自分が動くことで、何かが変わるという経験の話をしました。
私のこの経験は、大学時代の美術の先生になる仲間たちに向けた動きにもなりました。
そう考えて行くと、その後も同様の活動があります。
教員になってから、学校の在り方を考えて、企業のCI(コーポレートアイデンティティー)を取り入れました。これは、学校の生き残りをかけて、取り組んだ職員の意識改革でした。しかしこれは、私の発想ではなく、リーダーになったM先生の発想ですが、このM先生も実は、私と同じ本庄高校の私の同級生なのです。
そのとき、その先生から言われたことは「菅野先生にはCIは必要ないね」でした。元々意識改革ができているからと。
また私は、絵の会で麓原会という会に所属していますが、その麓原会の在り方を考えて、麓原会を考える会を立ち上げました。この発想は私が提案したものです。そして、麓原会を発展させるにはどうしたらいいかを考えて、10年以上が経ちます。それによって、随分いろいろなことが変わりました。
美術部を日本一の美術部にしようと考えた大胆な発想も、私にとっては、高校時代の制服自由化が実現したという経験が背景にあるとお話ししました。
今は、絵を始めたばかりの素人の方が私の指導を受けて、1カ月で県展に入選してしまったり、二回目の挑戦で埼玉県展で特選を取ってしまったりしています。しかも年齢が60歳を過ぎている人なのです。その発想も、いろいろひも解いて行くと、高校時代の経験が影響していないとは言い切れません。なんでもかんでも結びつけるのは、控えなければなりませんが、高校時代の経験は、私の人生にやればできるという気持ちにさせてくれるものでした。
やったって、ダメだよと思うか、やってやれないことはないと思うかの差は大きいのです。だから、私は制服自由化の実現は、とても大きかったと思っています。
ーーー
ただ、それによって乱れたとか、学力が下がったという問題は、その後の生徒たちの問題でしょう。その後の生徒たちは、私たち先輩が自由にしたためにダメにされたと言うでしょうか?その後の生徒たちは生徒たちで、それが問題だと思うなら、自分たちの手で、もう一度制服に戻したっていいのです。
現に、児玉高校などは、制服に戻りました。どのような経緯で戻したのかは分かりませんが。
制服が自由になったために、乱れたとかダメになったとか言うのは、外から見た大人の偏見でしょう。制服を着ていれば、乱れていないとか思うなら、それは、中身を見ていない証拠です。自由よりも規制が大事だというのも、一つの意見であることは認めます。
私の美術部などは、外から見たら、かなり先生に規制されてさぞ苦しそうに見えるでしょう。しかし、それは外見なのです。中にいる生徒たちがどのようになっているかをしっかり見ないと分からないと思います。
外見が大切だということもわかります。まず、形からということも仏教の教えから学ばせていただきました。しかし、それは、形を整えるという行為が心を作って行く作業なのです。
制服を着ていれば、乱れていないのではなく、何を着ていてもそこにモラルを持って、人様に迷惑でない、みっともない格好をしないという気持ちを持って着るなら、制服である必要はありません。
私の美術部は、写生旅行は服装が自由です。ヨーロッパの研修旅行も服装は自由です。自由だからと言って、なんでも良いという訳ではありません。しかし、こんな服装はだめなどと言う必要がないのです。生徒たちが自ら考えます。パンフレットも生徒が作りますが、その中に注意事項で、必ず書いています。写生旅行でのあるべき姿を考えられる生徒たちだからです。写生旅行でベストドレッサー賞などというものを出したのも、高校生の写生旅行の服装として最も相応しく綺麗に着こなしているのは誰かという観点で、見ています。
自由にしたから、乱れたんだ、規制をした方がいいという考えは、上からしばりつける管理教育の発想でしょう。
もし、乱れているなら、それを本庄高校の生徒が自分たちで自覚して、それをなんとかする動きを示すべきです。その方法が制服を元にもどすということなら、どんどんやるべきでしょう。
私のこの経験は、大学時代の美術の先生になる仲間たちに向けた動きにもなりました。
そう考えて行くと、その後も同様の活動があります。
教員になってから、学校の在り方を考えて、企業のCI(コーポレートアイデンティティー)を取り入れました。これは、学校の生き残りをかけて、取り組んだ職員の意識改革でした。しかしこれは、私の発想ではなく、リーダーになったM先生の発想ですが、このM先生も実は、私と同じ本庄高校の私の同級生なのです。
そのとき、その先生から言われたことは「菅野先生にはCIは必要ないね」でした。元々意識改革ができているからと。
また私は、絵の会で麓原会という会に所属していますが、その麓原会の在り方を考えて、麓原会を考える会を立ち上げました。この発想は私が提案したものです。そして、麓原会を発展させるにはどうしたらいいかを考えて、10年以上が経ちます。それによって、随分いろいろなことが変わりました。
美術部を日本一の美術部にしようと考えた大胆な発想も、私にとっては、高校時代の制服自由化が実現したという経験が背景にあるとお話ししました。
今は、絵を始めたばかりの素人の方が私の指導を受けて、1カ月で県展に入選してしまったり、二回目の挑戦で埼玉県展で特選を取ってしまったりしています。しかも年齢が60歳を過ぎている人なのです。その発想も、いろいろひも解いて行くと、高校時代の経験が影響していないとは言い切れません。なんでもかんでも結びつけるのは、控えなければなりませんが、高校時代の経験は、私の人生にやればできるという気持ちにさせてくれるものでした。
やったって、ダメだよと思うか、やってやれないことはないと思うかの差は大きいのです。だから、私は制服自由化の実現は、とても大きかったと思っています。
ーーー
ただ、それによって乱れたとか、学力が下がったという問題は、その後の生徒たちの問題でしょう。その後の生徒たちは、私たち先輩が自由にしたためにダメにされたと言うでしょうか?その後の生徒たちは生徒たちで、それが問題だと思うなら、自分たちの手で、もう一度制服に戻したっていいのです。
現に、児玉高校などは、制服に戻りました。どのような経緯で戻したのかは分かりませんが。
制服が自由になったために、乱れたとかダメになったとか言うのは、外から見た大人の偏見でしょう。制服を着ていれば、乱れていないとか思うなら、それは、中身を見ていない証拠です。自由よりも規制が大事だというのも、一つの意見であることは認めます。
私の美術部などは、外から見たら、かなり先生に規制されてさぞ苦しそうに見えるでしょう。しかし、それは外見なのです。中にいる生徒たちがどのようになっているかをしっかり見ないと分からないと思います。
外見が大切だということもわかります。まず、形からということも仏教の教えから学ばせていただきました。しかし、それは、形を整えるという行為が心を作って行く作業なのです。
制服を着ていれば、乱れていないのではなく、何を着ていてもそこにモラルを持って、人様に迷惑でない、みっともない格好をしないという気持ちを持って着るなら、制服である必要はありません。
私の美術部は、写生旅行は服装が自由です。ヨーロッパの研修旅行も服装は自由です。自由だからと言って、なんでも良いという訳ではありません。しかし、こんな服装はだめなどと言う必要がないのです。生徒たちが自ら考えます。パンフレットも生徒が作りますが、その中に注意事項で、必ず書いています。写生旅行でのあるべき姿を考えられる生徒たちだからです。写生旅行でベストドレッサー賞などというものを出したのも、高校生の写生旅行の服装として最も相応しく綺麗に着こなしているのは誰かという観点で、見ています。
自由にしたから、乱れたんだ、規制をした方がいいという考えは、上からしばりつける管理教育の発想でしょう。
もし、乱れているなら、それを本庄高校の生徒が自分たちで自覚して、それをなんとかする動きを示すべきです。その方法が制服を元にもどすということなら、どんどんやるべきでしょう。