GOVAP便り

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ホアハオ教

2009-12-11 21:02:19 | 地理・歴史
コメ祭りでサーノ水路“Kênh xáng Xà No”の名を知ってからメコンデルタの「水路」が気になり始め、水路建設の歴史を調べてみたくなりました。地図を見てもそうですが、バイクで走るとそれ以上に至るところ水路だらけのメコンデルタです。川なのか水路なのかもわかりません。とりあえず真っ直ぐ伸びてるのが水路でくねっているのが川なんだろうととは思いつつ。

地図等の表記でも「Kênh」「Kinh」「Rạch」と水路「thủy lộ」の呼び名は様々で日本語に訳すとどんな単語が適切なのかと考えてみたところ、日本語もまた道頓堀、見沼用水、玉川上水等々様々な呼び名が付いてることに気付きました。「運河」という呼び名の前に漢字が使われたものを思い出すことができません。で、結局たった一つの単語が訳せなくて、フランス殖民者が建設した「サーノ水路」についてのベトナム文を読む気力が失せてしまいました。

メコンデルタの水路建設の歴史はそのままメコンデルタ開拓史でもあるのだろうと思い、再びボロボロになった岩波新書「ベトナム民族小史」を引っ張り出して拾い読みを始めました。ベトナム史に関わる書籍を多く読んだわけではありませんが、未だこの1969年発行の小冊子より優れたと思える本を知りません。

この本では、17世紀「阮氏のコーチシナ経略の成功について語る場合、人口の希少な、未開拓な土地に入植し、その開発に努力した華僑の功績を見のがすことはできない」とあります。明清交代期に渡航してきた明の遺臣たちのことです。この一文に何故か強く引かれるものが以前からあり、「見逃さない」ということは、そこから何を導き出すことができるのか・・・などと思い続けています。

メコンデルタのフランス支配は1867年のコーシチナ西部三省の割譲に始まります。この三省はヴィンロン、チャウドック、ハティエンで、チャウドック省は今のアンザン省に当たり、ここアンサン省が比較的古い時期からベトナム人のメコンデルタ開拓が進んだ地域であることを物語っていますが、ミトーやハティエンのような17世紀の華僑の足跡はないようです。

その代わりにこのアンザン省の開拓に特徴的な一つが19世紀にこの地で生まれた「ブーソンキーフォン教」(đạo Bửu Sơn Kỳ Hương)。荒地の開墾開拓を宗教的な使命として信徒を組織したようです。そして、この後身として今も残るのが Đạo Tứ Ân Hiếu Nghĩaやホアハオ教(Phật giáo Hòa Hảo)なのだそうです。

ホアハオ教は今もメコンデルタ周辺に二百万ほどの信者がいるそうです。近藤紘一の「サイゴンのいちばん長い日」にも暴力的なホアハオ婆さんが登場してましたが、そのホアハオ教の起源が過酷なメコンデルタ開拓に結びついていたとは知りませんでした。

ホアハオ教そのものは1939年にHuỳnh Phú Sổという名の19歳の青年によって創られた宗教です。この青年の写真を最初に見たのは職場の近くのカフェでしたが、仏壇に飾られてたのでてっきり店主の息子さんが早死にした遺影だと思ってしまいました。ホアハオという名は教祖の出身地チャウドック省タンチャウ区ホアハウ村(当時)に由来するそうです。





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