GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

ケサン基地

2008-09-25 02:45:25 | 旅行
梅棹忠雄著『東南アジア紀行』にクアンチからラオスの国境を越える記述がありました。国道9号線を走りいつの間にか出国手続きもせずにラオスに入ってしまっていたそうです。今から50年前の風景ですが、山間の道路沿いに住む少数民族Br Van Khieuの人々の生活は今も変わらないのかも知れません。

1958年のことですから1968年ケサン基地の攻防より10年前のこと。まだケサン基地そのものがなかった時代です。レンタカーの若い運転手に、米軍のケサン基地はどの辺にあったのか?と聞いてみたところ「知らない」とのこと。クアンチの観光はDMZ(非武装地帯)ツアーくらいだと思っていたので意外な返事でした。

ケサン基地という名を覚えていたのは68年の攻防の激しさ故だったのだと今になって気が付きました。たぶん当時のTVや新聞のニュースで連日目や耳にしていたからなのでしょう。ケサンの町がHuong Hoa県の県庁所在地(huyện lỵ)であることなどは直ぐに忘れてしまいそうですが。

フエの書店でクアンチ省の地図を探してみましたが、置いてあるのはHCM市の地図ばかり。手持ちの少々古い地図帳に頼るしかありません。奇異に感じるのは省庁所在地がクアンチ市ではなくドンハー市であることとクアンチ市の面積が6km2ほどでしかないことです。埼玉県蕨市よりは大きいわけですが人口密集地であるわけでもなく、どこか虐げられている感じが・・・・。クアンチ省には8つの県があり、その一つがHuyện Cồn Cỏ と記されてました。しかし地図では見当たりません。人口は400人面積2.2km2。よくよく調べてみると離島でした。地方行政は、省-県-村となっていますが、おそらく全国で一番小さな県のようです。

ケサン基地跡地を訪れるのは次回に譲り、ラオバオ国境ゲートまで行ってみました。随分と立派な門構えで、これなら知らぬ間に国境を越えてしまった、などということは起こりようもありません。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿