´いまから三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、まさかりで切り殺したことがあった。女房はとうに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。
何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。眼がさめて見ると、小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、しきりに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。
「おとう、これでわしたちを殺してくれ」
といったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられて牢に入れられた。´
柳田國男の本を実際に読んだことはありません。金指君の友達の名取君が読んでいたという記憶だけが残ってます。上の文は、色川大吉「近代国家の出発」、資本主義創世記の章の冒頭に引用してありました。かつて入院中に三宅先生から貰った本で手元にあります。日本のニュースで「斧」にまつわる悲惨な事件を知り、急に思い出しました。
資本主義創世記の政治経済が生み出した悲劇を、その当事者たる国家が近代法によって裁き牢に繋ぐということに何とも堪らぬものを感るわけですが、それから120年後の今日、果たしてどれだけ人間的で豊かな社会を築くことが出来たと言えるのでしょうか。近代日本の創世記を振り返ることなくして、自らの生い立ちを知らずして未来を語ることもできない筈だと思います。
ベトナムでの「山の生活」とは少数民族の生活であるのかも知れません。ベトナムの現在もある意味では「創世記」です。山の生活も創世記の圧力と無縁ではないようです。先日、立ち退きの補償金でバイクを買った少数民族の記事が新聞にありました。ガソリンを買うお金がないので使ってないのだとか。しかし、彼らの生活に触れると癒されるように感じるのは何故なのでしょう。一概に「少数民族」と括って語ることは間違いなのかも知れませんが、「低賃金」を売り物にして外資導入を図るベトナムにあって、その社会の中でも最も低い賃金層を形成しているのが少数民族出身者であることは確かで、定食店の下働きやお手伝いさんなどでしばしば見かけます。
事務所の近くに新しく開店したジュース屋さんにも15歳の可愛い女の子が二人働いています。残念ながら僕のベトナム語がまったく通じません。メニューに書いてあるジュースを注文してるのに「オジサンの言ってること全然ワカンナーイ」。仕方なく店の女主人に注文し直すと、「(少数)民族だから」聞き取れないとの説明。そんな訳はありません。他の客とは流暢に話しているのですから。僕の発音が悪いからで、下手糞なベトナム語を敢て一生懸命聞き取る気にはなれないだけのことです。
それでも天真爛漫な笑顔を向けられると文句を言う気も起きません。他人を憎んだり恨んだりという世界とは無縁のように感じさせてくれます。憎しみが親や子に向かい家庭内で暴力となって噴出する日本の社会とは対極にある世界に生きているかのようです。
何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。眼がさめて見ると、小屋の口いっぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、しきりに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。
「おとう、これでわしたちを殺してくれ」
といったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられて牢に入れられた。´
柳田國男の本を実際に読んだことはありません。金指君の友達の名取君が読んでいたという記憶だけが残ってます。上の文は、色川大吉「近代国家の出発」、資本主義創世記の章の冒頭に引用してありました。かつて入院中に三宅先生から貰った本で手元にあります。日本のニュースで「斧」にまつわる悲惨な事件を知り、急に思い出しました。
資本主義創世記の政治経済が生み出した悲劇を、その当事者たる国家が近代法によって裁き牢に繋ぐということに何とも堪らぬものを感るわけですが、それから120年後の今日、果たしてどれだけ人間的で豊かな社会を築くことが出来たと言えるのでしょうか。近代日本の創世記を振り返ることなくして、自らの生い立ちを知らずして未来を語ることもできない筈だと思います。
ベトナムでの「山の生活」とは少数民族の生活であるのかも知れません。ベトナムの現在もある意味では「創世記」です。山の生活も創世記の圧力と無縁ではないようです。先日、立ち退きの補償金でバイクを買った少数民族の記事が新聞にありました。ガソリンを買うお金がないので使ってないのだとか。しかし、彼らの生活に触れると癒されるように感じるのは何故なのでしょう。一概に「少数民族」と括って語ることは間違いなのかも知れませんが、「低賃金」を売り物にして外資導入を図るベトナムにあって、その社会の中でも最も低い賃金層を形成しているのが少数民族出身者であることは確かで、定食店の下働きやお手伝いさんなどでしばしば見かけます。
事務所の近くに新しく開店したジュース屋さんにも15歳の可愛い女の子が二人働いています。残念ながら僕のベトナム語がまったく通じません。メニューに書いてあるジュースを注文してるのに「オジサンの言ってること全然ワカンナーイ」。仕方なく店の女主人に注文し直すと、「(少数)民族だから」聞き取れないとの説明。そんな訳はありません。他の客とは流暢に話しているのですから。僕の発音が悪いからで、下手糞なベトナム語を敢て一生懸命聞き取る気にはなれないだけのことです。
それでも天真爛漫な笑顔を向けられると文句を言う気も起きません。他人を憎んだり恨んだりという世界とは無縁のように感じさせてくれます。憎しみが親や子に向かい家庭内で暴力となって噴出する日本の社会とは対極にある世界に生きているかのようです。