絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ロンバケ

2009-11-04 | いろいろ
ロングバケーションを久しぶりに見ました。
夕方テレビでやっていました。

「星屑を天使の涙で割ったカクテル」

「そんなのないよ」と言って、自動販売機からオレンジジュースを買うシーンのところでした。

一番いいところでしょうか。

松たか子がいいですね。稲盛いずみもいいですね。そして、山口智子でしたか?
いいですね。

松たか子がキムタクの恋人らしかったのですが、キムタクが振られる役ですね。
松たか子は、竹之内豊に一目ぼれしてしまい、キムタクが諦める形になりました。
そして、打ち明ける場面にキムタクがいて、飛び出して行った松たか子を追いかけて、竹之内に打ち明ける場面を作るという、何とも言いようのない場面でした。

この場面での心理状態を語れば、すごいページ数を割かなければならない程の量になると思います。
しかし、私は、この場面で、キムタクを慰める山口がいることが、いいなあと思いました。現実には、大抵こんなとき周りに慰めてくれる素敵な女性はいませんよね。そこがドラマかな?と。
こうならいいなあという形でしょうか。

そして、自動販売機のシーンになるのです。

二人は、恋愛関係ではありません。しかし、その後で、キムタクが「キスしようか?」と言います。そして、山口が「いいよ」と言います。こんなの有りですか?
だから、ドラマかな?

山口の心理は、何ですか?キムタクが振られたので、慰めているのですか?自分にチャンスが出て来たということですか?年上ぶって、キムタクの気持ちを察して、付き合ってくれているのですか?包んでくれる母親の気分ですか?
恋人みたいな母親みたいな、どちらでもあるような支え方ですか?

男同士なら、一緒に酒を飲んで慰めるけれど、ここは恋人にも発展しかねない男女だから、こんな慰め方でもいいじゃないかということでしょうか。

もし、私なら、このシチュエーションはとても有難い慰めだと思います。なぜなら、恋人を忘れるには、新しい恋をスタートさせることが、一番楽かなと思うからです。
しかし、忘れるために利用されているように感じたら、次の彼女は不愉快でしょう。でも、この場合は、その役を山口が承知で引き受けているような感じだから、許されるのです。一番いい理想の形ですね。

作者は、こうであればいいなあということを展開しているのですね。

でも、久しぶりで恋愛物を見ました。恋愛物は、誰にでも経験があって、自分の体験と照らし合わせて、いろいろ考えることができるので、面白いですね。みんないっぱしの評論家になれますよね。







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フランダースの犬

2009-11-04 | いろいろ
11月のデッサン会の申し込みにセルディーに行って来ました。
ついでに、図書館に寄り、フランダースの犬の続きを見ました。
4本目です。

今日、見たのは、ネロが絵を描きたくて、でも紙が買えないという話でした。
そのため、ネロはアルバイトをします。紙を買うために9日間も薪運びを行うのです。

そして、やっと、10サンチームというお金を手に入れます。
その前に、女の子の家から要らなくなった紙をもらいますが、それは、書類の裏が使えるという紙でした。今でいえば、広告の紙の裏みたいなものでしょうか。

とにかく、絵が好きで描いていましたが、初めは板に描いていました。そして、次に描くときは、それを消して描いていたのです。描いたものが消えてなくなりますね。また、よく消せないので、板を削ることで、また描けるようにしたのです。

だから、紙をもらった時は、嬉しそうでした。

そして、その紙もすぐに描き終わってしまい、町へ出た時にお店で見た真っ白な紙が欲しくてたまらなくなりました。

だから、アルバイトをしたのです。

その頃は、紙は貴重で貧乏人には高かったのでしょうね。

だから、紙が買えた喜びはものすごく大きな喜びでした。

ーーーーーー
そうか、今は、当り前のように手に入る紙も、時代が違えばとても買えなかったのだなと思うと、今、紙が有り余るほどあるのに、俺は一体、何をしているのかなと思いました。

「紙さえあったら、描きたいものがたくさんあるんだ」というネロの言葉が心に突き刺さりました。

紙が100円ショップで買える今、いくらでも描ける喜びを感じなければ、ネロに申し訳ないですね。
ーーーーーー

話は、変わりますが、なぜ、フランダースの犬の主役の子供は、ネロなんでしょうね。ネロという言葉を聞くと、ローマのネロ皇帝を思い出してしまいます。


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麓原会の今後3

2009-11-04 | 日記
本庄第一高校美術部の絵をご覧になって、いかがでしょうか。
私は、外部の人間なら、なんだこれは?と驚いてしまうでしょう。
どうして、高校生がこんなに描けるの?と。
嫉妬と疑問と憧れなどが、入り乱れてカルチャーショックを受けると思います。

だって、絵を始めて1年か2年の高校生ですよ。たまたま天才的な子がいたというなら、それもありうると思います。しかし、このレベルがほとんど全員なのです。3年生になると、ほとんどがこのレベルの絵を描く。だから、いろいろな展覧会で、誰が特選を取るか顧問でさえ、わからないくらいです。

ここまで、行ってしまうのは、この美術部の歴史を見ないと分からないでしょう。

お知りになりたい方は、「ピカソがライバル」をお読みください。

ーーーーーーー
ただ、私は、いま残念に思っているのは、この美術部が無くなってしまうのではないかという心配です。いまのところレベルを保ったまま、歴史を引き継いでくれています。それは、卒業生の竹内君と棚沢君が顧問を引き継いでくれたからです。私がやってきたことをそのまま受け継いでくれているのです。

これが、関係のない先生が入ってきて、やり方をすっかり変えてしまったら、どこにでもある美術部になってしまうかもしれません。

なぜなら、いまでさえ部員が減りつつあります。私の頃の74名は普通では考えられない人数ですが、現在は30名になってしまいました。これは、棚沢先生が非常勤であることも理由の一つです。
専任でないということは、「私に預けてください」と言えません。生徒を誘っても、来年自分が教員としているかどうかが分からないのです。だから、生徒と約束ができません。
だから、どんどん減ってしまいます。今は、1年が8名、2年が8名ですから、そのペースでいくと、また8名なら、合計24名になってしまいます。

これは、麓原展の出品者が減ることでもあるのです。

ーーーーー
だから、麓原展は、本庄第一高校に頼ることを考えないで、一般の若い人をもっと育てることを始めるべきでしょう。

私も、今は、60歳以上の人たちにデッサン会で、教えていますが、その方たちに出品を勧めて行こうと思います。また、卒業生に声をかけて、そろそろ子育てから手が離れた人たちも出て来たので、そういう卒業生に声をかけて行こうと思います。

ーーーーー
私が、卒業生を誘うことに、あまり一生懸命にならなかったのは、現役の生徒たちに喜びを与えたいという気持ちもありました。卒業生がたくさん出品すると、賞もそれなりに取られてしまいます。3年生の時の力で作品が出てきたら、現役にとっては、賞が取れなくなるということもあるのです。

或る意味で、卒業生が出さない方が、過去と同じ条件が整うのです。果たして先輩たちと比べて、自分たちの実績はどうかと勝負するときに、同じ条件である方が有難いのです。

もう一つは、都合が良いことに、卒業生は現役の時が一番力が出せて、卒業するとその力が出せなくなるのです。これは、スポーツ選手に似ています。面白いものです。

現役の時が最も良い絵が描ける。これは、毎日の積み重ねがいかに大切かを教えてくれます。絵は一度上手くなれば、いつでもその力が出せるというものではないのです。やはり、その時の力に持って行くには、それなりの努力が要るのです。

それと現役とは環境が違います。

まず、先生がいなくなります。仲間がいなくなります。場所がなくなります。時間がなくなります。
現役の時は、場所と時間があって、嫌でも先生にやらされた。励ましてくれる仲間もいた。そして、教えてもらえた。いい競争相手がいて刺激を受けた。

これが、無くなれば、力が出ないのは当然です。

ーーーーーーー
だから、みんな高校時代はあんな絵が描けたのに、過去の自分の絵に敵わない。あれだけの絵がなぜ描けてしまったのだろうと思うほど、描けなくなることに気づくのです。だからとても展覧会には出せない、ということになるのです。

それでも、私に勧められて、続けている子が最近は増えてきました。美大に行く生徒が増えて来たこともその一つです。

だから、麓原展に出品もして7名が会に入ってきました。ことし棚沢君が会友推挙になったので8名になります。

こんな状況ですが、これからは、卒業生をもっと積極的に誘って、若手を増やして行こうと考えています。それが、麓原会の発展にもつながるでしょう。



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