絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

制服自由化運動パート2

2009-11-21 | いろいろ
自分が動くことで、何かが変わるという経験の話をしました。

私のこの経験は、大学時代の美術の先生になる仲間たちに向けた動きにもなりました。

そう考えて行くと、その後も同様の活動があります。

教員になってから、学校の在り方を考えて、企業のCI(コーポレートアイデンティティー)を取り入れました。これは、学校の生き残りをかけて、取り組んだ職員の意識改革でした。しかしこれは、私の発想ではなく、リーダーになったM先生の発想ですが、このM先生も実は、私と同じ本庄高校の私の同級生なのです。
そのとき、その先生から言われたことは「菅野先生にはCIは必要ないね」でした。元々意識改革ができているからと。

また私は、絵の会で麓原会という会に所属していますが、その麓原会の在り方を考えて、麓原会を考える会を立ち上げました。この発想は私が提案したものです。そして、麓原会を発展させるにはどうしたらいいかを考えて、10年以上が経ちます。それによって、随分いろいろなことが変わりました。

美術部を日本一の美術部にしようと考えた大胆な発想も、私にとっては、高校時代の制服自由化が実現したという経験が背景にあるとお話ししました。

今は、絵を始めたばかりの素人の方が私の指導を受けて、1カ月で県展に入選してしまったり、二回目の挑戦で埼玉県展で特選を取ってしまったりしています。しかも年齢が60歳を過ぎている人なのです。その発想も、いろいろひも解いて行くと、高校時代の経験が影響していないとは言い切れません。なんでもかんでも結びつけるのは、控えなければなりませんが、高校時代の経験は、私の人生にやればできるという気持ちにさせてくれるものでした。

やったって、ダメだよと思うか、やってやれないことはないと思うかの差は大きいのです。だから、私は制服自由化の実現は、とても大きかったと思っています。

ーーー
ただ、それによって乱れたとか、学力が下がったという問題は、その後の生徒たちの問題でしょう。その後の生徒たちは、私たち先輩が自由にしたためにダメにされたと言うでしょうか?その後の生徒たちは生徒たちで、それが問題だと思うなら、自分たちの手で、もう一度制服に戻したっていいのです。
現に、児玉高校などは、制服に戻りました。どのような経緯で戻したのかは分かりませんが。
制服が自由になったために、乱れたとかダメになったとか言うのは、外から見た大人の偏見でしょう。制服を着ていれば、乱れていないとか思うなら、それは、中身を見ていない証拠です。自由よりも規制が大事だというのも、一つの意見であることは認めます。

私の美術部などは、外から見たら、かなり先生に規制されてさぞ苦しそうに見えるでしょう。しかし、それは外見なのです。中にいる生徒たちがどのようになっているかをしっかり見ないと分からないと思います。

外見が大切だということもわかります。まず、形からということも仏教の教えから学ばせていただきました。しかし、それは、形を整えるという行為が心を作って行く作業なのです。

制服を着ていれば、乱れていないのではなく、何を着ていてもそこにモラルを持って、人様に迷惑でない、みっともない格好をしないという気持ちを持って着るなら、制服である必要はありません。

私の美術部は、写生旅行は服装が自由です。ヨーロッパの研修旅行も服装は自由です。自由だからと言って、なんでも良いという訳ではありません。しかし、こんな服装はだめなどと言う必要がないのです。生徒たちが自ら考えます。パンフレットも生徒が作りますが、その中に注意事項で、必ず書いています。写生旅行でのあるべき姿を考えられる生徒たちだからです。写生旅行でベストドレッサー賞などというものを出したのも、高校生の写生旅行の服装として最も相応しく綺麗に着こなしているのは誰かという観点で、見ています。

自由にしたから、乱れたんだ、規制をした方がいいという考えは、上からしばりつける管理教育の発想でしょう。

もし、乱れているなら、それを本庄高校の生徒が自分たちで自覚して、それをなんとかする動きを示すべきです。その方法が制服を元にもどすということなら、どんどんやるべきでしょう。
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週刊こどもニュース

2009-11-21 | いろいろ
毎週土曜日に、週刊こどもニュースという番組があります。
私は、楽しく見ています。あの番組はとてもよい番組ですね。

毎日のニュースを見ていても、そもそもその事はどういう状況で始まったのか?本来はどうあるべきことが、なぜいま問題になっているのか?そういうことが分からないで聞いていることが多いです。政治の問題でも経済の問題でも、分からないことだらけです。それをこどもニュースは分かるように説明してくれます。とても有難い番組です。

この番組は、週刊ではなく毎日やってほしいのですが、どうでしょうか。
大人のニュースの裏側で、必ずこどもにも分かる解説付きのニュース番組を作ってほしいのです。
また、その発想から行くと、子供新聞というのもいいですね。毎日の新聞が子供でも読めて、子供に分かるように書いてあるという新聞を作ってほしいですね。

どうでもいいような番組が多いのですから、その方がずっと意味があると思います。このアイディアは、私の特許にしようかな?

日刊子どもニュース、日刊子ども新聞です。


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制服自由化運動について

2009-11-21 | いろいろ
高校時代に、制服自由化運動がありました。

私は、その運動が面白くて、積極的に動きました。

最近、本庄高校から通信が来て、同級生がその制服自由化について書いていました。それによると、本庄高校は制服自由化によって、乱れたとありました。そして、制服自由化は良くなかったという意見でした。

私は、少し残念な意見だと思いました。

なぜなら、制服自由化は、歴史的な意味がどうとかいうよりも、我々にとって重大な意味がありました。
それは、自分たちが動くことで、世の中が動くという経験をしたことです。
世の中は、変えらるんだと気付いたことです。これが大きいと思います。
そのことをどうとらえているのでしょうか。

私は、いくら生徒が動いても、どうせ先生方に握りつぶされて、自由化などは実現しないだろうと思っていました。もし、あの時実現しなかったら、そう思ったまま大人になっていたと思います。

しかし、実現してしまいました。なぜ、実現したのかわかりません。先生方の中にもいろいろな意見があって、生徒の動きをよく見て、判断しようと思ってくれた先生がいたということです。
教員組合が強くて、その先生たちが生徒の動きに賛成してくれたからでしょうか。その辺の背景は分からないですが、まるで、世論が政治を動かすように、生徒の意見が反映されました。

そのことを、経験して大人になったということは、私にとっては大きな財産でした。

何かをやろうという時に、やればできるという気持ちになれるからなのです。自分のこの思いは、何かの形になると思えるのです。

大学の時、こんな状態で絵を教える教師になるのか?と思って、みんなに発破をかけて、展覧会を開くということを実施したのも、現状を変えようという気持ちからです。自分が動くことで、何かが変わると思えたからです。
どうせ、何を言ったってだめさと思えば、動かなかったでしょう。

自分が動くことで何かが変わるという経験です。

私の、日本一を目指すなどという途方もない夢物語の発想も、そうした経験が背景にはあるのです。本庄高校の校歌は、「我らは世界とともにあり」で締めくくられます。私がピカソがライバルというタイトルを面白がって使うのは、決してオーバーなことではないのです。みんな世界とともにいきているのですから。


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県北展

2009-11-21 | 日記
県北展を見学してきました。

天気が良くて紅葉が綺麗でした。児玉の山を抜けて、秩父に行く道の紅葉です。
途中で、車を停めて、写真を撮りましたが、本当に撮影したいところには、車を停めるスペースがありません。それが、残念です。トラックの往来が激しく、停めていては危険な感じがします。


県北展は、しっかりと飾り付けがされていて、気持ちよく展示されていました。大きな体育館ですが、ほとんど全部を使っています。みんな賞を狙う人たちは60号を出しますから、結構大きな作品が多いです。

私は、普段は搬入と搬出しか行かないのですが、今回は審査員なので、行く日を増やしました。審査に行く日を合わせると、いつもより二回多く行くことにしました。
会場にいたら、見てくださいという人がいて、アドバイスをさせていただきました。行った意味がありました。

受賞者全員の絵を写真撮影して、記録に残すことにしました。自分が審査した時の
受賞がどの絵であったかを記録しておこうと思ったのです。

また、審査員全員の絵を撮影しました。いつもすごいなあと思う絵と、あれ?これがあの先生の絵?と思う絵がありました。確かに、毎回さすがといわれる絵を出すことは大変ですから、たまにはあれ?という絵があっても人間らしくていいかな?と思います。



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スタッフ会議

2009-11-21 | 絵画指導
美術部の活動の中に、スタッフ会議があります。
今は、何と読んでいるでしょうか。私の時は、部活運営委員を集めて打ち合わせをする形を取っていました。まあ、国会で言えば、内閣のようなものでしょうか。

大げさですね。

部長、副部長、コースリーダー、学年リーダーで行なう会議です。また、それとは別に班長会議もありました。
内容は、これからの予定の打ち合わせです。日程の確認、誰をどこへ行かせるなど、特に行事が重なるときは、パズルのようなことをしなければなりません。麓原展と私学文化祭などは、毎年重なるので、その行動は複雑です。どちらも賞を取ることが多いので、賞を取った場合は、表彰式に出る関係があるので、臨機応変に対応しなければなりません。一つの展覧会があれば、搬入、搬出、見学、表彰式ということを考えなければならないのです。それが、重なるとなかなかパズルのような計画を組むことになります。

このことは、具体的に話すと、先日写生旅行のことを書いたくらいの量になってしまいますので、ここでは避けます。

班長会議は、班のメンバーの様子を報告してもらいます。制作状況、制作態度、朝練の出席状況、先輩に対する態度、美術史のテストの進行状況、悩み事、掃除の状況などです。そして、問題があれば、班長の指導で良いか、部活運営委員の協力を得るか、先生が指導すべきかを相談して、解決に当たります。

しっかりしている班長の場合は、ほとんど班長の指導で解決してしまうので、他のメンバーの協力がいりません。美術部はまるで、先輩が先生の意識でしたから、顧問の私はとても楽でした。

私が指導しなければならないときには、班長も一緒に呼んで、場合によると、班長を叱りました。後輩は、自分のせいで班長が叱られてしまったということで、先輩すみませんという形になるのです。班長が好かれていると、そういう形になります。班員の問題は、班長の責任という形を取ると、班員は班長に迷惑をかけるということを感じるようになります。自分のことが自分だけでは済まないということを学ぶのです。

部員としての意識、同じ班員であることの意味、責任者とは叱られ役であること、いろいろ学ぶことがあります。班員は班長に迷惑をかけないようにと考え、班長は班員が叱られることがないように指導する。そういうことを学ぶ場になっています。世代交代の10月、係が変わる4月、一年に二回の人事がありますが、そのときに、班長が班員から有難うございましたと涙ぐんで言われている様子が毎年見られました。

スタッフ会議は美術準備室で行なわれるので、他の部員には見えませんが、まだ会議に参加できない後輩は、この会議を恰好いいなあと思っていた子もいたそうです。早く自分もこの会議に加われるようになりたいと思ったのでしょう。

美術部の組織は、いろいろあるので、ピカソがライバルには書ききれなかったことがたくさんあります。それを、少しづつここに書いていきたいと思います。




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