戦争が続くベトナム農村が舞台で原題は 「Bao giờ cho đến tháng mười」。モノクロ映画だったと思います。そのせいもあって日本の古いモノクロ映画を見ているような気分でした。Minh監督のNHKとの共同制作 「ニャム」も好きな映画で、原作の短編「Thương nhớ đồng quê」を買ってハノイのフエさんに手伝って貰って訳してみようとしたこともあったのですが挫けました。

「Bao giờ cho đến tháng mười」が何で「十月になれば」と訳されてしまうのか少々疑問で、米イェール大学のサイトでは「When the Tenth Month Comes」と訳されています。ベトナム人の友人の話によれば「十月」には「ロシア10月革命」の意味も含まれているのだとか。決して来ないものを期待する心情は英訳タイトルの方が相応しい気がします。

それにしても映画「十月になれば」や「ニャム」の世界とリアルに感じるベトナム社会との隔たりは一体何故なのでしょう。この隔たりがあるからこそ映画が映画たりえてると言うべきなのでしょうか。当然ながらベトナムで観る映画に日本語字幕は付いてないので、ベトナム映画を観る機会も減りました。

「青いパパイヤの香り」「シクロ」のトラン・アン・ユン監督の次回作には日本のキムタクも出演するのだとか。舞台がベトナムにならないそうで興味はイマイチ削がれるものの楽しみではあります。

九月の雨

2007-09-02 02:07:12 | 天気
昨夜に続き今晩も雨です。昨夜はダラダラと降り続く雨でしたが、きょうは雷鳴を轟かせながら雨音も激しく、それでいてやっと静かになったかと思えば再び土砂降り。日が暮れてから降り続ける雨の日が多くなると「秋の長雨」という言葉を思い出します。はたしてサイゴンでもそうなのかどうかは知りません。毎年、月毎の降雨量の統計を見てもバラツキが多いようですから。それでもこの季節になると、「september rain 九月の雨はひつこくてー」と70年代の歌謡曲を口ずさんでしまうので、やはり雨期と言っても月によって雨の降り方に違いがあることは確かです。

雨音が大きいので屋根の上を飛ぶ航空機の騒音も聞こえません。雨音に打ち消されているのか、それとも余りの悪天候に着陸を見合わせているのかは分りません。もっとも、何時間も上空で待機してるわけにはいかないでしょうから、雨が吹き込まないようにと窓を閉めているせいかも知れません。

このところ一週間、一ヶ月が過ぎるのがやたら早く、とうとう九月を迎えてしまいました。前回K君に会った時に「もう月餅の季節かよ」と言われても「販売シーズンは1ヶ月半もあるんだから中秋祭はまだまだ先だぜ」と思っていた余裕も消え失せました。未だに八月だからというだけで何処かに夏休みの気分が染み付いてたみたいです。

昨日は月末で、会計の処理も確認するつもりでしたが、人の採用や営業準備に意識を割かれてしまい、帰りがけに気が付くと新人の子は何もしてないことが判明。「明日でいいから買掛金と売掛金をチェックして請求書送って電話しといて」と言ってあったのに、今日の12時になってもたった4枚の請求書が作れません。幾ら慣れてないからと言っても10分で終わる仕事に4時間もかけられては堪りません。このペースに3週間も付き合わされて来たわけですから八月があっという間に過ぎ去ったと感じるのも当然。

怒りを堪えて「もう12時だから連休明けで良いよ」と諦めたところ、彼女に「田舎に帰るので少し給料ください」と言われました。「はぁ~?」と不機嫌に聞き返すしかありません。「何で帰り間際にそういうことを言うんだよ」と言っても仕方なく、50万ドンを渡しました。

子供の頃、夏休みが終わることが寂しくても九月が始まることが憂鬱だったわけではありませんでした。夏休みを取らずに過ごして迎えた今年の九月、わが心象に相応しい雨音がまだ続いています。

偽造書類歴17年

2007-09-01 02:38:38 | 社会
今月初め、偽書類作りを17年続けてきた62歳の男性が逮捕されました。17年前というと1990年。市場経済政策が軌道に乗り始めた頃にその種の需要が生まれたでしょうか。偽書類の内容は、出生証明から結婚届、大学卒業証明、土地の権利書等々だそうです。当然ながら中央政府から地方行政各機関の印鑑やら社判など数百個も押収。一枚につき150万~250万ドンだそうで、それなりにリーズナブルな価格のように感じます。必要以上に書類が必要な社会で、偽書類も幅広く普及しえるようですから作る方も使う人も差ほど罪悪感がないのかも。

発覚を恐れてビクビクしながら使うというより、威張り腐ったお役所の権威をせせら笑うかのような気分の良さを感じた人間も居たに違いありません。その道で長く生活を支えたとしても、60歳を迎えて退けば良かったものをと逮捕された本人は悔やんでいるのでしょうか。

逮捕の切欠となったのは、偽の土地権利書で14億ドンを騙し取られた男が警察に駆け込んだためです。17年間コツコツと偽書類を作り続けて最後に逮捕された人間は犯罪者であるには違いありませんが、彼から見れば、一枚1,2万円の偽書類で一夜にして1千万を騙し取った男の被害者と言えなくもありません。

一方、1千万円を騙し取った男は逮捕されたとは報道されてませんから多分カンボジアの国境を越えて逃げてしまったのでしょう。
「リアルワールド」のミミズ君が逃げられたのは軽井沢まで。450年以上も前にフランシスコ・ザビエルがマラッカで遇ったヤジロウとかいう日本人青年は人を殺して逃げて来たそうですから、これだけ世界が狭くなっているというのに島国日本の青少年の世界は逆に狭くなってしまっているということのようです。