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十月になれば

2007-09-02 18:55:10 | 
九月で思い出すのは、79年にヒットした竹内まりやの「SEPTEMBER」。その6年前には南沙織のLPの中に「九月になれば」という歌がありました。「九月になれば」は60年代の映画(ロック・ハドソン/ジーナ・ロロブリジーダ)の方が有名のようですが観たことがありません。南沙織の歌もパチンコ屋でシングル盤に交換して集めただけだったのでこのタイトルの歌を同時代には聞いたことはなく、数年して伊藤君からLPを借りて知りました。

1971年の大晦日、紅白歌合戦のに出場する南沙織の映像を見ようと国分寺のアパートに出掛けた時、沖縄出身のKさんに「本土復帰キャンペーンの一環だ」と言われとてもバツの悪い思いをしたことがありました。当時はそんな言葉も尤もらしく聞こえるほどの人気振りでした。どうせ僕は政府の政治的陰謀に乗せられたミーハーです、と居直ることもできず肩身の狭くしてそれでも画面を眺めてました。

九月になればどうなるのか。その歌の歌詞は覚えていません。それよりもベトナム映画「十月になれば」の方が印象的でした。日本のTVでも放映されたĐặng Nhật Minh監督の1984年の映画です。未だカンボジアでの戦争が続くベトナム農村が舞台で原題は 「Bao giờ cho đến tháng mười」。モノクロ映画だったと思います。そのせいもあって日本の古いモノクロ映画を見ているような気分でした。Minh監督のNHKとの共同制作 「ニャム」も好きな映画で、原作の短編「Thương nhớ đồng quê」を買ってハノイのフエさんに手伝って貰って訳してみようとしたこともあったのですが挫けました。

「Bao giờ cho đến tháng mười」が何で「十月になれば」と訳されてしまうのか少々疑問で、米イェール大学のサイトでは「When the Tenth Month Comes」と訳されています。ベトナム人の友人の話によれば「十月」には「ロシア10月革命」の意味も含まれているのだとか。決して来ないものを期待する心情は英訳タイトルの方が相応しい気がします。

それにしても映画「十月になれば」や「ニャム」の世界とリアルに感じるベトナム社会との隔たりは一体何故なのでしょう。この隔たりがあるからこそ映画が映画たりえてると言うべきなのでしょうか。当然ながらベトナムで観る映画に日本語字幕は付いてないので、ベトナム映画を観る機会も減りました。

「青いパパイヤの香り」「シクロ」のトラン・アン・ユン監督の次回作には日本のキムタクも出演するのだとか。舞台がベトナムにならないそうで興味はイマイチ削がれるものの楽しみではあります。


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