絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

美術史クイズ 121 解答と解説

2011-01-31 | 美術史クイズ
美術史クイズ 121

解答

第1問 モザイク
第2問 ハギアソフィア
第3問 ビザンチン美術
第4問 平面的、記号的表現

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解説
このモザイク画は、トルコのイスタンブールにある博物館にあります。
このモザイクの絵はビザンチン美術と言われる時代のものです。
ビザンチンとは、東ローマ帝国の別名です。
アヤソフィアとも言います。日本語読みがハギアソフィアなのです。

ギリシャローマ美術が、理想的な美の追求であったのに対して、この中世の時代は、
神様とは、実際の人間とはかけ離れた存在なのだから、実際の人間に似ているよりももっと気高く感じる表現が必要とされた。それで、平面的で記号的な表現になっていきました。また、モザイク画が盛んになったことも影響して、そのような表現になりました。

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美術史クイズ 120 解答と解説 

2011-01-31 | 美術史クイズ
美術史クイズ 120

解答

第1問 シャルルマーニュ(カール大帝)
第2問 ルーブル美術館
第3問 馬の高さは21センチ、騎手は19.5センチ
第4問 フランク王国
第5問 冠
第6問 西暦800年

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
解説

中世のヨーロッパにおいて、力をつけて国を広げたのは、フランク王国でした。
初めは、メロビング朝、そしてカロリング朝です。
カロリング朝のカール大帝の時、国が大きくなり、昔のローマ帝国が復活したように感じました。そのときに、カール大帝がローマに行った時、西暦800年、ローマ法王は突然、カールに戴冠をしました。それは、ローマ帝国の皇帝になることを認められたことを意味しました。
もちろん、この時代、昔のローマ帝国はない訳ですから、その時代とは違いますが、そのくらいの力があると認めたことになりました。

この騎馬像は、そのカール大帝の像です。名前はシャルルマーニュと言います。

像の高さ全体が出ているものを見つけられませんでした。
しかし、とても小さいということを知って頂きたいと思います。

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甲状腺手術 つづき3

2011-01-30 | 甲状腺手術体験記
朝が来ました。

喉が痛くなるほど、唾を飲み込んだので、喉が痛みました。
時々、水を飲みましたが、その水も途中から飲み込むのが辛くなって、ほんの少ししか飲めません。
また、最初はそうでもなかったのに、飲んだ後咽る状態が起こり始めました。

しかし、朝飯が出て来ました。水も飲みこむのが大変なのに、とてもそれ以外のものは喉を通らないだろうと思いましたが、看護師さんが、「いえ、お水より喉の通りが良いですよ」と教えてくれました。
手術後の最初の食事は、3分粥です。また、とろろ汁、茶碗蒸し、豆腐がありました。最初はおそるおそるとろろ汁から行きました。すると、たしかにスムーズに飲み込めます。へええと思いました。小さなスプーンでほんの少しだけ飲み込んで、飲み込める喜びを感じました。唾さえなんとなく苦しい感じだったのですから。そして次に茶碗蒸しに移り、これもまた飲み込めました。
やったーという感じです。でもときどき咽ます。そして最後に3分粥に移るとこれも大丈夫でした。

ただ、問題は薬です。これは粒です。喉を通るかなと思い、途中でつっかかって咳で出てしまわないかと気になりました。
すると、また、看護師さんが「ヨーグルトと一緒に飲むと飲めますよ」と教えてくれました。
食後にヨーグルトが出ているのです。言われた通りやってみました。すると、確かに嘘のように薬が何も感じないで飲み込めました。ほおーーー凄い!
これは、初めての体験でした。みなさん、知っていて損はない情報ですよ。

ということで、ゆっくりでしたが、出されたものを全て食べました。

寝ているよりも、ベッドで起きている方がお尻が楽なので、しばらくそのままの状態でいましたが、まだ、点滴がつながっています。私は車椅子でもあるので、完全に移動できるまでは、おしっこの管は抜かないでおこうという事で、朝の点滴が終わるまで、
繋がれていました。

点滴が終わって、その後に管を抜いて、手術着から自分のパジャマに着替えました。そのときにオシッコの管も抜きました。
痛いかなと思いましたが、看護師さんが変な感じがしますよと言った通り、痛くはなく、少し感じた事のない違和感がありました。

これで、点滴と管から解放されました。それが、午前中のことです。

お昼は、7分粥になっていましたが、それもスムーズに全て食べ、やはりとろとろしたものが出たので、それで薬を飲みました。
薬の中には、痛み止めも入っているとのことで、痛みという物は首を触らなければ、ほとんど感じることなく、これだけ凄い大きさで切ったのに痛まないのは不思議でした。痛みより痰唾が苦しかったからでしょうか。

朝からは、痰唾は出なくなり、ほとんど普通になりました。
そして午後は、地下のレントゲン室に撮影に行くことができました。

普通の歩ける人は、手術後6時間で歩けるようになるとも聞きましたが、私の場合は障害者ですから、簡単にトイレにいけないので、少し他の人より遅くなりました。

でも、まだ、首には管が繋がっています。手術後の出血を外へ取りだすための管です。それが外れたのは二日目の午後でした。
丸二日で、管は全て取り外されました。私は、その管はもう少し長く付けて置いてくれないかなあと心配になりました。その後出血したら再手術と聞いていたからです。しかし、お医者さんの判断で大丈夫とのことなので、従うしかありません。

面白いのは、後で聞きましたが、内側の筋肉は縫いますが、外側の皮は縫わないで、テープで止めるだけとのことでした。
えーーーです。塗った跡がつかなくて良いという理由だそうです。
細かく、何枚ものテープがセロテープを貼るみたいにべたべたと貼ってあるだけです。
すごいなあと思いました。管を抜いたら穴があいているのだから縫うだろうと思いますよね。それが違うのです。
穴を塞ぐようにテープを貼るだけなのです。痛くもかゆくもありませんでした。

現代の手術は、こんな簡単になっているんですね。

私の場合は大きかったので、トックリセーターのラインのように20センチくらい切りました。
だから、前から見たら首を端から端まで丸く切ったように感じます。
以前、首のしこりを手術して、もっと前にはリンパ腺を手術してと首は傷だらけです。しかし、今回の手術は首に皺があるのと変わらない跡の見え方のようで、きれいに見えるのでありがたいなあと思います。

これで、全身麻酔の手術は4回目です。なんという経験をするのかなと思います。


二日目の夜は、二日目の昼が普通の感覚に戻ったので、もう大丈夫かなと思いましたが、やはり横になるとまた痰唾が出て来ました。しかし、昨夜ほどではなく、がーとやったり、咳払いをしたり、飲み込んだりとしている内に眠ることができました。

手術の後の状態は、時間と共に良くなって行き、本当に辛いのは最初の夜から朝までだなと思いました。

24時間経った後は、車椅子の私でも、自分でトイレに行けました。

そうだ、言い忘れましたが、手術中から管をはずすまでの間、両足にマッサージ機が付いていました。
それは、飛行機などのエコノミー症候群ということがありますが、それを防ぐためのもので、足に水泡が溜まらないようにするためだとお聞きしました。これは、私は初めてでした。過去3回の手術では経験しませんでした。

普通の時に、やったら気持ちが良いのでしょうね。手術後はあまりに長くやっているので、やや苦痛にも感じました。
締め付けられる苦しさのようにもなりました。

手術の後の、首の状態は、かなり腫れあがり、大きなものを取り去ったのに、ほとんど変わらないくらいの腫れ具合です。
そして、先生方が来て、それを押すのが苦しかったのを覚えています。痛いと言うより、押されて苦しいのです。
そして、その度に、大丈夫だとおっしゃるのです。それを聞く度に安心しました。

夜中に看護師さんも傷を見ていましたが、看護師さんもその「大丈夫ですよ」と繰り返しました。それはとても嬉しい一言でした。
何人もの患者を見ているので、甲状腺の専門なので、大丈夫だと言う事が看護師さんにもわかるのでしょう。
一日10人の方が手術を受けるそうです。一週間では、手術日が4日あるので、40人が私と同じ経験をしているのですね。
大変なことです。しかし、だからこそ、状況がわかるのですね。

私にとっては、一大イベントで、命がけの手術と思っているのに、看護師の人もお医者さんも当然のように、手術後ほとんどの人を退院させているのですから、入院当日のシミュレーションのように、予定通り全てが進んで行く感じがしました。

手術して3時間後にお水を飲む、6時間後に歩けるなどと簡単におっしゃっていましたから。

出される食事も、3分粥、7分粥、全粥と進んで、二日目には普通食になるのです。私は糖尿があるので、糖尿食でしたが、カロリーは1800で、結構な量でした。それと感じた事は、薄い味付けなのに美味しいのです。これはお見事でした。
さすがに都会の病院だなあと。他の病院に結構入院しましたが、醤油を用意しておかないとご飯が食べられないと思って買っておき、実際に使いました。ゴマ塩もご飯ですよも必要でしたが、ここでは全く使いませんでした。
そのお陰もあって、血糖値が一番低い時で、95という値になりました。

寝苦しかったのは、それでも3日目の晩までですね。やはり完全にすっきりとはいかず、途中何回も起きて、水を飲みました。
水で薬が飲めるようになったのは、二日目の夜くらいからです。水だけ飲んで、飲み込みやすくなってからそうしました。


しかし、24時間で、地下のレントゲン室まで行けたのですから、昨日手術した人とは思えないですよねというのが、正直な感想です。

そうだ、言い忘れました。私はもう帰宅して手術後6日が経った訳ですが、声が枯れています。
今日、行ったレストランで、風邪を引かれましたか?と言われました。しかし、掠れていても充分話すことができます。
低温で音量が小さいですが、全て話せます。
手術後、全然掠れてなかったので、さすがに日本一の病院だなと思いましたが、どういう訳か、二日目の朝目覚めると風邪をひいたときのような掠れ声になっていました。手術の後時間がかかってからこうなると言う事は、予想外でした。


でも、これは時間と共に治ってくるそうです。

退院はシュミレーション通り、手術後4日でした。金曜日に入院して金曜日に退院となりました。
お見事です。

伊藤病院の先生方、看護師さん達に本当にお世話になりました。有難うございました。
先生方も、看護師さんたちも笑顔がすばらしく、本当にやさしく親切で、甲状腺の手術をされる方には、絶対お勧めですよ。

以上で、この報告を終わらせていただきます。









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美術史クイズ 121

2011-01-30 | 美術史クイズ
美術史クイズ 121



第1問 このような絵を何と言いますか?
第2問 この絵は、どこにありますか?
第3問 この絵は、何美術と言われる時代の物ですか?
第4問 その美術の特徴をいいなさい。
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美術史クイズ 120

2011-01-30 | 美術史クイズ
美術史クイズ 120



第1問 この像は、誰の騎馬像ですか。
第2問 この像は、どこの美術館にありますか?
第3問 この像の大きさは、高さがどのくらいですか?
第4問 この人は、どこの国の王さまですか?
第5問 この人は、ローマ法王から何を与えられますか?
第6問 それは、西暦何年のことですか?
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