絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

今夜の天地人

2009-11-15 | いろいろ
今夜の兼続は、おかしいことだらけでしたね。

真田幸村が、一人で兼続に会いに来たところから、あり得ないと思いました。
また、夏の陣では、幸村は自分の意見が通らずに、家来を連れて、外へ出て戦ったということですが、そうであるなら、城が落ちるときに、千姫を井戸に隠すなどということをしている暇などなかったはずです。もっと、秀頼の傍に居た人間がそうするならわかりますが、幸村ではおかしいなあと思いました。
あそこまで、脚色をしてしまって良いのでしょうか?

天地人は、時々しか見てなかったのですが、それでもなかなかいいなあと思って見ていました。主役がいいですからね。
伊達政宗が兼続に、秀忠からの伝言を頼まれて、上杉を訪れたというのも果たしてどうでしょうか。でも、あれは、史実ならあってほしい話ですね。
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美術で実績を上げるには

2009-11-15 | 絵画指導
美術の場合、本当の全国一位ということが、なかなか決まりません。

高校野球のように、甲子園の優勝が全国一位ということがはっきりわかるなら、どんなに目標が立てやすいかと思います。
県予選をして、そこで全国代表が選ばれて、全国大会で一位が決まるというシステムがあったらいいなあと思っていました。

一応、全国高等学校総合文化祭というものがあって、文化のインターハイと言ってもいいのですが、その県予選は、絵画では6点選ばれます。そこまでは、スポーツと似たような感じなので、一応それが野球の甲子園出場と思ってもいいのです。
しかし、全国大会に行ってみると、そこでは一位二位などの順位はつきません。だから参加しただけで終わってしまいます。

一応、優秀作品と思われるものを50点くらい選んで、好評をいただくということも行われたことがありますが、その中に入りましたけれど、それでは、上位50点の中に入ったというだけで、日本一になったという感じはしませんでした。

また、県予選の場合も、私は純粋に審査されれば、本校の生徒は毎年選ばれてもいいだろうと思っていましたが、一部の決まった先生方の審査で決まるので、同じ学校が毎年選ばれない方がいいだろうというような教育的な配慮もあったのか、本校は、決まって3年おきでした。それでも3年に一回全国に出るのは、一番多く出していただいたことになるのかもしれません。

それが、おそらく公平ではないという意見が出されたのでしょう。なぜなら、生徒は毎年違うのです。だから同じ学校から選ばれても構わないはずです。それで、一部の先生方だけで決めるのではなく、美術の教員が全員で投票して決めようということに方法が変えられました。それ以来、本校は毎年、全国大会に選ばれるようになりました。ここ5年連続で埼玉県代表で、全国に行っています。

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一応、このように県予選をして、代表を決めるというものも、あるにはあるのですが、この一回だけなのです。後は、別々のコンクールで、県の予選もなくそのまま出品するものばかりです。
代ゼミの全国コンクールは、15年も連続で入選数全国一位を取りましたが、全国から代表的な学校が全て参加するなら良いのですが、そうではないので、純粋に全国一位になったとは言いにくい状況でした。

また、国際コンクールで、世界2位3位5位と個人賞を3人が取りましたが、それも日本中の美術の有名校が参加したとは言えません。しかし、世界30カ国から出品があったことは確かで、1900点の中で、上位を3人が占めたのですから、そのコンクールでは、世界一になったと言っても良かったわけです。

そういうコンクールを上げて行けば、切りもなくあります。尾道のコンクールは、ヨーロッパご招待になりました。オーストラリアのコンクールでは、全国一位になって、オーストラリアご招待、日本と台湾のコンクールでは、二年続けて台湾にご招待など、高校生のコンクールは出せば、一位になりました。

佐藤大成展だったかな?大学院の学生までが、出品できる展覧会で、大賞も取りました。これは、大学生全員に勝ってしまったことになります。また、東海大アートコンクールも二年連続日本一を取りました。旺文社学芸科学コンクールでは、美術だけでなく、さまざまの分野がありましたが、それらすべての一位、文部科学大臣賞という純粋な全国一位でした。

それよりも、埼玉県展入選26名とか、群馬県展特選とか、県北展知事賞の方がすごいでしょうね。また、水彩連盟展に10人出して、全員入選したこともすごいかもしれません。

切りが無いですね、書き切れません。

だから、本当の甲子園のような誰もが認める日本一というコンクールがないのが、とても残念でした。

それでも、高校生のコンクールに出したものは、変な言い方ですが、遊び感覚の作品が多かったのです。本人の全力投球の作品は、やはり、県展や水彩連盟展のような本格的な大人の展覧会でした。

美術の場合は、このようなコンクールですから、日本一の実績をあげるには、私のように一般の展覧会に出品させるのが良いと思います。これから、高校の美術部を盛んにして、実績をあげようと思う先生は、そのような取り組みをしてみてください。
大変ですが、頑張ってください。




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ローマ人の物語12 パート3

2009-11-15 | 読書
いま読んでいるところは、3世紀のローマですが、1年で皇帝が5人も代わりました。代わったということは、亡くなったということです。ほとんどが殺されました。
こんなことがあるでしょうか。日本では、天皇陛下が一年で5人代わるということはないですね。江戸幕府でも250年間に将軍は15人です。総理大臣が一年で代わるということが続きましたが、それでも一人1年はやっています。それが、次々と殺されて、一年で5人とはとんでもないことですね。

今、皇帝がいるのに、北アフリカで皇帝になってくれと人々から推されて元老院に申し出たゴルディアヌスが、認められると、今の皇帝マクシミヌスは国家の敵だと言われて、殺した者に賞金を出すということになっちゃうんですから、とんでもないことですね。

こんなことがあるでしょうか。それで、マクシミヌスに味方したものも、敵と見なして、捉えて殺すという宣言がなされます。だから、怒ったマクシミヌスは元老院に攻め込むということを考えますね。とにかく、内乱状態です。

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美術史を学ぶには、必要ないことなので、ほとんどこんなことは勉強しませんでしたが、今回の勉強ではこの史実に出会いました。ただ、思ったのは、いろんな所にコロッセオがあったり、ローマ式の都市があったりするのは、なぜだろうと思っていたことが、すこしわかりました。ローマは、軍隊をいろんなところに駐屯させますが、その兵隊を住まわせるためには、ローマと同じような生活ができる町が必要になります。また、娯楽も必要です。そのため各地にコロッセオを作ったり、公衆浴場を作ったりする必要があったのだろうと想像しました。
建築は、美術の分野ですから、当然勉強することになります。だから、ローマの歴史を読んでいると、こういう背景があるから、ここに都市ができているんだなと考えられるようになりました。その意味では、私も一通り歴史を知っているといいなあと思いました。
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県北展搬入

2009-11-15 | 日記
今日は、県北展の搬入に行ってきました。
昨日の激しい雨とは、打って変わって、穏やかな小春日和になりました。児玉の山を抜けて秩父の体育館まで、40分です。思ったより早いですね。秩父というともっと遠いというイメージがあるのですが、児玉の山を抜ける道は140号を行くよりずっと早く着きます。
紅葉が秋の日差しを浴びてとても綺麗でした。帰りは、何度も車を停めて写真を撮りました。意外なのは、道が良くなったせいか、トラックが多いことです。車を停めていると邪魔になるかなということが気になりました。
  

現実は、もっとずっと鮮やかなのですが、写真だと出ませんね。ちょっと、残念です。でも、遠くまで出かけて行かなくても、こんなに近くでいい紅葉が見られます。嬉しいですね。 
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