5月20日、ディンビエンフ―方向に国道12号を南下すると夕方5時近くになって川沿いの細長く小さな町、ムンレイ(Mường Lay)に着きました。ホテルもあり一安心。初めて知る町の名前でした。凄まじい暑さだったのでシャワーを浴び、下着やTシャツも洗濯し、部屋の中に干してから町を歩きました。
町の北側にはDa河が西から東へ流れ、国道12号沿いの川と交わっています。町は国道12号沿いの川の両岸に高床式の民家が連なり今までにない景観を見せていました。川の水量はまだこの季節少なく河川敷は田圃だったりトウモロコシが植えられたりしています。子供たちが草むしりをしていたので声を掛けてみました。
自己紹介して日本人だと告げると男性は、「日本語、日本語、ジョートーナー」と言い、何のことやら一瞬戸惑いましたが、「上等なー」だと気付き驚きました。開高健「ベトナム戦記」や近藤紘一の「戦火と混迷の日々」にも出て来た言葉です。旧日本軍人がベトナムやカンボジアでこの言葉を乱発していたからなのでしょう。フランス語も知ってるぞ・・・と幾つかの単語を披露してくれました。1945年、この旧ライチャウ市にも日本軍が駐屯していたそうです。76才の男性は、計算すると当時5才。こんな山間の狭い土地がどんな戦略的意味を持っていたのか疑問にも思えるのですが、しかしこの男性の脳裏に70年もの間刻みこめれた「ジョートーナー」という言葉こそ日本軍人が駐屯していたことの証明なのでしょう。
翌朝何軒かの民家にお邪魔して話を聞かせて貰いました。川沿いに住む人々は河川敷の土地が雨期の後半には冠水するため米も年一回しか作れないとのこと。山腹に住む人々が農産物を売りに来ていました。家々の電気もDa河下流のソンラー発電所が完成した2012年以降になってからようやく使うことができるようになったそうです。
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