絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

伊藤病院通院

2011-03-01 | 甲状腺手術体験記
今日は、甲状腺の手術の後、初めての通院でした。

私の主治医は、久保田先生といいますが、手術が終わった後、実は執刀医は副院長でしたと言われました。
面白いと思ったのは、手術の先生は手術の二日前に決まり、手術当日までお会いしませんでした。私にしてみれば、どの先生でも同じことで、力量を見て先生を選ぶなどということはできませんから、言われるままお願いするしかありません。

というわけで、手術当日、挨拶に来られたのは、執刀医の渋谷先生でした。
朝、私が担当します。それでは、時間になりましたら、手術室でお会いしましょうと言われました。だから、てっきり渋谷先生が執刀してくださったのだと思っていたのですが、
終わってみれば、実は副院長がしたのですといわれたのです。

私は、その理由について、特に質問しませんでした。主治医の久保田先生も理由めいたことを言いかけて、しかし、詳しくは語らず、こういうことはよくあることでとおっしゃっていました。

先ほども述べたとおり、私にしてみれば、どの先生でも同じことで、うまく行けばそれでいいのですから、詳しく聞くことをやめました。
ただ、勝手に思ったのは、私の場合は、やはり大きいので、ベテランの副院長がやる方が良いと判断したのかな?ということでした。
また、場合によると、執刀医の先生が急に具合が悪くなったのか?とか、いろいろ考えられると思いました。

しかし、よくよく考えると、副院長がやったということは、メンツにかけて失敗は許されないから、そう考えたら実にラッキーなことだったのではないかと考えました。

ーーーーーーーー
というわけで、今日の外来の担当医師は、その執刀をしてくださった副院長先生でした。
私は、どの先生が副院長なのかわからず、初めてお会いする感じです。手術の後に病棟にきてくださったのかもわかりません。自分が手術後で朦朧としていたので、わからないのか、とにかく執刀をしてくださったのが副院長だと聞いてからのちは、お会いしていないと思うのです。
また、副院長先生にしても、私と話すのは初めてだろうと思います。なぜなら、私は麻酔で寝ていたのですから、目を開けた状態でお会いするのが初めてという気がします。

しかし、おかしなものだなあと思いました。
お互いに知らない同士が執刀医と患者というのですから。

ーーーーーーーーー
今日初めてお会いして、ああこの先生が副院長で、この先生が手術してくださったのかと思いました。印象は、とても穏やかな優しい感じの先生でした。

結果は、順調で、血液検査も異常なしと言われました。
のど元が、しこりのようになっていて、飲み込むのにつれるけれど、それは徐々に取れてくるから心配ないですよと言われ、取った組織も良性でしたから、心配要りませんとのことでした。

やはり、エコー検査では良性と言われても、手術してみたらがんが見つかったという場合もあると聞いていたので、今日の結果を聞くまでは、判決を聞くような思いがありました。

手術後の、テープももう取って良いと言われ、完全に傷は塞がりました。

ーーーーーーーー
今日は、外来で21人待ちで、二時間近く待たされましたが、待たされても苦になりませんでした。結果が良いと言われて、とてもハッピーな気持ちで帰って来ました。

もうお風呂に入って、首まで浸かれます。それも嬉しいことの一つです。

命がけの手術と言われて、それ以降非常に苦しい夢でうなされたりしましたが、終わってみて、本当に伊藤病院で手術をして頂いて良かったなあと思います。





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甲状腺手術その後

2011-02-03 | 甲状腺手術体験記
手術を受けて、10日が経ちました。
痛み止めの薬は5日で切れて、その後どうなるかと思いましたが、手術からずっと痛いと感じることはなく、嬉しい状態が続いています。
しかし、のど元は、手術の日以来ずっと固いもので固められているようで、圧迫感はずっと続いていて、すっきりとはいきません。
やはり、私の場合は、大手術だったのだろうと思います。

もしかして、取り去った部分に別の物を嵌め込んだのではないかと思うほど、ガチッと固くなったままです。

それで、手術の後の状態がこのようで良いのか不安になり、昨日電話をしてみました。
すると、運よく主治医の先生が電話に出てくれました。
そして、それは手術の後の出血が固まったものなので、徐々に取れていきますから、心配いりませんとお答えいただきました。飲み込むときにひきつった感じがしてちょっとつらいでしょうが、大丈夫ですからと言われました。

それで、とても安心しました。
これは大変だ、再手術だとなると嫌だなと不安になっていたのです。
想定された状態であるとお聞きすると安心するものです。

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甲状腺手術 つづき3

2011-01-30 | 甲状腺手術体験記
朝が来ました。

喉が痛くなるほど、唾を飲み込んだので、喉が痛みました。
時々、水を飲みましたが、その水も途中から飲み込むのが辛くなって、ほんの少ししか飲めません。
また、最初はそうでもなかったのに、飲んだ後咽る状態が起こり始めました。

しかし、朝飯が出て来ました。水も飲みこむのが大変なのに、とてもそれ以外のものは喉を通らないだろうと思いましたが、看護師さんが、「いえ、お水より喉の通りが良いですよ」と教えてくれました。
手術後の最初の食事は、3分粥です。また、とろろ汁、茶碗蒸し、豆腐がありました。最初はおそるおそるとろろ汁から行きました。すると、たしかにスムーズに飲み込めます。へええと思いました。小さなスプーンでほんの少しだけ飲み込んで、飲み込める喜びを感じました。唾さえなんとなく苦しい感じだったのですから。そして次に茶碗蒸しに移り、これもまた飲み込めました。
やったーという感じです。でもときどき咽ます。そして最後に3分粥に移るとこれも大丈夫でした。

ただ、問題は薬です。これは粒です。喉を通るかなと思い、途中でつっかかって咳で出てしまわないかと気になりました。
すると、また、看護師さんが「ヨーグルトと一緒に飲むと飲めますよ」と教えてくれました。
食後にヨーグルトが出ているのです。言われた通りやってみました。すると、確かに嘘のように薬が何も感じないで飲み込めました。ほおーーー凄い!
これは、初めての体験でした。みなさん、知っていて損はない情報ですよ。

ということで、ゆっくりでしたが、出されたものを全て食べました。

寝ているよりも、ベッドで起きている方がお尻が楽なので、しばらくそのままの状態でいましたが、まだ、点滴がつながっています。私は車椅子でもあるので、完全に移動できるまでは、おしっこの管は抜かないでおこうという事で、朝の点滴が終わるまで、
繋がれていました。

点滴が終わって、その後に管を抜いて、手術着から自分のパジャマに着替えました。そのときにオシッコの管も抜きました。
痛いかなと思いましたが、看護師さんが変な感じがしますよと言った通り、痛くはなく、少し感じた事のない違和感がありました。

これで、点滴と管から解放されました。それが、午前中のことです。

お昼は、7分粥になっていましたが、それもスムーズに全て食べ、やはりとろとろしたものが出たので、それで薬を飲みました。
薬の中には、痛み止めも入っているとのことで、痛みという物は首を触らなければ、ほとんど感じることなく、これだけ凄い大きさで切ったのに痛まないのは不思議でした。痛みより痰唾が苦しかったからでしょうか。

朝からは、痰唾は出なくなり、ほとんど普通になりました。
そして午後は、地下のレントゲン室に撮影に行くことができました。

普通の歩ける人は、手術後6時間で歩けるようになるとも聞きましたが、私の場合は障害者ですから、簡単にトイレにいけないので、少し他の人より遅くなりました。

でも、まだ、首には管が繋がっています。手術後の出血を外へ取りだすための管です。それが外れたのは二日目の午後でした。
丸二日で、管は全て取り外されました。私は、その管はもう少し長く付けて置いてくれないかなあと心配になりました。その後出血したら再手術と聞いていたからです。しかし、お医者さんの判断で大丈夫とのことなので、従うしかありません。

面白いのは、後で聞きましたが、内側の筋肉は縫いますが、外側の皮は縫わないで、テープで止めるだけとのことでした。
えーーーです。塗った跡がつかなくて良いという理由だそうです。
細かく、何枚ものテープがセロテープを貼るみたいにべたべたと貼ってあるだけです。
すごいなあと思いました。管を抜いたら穴があいているのだから縫うだろうと思いますよね。それが違うのです。
穴を塞ぐようにテープを貼るだけなのです。痛くもかゆくもありませんでした。

現代の手術は、こんな簡単になっているんですね。

私の場合は大きかったので、トックリセーターのラインのように20センチくらい切りました。
だから、前から見たら首を端から端まで丸く切ったように感じます。
以前、首のしこりを手術して、もっと前にはリンパ腺を手術してと首は傷だらけです。しかし、今回の手術は首に皺があるのと変わらない跡の見え方のようで、きれいに見えるのでありがたいなあと思います。

これで、全身麻酔の手術は4回目です。なんという経験をするのかなと思います。


二日目の夜は、二日目の昼が普通の感覚に戻ったので、もう大丈夫かなと思いましたが、やはり横になるとまた痰唾が出て来ました。しかし、昨夜ほどではなく、がーとやったり、咳払いをしたり、飲み込んだりとしている内に眠ることができました。

手術の後の状態は、時間と共に良くなって行き、本当に辛いのは最初の夜から朝までだなと思いました。

24時間経った後は、車椅子の私でも、自分でトイレに行けました。

そうだ、言い忘れましたが、手術中から管をはずすまでの間、両足にマッサージ機が付いていました。
それは、飛行機などのエコノミー症候群ということがありますが、それを防ぐためのもので、足に水泡が溜まらないようにするためだとお聞きしました。これは、私は初めてでした。過去3回の手術では経験しませんでした。

普通の時に、やったら気持ちが良いのでしょうね。手術後はあまりに長くやっているので、やや苦痛にも感じました。
締め付けられる苦しさのようにもなりました。

手術の後の、首の状態は、かなり腫れあがり、大きなものを取り去ったのに、ほとんど変わらないくらいの腫れ具合です。
そして、先生方が来て、それを押すのが苦しかったのを覚えています。痛いと言うより、押されて苦しいのです。
そして、その度に、大丈夫だとおっしゃるのです。それを聞く度に安心しました。

夜中に看護師さんも傷を見ていましたが、看護師さんもその「大丈夫ですよ」と繰り返しました。それはとても嬉しい一言でした。
何人もの患者を見ているので、甲状腺の専門なので、大丈夫だと言う事が看護師さんにもわかるのでしょう。
一日10人の方が手術を受けるそうです。一週間では、手術日が4日あるので、40人が私と同じ経験をしているのですね。
大変なことです。しかし、だからこそ、状況がわかるのですね。

私にとっては、一大イベントで、命がけの手術と思っているのに、看護師の人もお医者さんも当然のように、手術後ほとんどの人を退院させているのですから、入院当日のシミュレーションのように、予定通り全てが進んで行く感じがしました。

手術して3時間後にお水を飲む、6時間後に歩けるなどと簡単におっしゃっていましたから。

出される食事も、3分粥、7分粥、全粥と進んで、二日目には普通食になるのです。私は糖尿があるので、糖尿食でしたが、カロリーは1800で、結構な量でした。それと感じた事は、薄い味付けなのに美味しいのです。これはお見事でした。
さすがに都会の病院だなあと。他の病院に結構入院しましたが、醤油を用意しておかないとご飯が食べられないと思って買っておき、実際に使いました。ゴマ塩もご飯ですよも必要でしたが、ここでは全く使いませんでした。
そのお陰もあって、血糖値が一番低い時で、95という値になりました。

寝苦しかったのは、それでも3日目の晩までですね。やはり完全にすっきりとはいかず、途中何回も起きて、水を飲みました。
水で薬が飲めるようになったのは、二日目の夜くらいからです。水だけ飲んで、飲み込みやすくなってからそうしました。


しかし、24時間で、地下のレントゲン室まで行けたのですから、昨日手術した人とは思えないですよねというのが、正直な感想です。

そうだ、言い忘れました。私はもう帰宅して手術後6日が経った訳ですが、声が枯れています。
今日、行ったレストランで、風邪を引かれましたか?と言われました。しかし、掠れていても充分話すことができます。
低温で音量が小さいですが、全て話せます。
手術後、全然掠れてなかったので、さすがに日本一の病院だなと思いましたが、どういう訳か、二日目の朝目覚めると風邪をひいたときのような掠れ声になっていました。手術の後時間がかかってからこうなると言う事は、予想外でした。


でも、これは時間と共に治ってくるそうです。

退院はシュミレーション通り、手術後4日でした。金曜日に入院して金曜日に退院となりました。
お見事です。

伊藤病院の先生方、看護師さん達に本当にお世話になりました。有難うございました。
先生方も、看護師さんたちも笑顔がすばらしく、本当にやさしく親切で、甲状腺の手術をされる方には、絶対お勧めですよ。

以上で、この報告を終わらせていただきます。









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甲状腺手術 つづき2

2011-01-29 | 甲状腺手術体験記
入院の日が来ました。

入院は、絵の仲間が手伝ってくれました。両親は高齢で、運転をたのめません。
弟にほとんど全てを頼むことにしましたが、病院が遠いので、他の人にも頼めたらいいと思い頼んでみました。
すると快く引き受けてくれた方がいたので、助かりました。

入院、手術、退院の三回、東京まで来てもらうには、大変な苦労をおかけすることになります。
その度に、私の家から車で来るには、高速を使っても2時間半がかかります。
だから、母には手術の日だけ来てもらい、それ以外は弟に頼みました。

私は一人ものなので、こうした時は妻や子供がいる人はいいですね。

入院は、21日(金)でした。
個室は特別料金がかかります。一日2~3万円かかるようなことを聞きましたが、私は庶民なので4~6人部屋でお願いしました。幸い、4人部屋でしたが、前から入っていたのは、一人だけでしたので、とてもゆっくり使えて楽でした。

手術は、24日(月)です。
土日は、待つだけという感じです。
日程表は、一週間になっていて、手術をしてから4日で退院とのことです。
看護師さんはそれが当たり前のように考えていて、手術後の状況によっては、退院が長引くということを考えていません。
入院初日にいろいろ説明を受けて、一通り聞いていると、聞き終わったときには、もう全て終わったと言う気がするほど、シュミレーションがなされました。

手術後のいろいろな予定まで、全てです。

ーーーーーーーーーーーー
手術の日は、母と弟が来てくれることになっていましたが、東京にいる伯父叔母も来てくれました。
これは、良かったなと思いました。家族だけだとあまり話すこともないので、待っている間が暗く沈んでしまいます。誰か少し気楽な人がいた方が、待っている間の時間がお話しすることで、気がまぎれるのです。
家族がいることは、手術の途中で、なにか起こった時に説明と相談をするためだそうです。そして、手術後の説明を受けるためです。成功したのか、手術後の心配することなど。だから、来なくてもいいよと言ってはいましたが、やはり必要なようです。

完全看護だから、付き添いは必要ありませんと説明を受けたので、夜は看護師さんたちが面倒をみてくれます。

手術の時間を待ちました。
叔母さんが、「私なんか何回も手術をしているんだから、それでもこうして元気でいられるんだから、大丈夫よ」と励ましてくれました。こういうときは、経験者がそういう話をしてくれるのは、心強いです。

朝、手術を担当する先生が顔を見せてくれました。私が担当します。「安全のために大きく切りますからね」とおっしゃいました。
そして、「では、時間になったら手術室で会いましょう」と言われました。私は「お願いします」と頭を下げました。この先生が手術をしてくれるのか、ベテランで頼りになりそうな先生なので良かったなどと、勝手な感想を持ちました。
しかし、手術する先生は主治医ではなく、他の先生だと言う点が不思議でした。この病院では、手術をする先生は、二日前に決まります。だから、土曜日に言われたのです。手術の時間も土曜日のお昼頃告げられました。この時間が前もってわからないと、家族に来てもらう時間に関係するのです。家から2時間半かかるので、道が混むことも考えると、家を早めに出る必要も出て来ます。私の場合は、お昼頃が予定時間でした。

手術は一人でするのではなく、三人くらいが関わるのだそうです。でも執刀医という言い方で、中心になってやる先生という意味で一人の先生が挨拶に来ました。私の場合は、糖尿があるので、内科の先生にも立ち会ってもらうと言っていました。

時間になりました。私は3例目ということでした。3番目と言わず、3例目というんですね。
後で、知ったことですが、一日に10人の手術を行うそうです。手術室が2つなので、一部屋5人なんですね。

それだけ多くの人が手術を受けているのです。

私はベッドの上で、手術着に着かえると、頭もビニルの帽子を被り、紙パンツを履きました。
車椅子で運ばれ、手術室は6階でした。手術台は自分で上り、その後、点滴、血圧など何人もの人が私に必要なことを施していきます。そして、いつのまにか麻酔をかけられて眠ってしまいました。以前やったときは「眠くなりますよ」と言われた気がしましたが、今回は言われたのかどうか記憶にありません。ただ、いよいよ始まるなと思いました。すこしだけ人ごとのような気がしました。
感じた事は、いつもの手術室のあのライトと違うなということでした。

そして、次に気がついた時は、「終わりましたよ」でした。
私は朦朧としていましたが、はっきりわかりました。自分から聞いたのかどうか、「輸血はしないで済みましたよ」と言われました。良かったです。なぜなら、輸血の承諾書を書いた時、危険性が書かれてあったからです。
HIV,何とか肝炎など、何パーセントの割で危険があると書かれていたからです。
輸血をしなかったことは、その危険がなくなったことを意味します。

ーーーーーーーーーーーーーーー

当然ですがベッドに寝かされたまま部屋に戻り、問題の時間が始まりました。

私が夢でうなされた問題の時間です。ただ、想像と違ったのは、次々とやることがあって、看護師とお医者さんがたが来たりして、こんなにいろいろ忙しいのかということです。手術が終わると、伯父叔母が帰りました。そうなのです。伯父叔母は私の母と弟のために役に立ってくれたのです。私に無事に終わって良かったねと言い、お大事にと挨拶して帰りました。
私は、有難うございました。ということができました。
あれっと思ったのは、まず、声が出ることでした。
少なくとも声がかれると思っていたので、そうならないことがやはりここは日本一の病院なので、上手いのだなということでした。心配したことが、ほとんど起こらず、100パーセントを目指しますと言う事が、本当だと思いました。

手術してから3時間は動かないでくださいと言われていました。それは、ちょっとつらいことでした。
がっちり固められて、動けないようにもしてあったと思います。まるで、重い鎧を身に付けたようでした。
その間、入れ替わり立ち替わり先生たちが現れました。内科の先生も何科だかわからない先生方も、とにかく初めて見る先生たちが、それぞれの分担があるのか、見に来るのです。
そして、みんなそれぞれ、大丈夫だなと言って帰るのです。私は呆気に取られていました。
麻酔がきいているのでしょう、痛みは感じませんでした。切れたら痛いのだろうと思いましたが、結局、最後まで痛みはほとんど感じませんでした。

3時間が過ぎた時、初めてベッドを上げて、水を飲まされました。この水が問題のようです。
飲んでみて、あまり飲み込めないのを感じましたが、それでも飲みました。すると、浸みませんか?と問われました。
特に浸みませんと答えました。飲み込めない人、浸みて咽る人がいるそうです。じゃあ、大丈夫だねと言われました。
上体が起きると、お尻が楽でした。それで、しばらく起きたままいましたが、同じ状態でいると疲れてきます。
それで、また倒してもらいました。

それからが、大変です。何が大変かと言うと、唾でした。痰が絡むのです。何回か息をすると痰が絡む。それを取らないと苦しくて呼吸が苦しいのです。しかし、喉を手術しているので、刺激をしてはいけないらしく、がーといって痰を出すのはなるべくしないでほしいと言われ、しかたなく唾だけを頻繁に出すように心がけました。
この痰唾は、麻酔をするときに、管を通したため、喉を刺激して、荒れるらしいのです。そのために出るとのことでした。

右手は点滴、左手は血圧が付いてました。だから、自分で口のところまで、手を持って行くことができません。
それで、弟に口を拭いてもらいました。何回も何回もです。
唾を拭きとるのは、他人がやると難しのだなと思いました。出した唾がもう一度つくととても嫌なので、拭き取るようにとって欲しいのですが、こちらが望むようにはいかないのです。

弟は、母を連れて帰らなければなりません。それで何時までいてくれたのか忘れましたが、その後は自分でティッシュを取れるようにしてもらいました。幸い血圧を測る器具はその時点で取り外してもらえたので助かりました。
完全看護とはいえ、傍にいてくっついてティッシュの世話まではしてくれません。そう考えると、手術の後の一晩だけは付き添いがいるべきではないかという気がしました。

手術の後で、首はがっちり固められた状態で、自由に物を探せません。だから、ティッシュと看護師さんを呼ぶスイッチを左手で手探りで探します。それがすぐに掴めない時はとても困りました。

また、足にマッサージ機がついているのです。エコノミー症候群になることを防ぐ器具なのだそうです。
だから、足も固められているような感じです。そして、おしっこの管がついています。

そんな状態で、朝まで過ごしました。

一番苦しかったのは、痰唾でした。このために眠ることができませんでした。
唾は拭いても、やはりごっくんという飲み込む行為はしてしまいます。その度に苦しくなります。
看護師さんが「少し眠れるように痛み止めをしますからね」と言ってくれました。私は筋肉注射だと思っていましたが、点滴の中に入れるから痛くありませんよと言いました。今は、筋肉注射はしなくなりましたとのことです。
ただ、この痛み止めは、痛みを感じなくさせてくれたのでしょうけれど、眠気は失敗でした。
これは拷問です。眠くなるのですが、痰が苦しくて起こされるのです。眠くて朦朧とした中で、起こされるという状態です。
お分かり頂けるでしょうか。それで、苦しみました。
ティッシュの箱を二つ使いました。一つは使いかけでしたが、それでも小さめの箱の二箱分は使いました。ゴミ箱は一杯になり、一度捨ててもらいましたが、また一杯になりました。

朝方になって、やっとティッシュが必要なくなりました。

途中、看護師さんを何度も呼びました。同じ格好をしていると、腰が辛くてどうにもならないので、寝返りを打ちたいのです。ただ、首が固められているようで、思うように寝返れず、少し向きを変えては、腰の下にバスタオルを入れてもらいました。
この時も誰か付き添いがいれば、看護師さんを呼ばなくても済むと感じました。
寝返り、ベッドの角度を変えてもらう、ティッシュの箱の位置、ゴミ箱の位置、起こしてもらって水を飲む、いろいろあります。そして、途中で看護師を呼ぶスイッチがわからなくなり、柵にしばりつけてもらい、わからなくなっても探せるようにしてもらいました。

これが、手術後の一晩でした。とにかくいつまで経っても世が明けないのです。
ここ数年で一番長い夜でした。

それでも、朝方になると痰唾が少し楽になった分、眠ることができたのは幸せでした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー
つづきます。























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甲状腺手術 つづき

2011-01-29 | 甲状腺手術体験記
続きです。

手術する方が良いと、伊藤病院で言われて、大学病院に行きました。

そして、外科の先生に診てもらいました。
すると、意外なことを言われました。

やはり、「手術してもしなくても良いけれど、するなら命がけだよ」と。
「お腹の手術なんかよりもよっぽど危険があるんだから」と。問題は手術後の出血だそうです。
手術中は血を止められるけれど、術後の出血は再手術になるそうです。
また、大量の出血が予想されるので、輸血の用意は欠かせないし、出血多量でショック死もありうる。
神経が麻痺したとき、片方の神経だけなら声が掠れる程度で済むけれど、両方が麻痺したら、気管に穴を開けて呼吸をさせることになると言われました。
恐ろしい話です。そして、最低二日間は集中治療室に入るのだそうです。

これは、超ヘビー級だからなあとなんだか手術の遣り甲斐がありそうな笑顔で言われました。
大分脅かしたけど、95パーセントは大丈夫だから、よく考えて見てくださいとのこと。
でも、95パーセントはバカにならない数字です。大抵は大丈夫と見るか、20人に1人は危険と見るかです。
20人に1人という確率は当たってしまいそうな気がしたりします。

このまま、一生メルカゾールで生きるのも構わないし、手術をしてもいい。
ただ、問題は、他の病気になった時、メルカゾールが邪魔になることがある。使えないときが困る。
それと、大きくなればなるほど手術は難しくなるし、あなたも年をとるほど、体力的に大変になる。
だから、若い時に手術をしておく方がいい。

ただ、今すぐ決断しなくてもいい。慌てることじゃないから、じっくり考えて結論を出してください。と言われた。

ーーーーーーーーーーーーーーー
この話を聞いて、私はビビりました。

手術と言っても、以前お腹を切ったときのような大変な思いはしないだろうと思い、嫌だけどまあ大したことはないだろうと考えていたのです。しかし、この説明を聞いて、怖くなりました。
だから、してもしなくてもとか、自分で選んでいいという話をされていたのかなと思いました。
がんなら、何が何でも直ぐに手術だけれど、そうではないから、選んでいいというのです。

大学病院では、別の日にもう一人の先生のアドバイスも受けましたが、やはり似たようなお話でした。
ただ、言われたことは、お医者さんが自分の家族なら手術を受けさせると言ったことでした。
その言葉は少し救われました。ある意味で手術に自信があるのだと思ったのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし、私の不安は消えません。そうか命がけの手術なのかと。考えれば考えるほど、ここで命が終わるとしたらということを考えてしまいます。そのためには、何をどうしておく必要があるのか?
預金は、保険は、投資信託は、携帯やパソコンの契約は、図書館の本を返すことまで、いろいろです。
通帳やカードの暗証番号を誰に知っていてもらうのがいいかまでも。


自分のことを書きだした重要なものをまとめておこうか、誰に何を書き残そうか?
絵も、卒業生の顔を描く約束が果たしてないなあとか、誰に絵をプレゼントしようと思っていたのに、まだできていないなあとか。御線香をあげに行きたいと思いつつできないでいるなあ、手術の前に行こうか?
こんなことが、次々と浮かびました。

しかし、これらのことをやればやるほど、死に向かう事を強めるような気がして、やらない方がいいのではないかと考えてしまいます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

大学病院では、一応、仮予約だけと勧められて、手術の予定を10月14日という日に抑えてもらいました。
いつキャンセルしてもいいから、一応入れておきましょうとなりました。

ただ、どうしても不安なので、やはり伊藤病院で手術をしてもらう方が良いのではないかと思い、三回目の通院に行ってみました。

ーーー―ーー 伊藤病院三回目の通院  ------

そして、手術を再度勧めてもらい、予約を入れたのが、1月でした。
以前の先生は8カ月先とおっしゃいましたが、予約の部屋で言われたのは、4カ月先の1月でした。
大学病院には、キャンセルの連絡を入れました。そちらでは不安なので、伊藤病院にしましたとは言えません。
もう少し考えたいので、このまま内科で続けてみますと言う事にしたのです。

伊藤病院で大学病院で言われたことを話すと、「リスクのことばかり言っていたら、手術なんてできないですよ」と言われました。
手術は危険が伴うのですから、一応はそういうこともないとは言えませんが、こちらは100パーセントを目指しますと言ってくれました。それと、あなたより大きい人の手術は何人もやっていますからとも言われました。
それを聞くと、こちらの方が慣れているんだなと思います。

万全の準備で臨みますからねとも。

聞いてみると、ここでは毎日10人の患者さんが手術を受けているそうです。
先生方も一流の方たちばかりで、本当に専門病院として日本一なんだなと思いました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それで、手術を待つ日々が続きました。

ときどき、圧迫感が強くなり、このまま待っていて大丈夫なんだろうかと思い、予定より早くやってもらう訳には行きませんかと電話してみたり、あまり圧迫感が感じられない日々が続くと、またキャンセルしようかなと思ったりしました。
勝手なわがままです。
今までのことがいろいろと浮かんできます。そして、寝ていてうなされるようになりました。どうしても大学病院で言われたことが頭に浮かんでしまうのです。

手術後の自分が出血で苦しんで、窒息死する夢です。
昼間起きている時は、何でもないのですが、目覚めの頃の気持ちが緩んでいる時に見る夢でうなされるのです。
手術をしなければならないということが夢ならいいなあと思う甘い気持ちがあるからです。
断ろうかなとも思ったり、そうしたらまた手術の日程が白紙に戻って、予約の取りなおしになるとか。そんなことで待っていたら、どんどん腫れて、自分で自分の首を絞めることになるなど、つまらないことを次々と考えてしまうのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そのとき、自分を励ましたのは、何のための手術なのか?死ぬためじゃない。
95パーセントは大丈夫だ。100パーセントを目指すと言ってくれた。日本一の病院である。
私より大きい人を何人も手術している。
これらの言葉でした。

これは、重要です。いかに自分を励ますかです。
私はつくづく弱いなあと思いました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もう、全身麻酔の手術は3回受けています。今度が4回目になります。それでも、慣れるものではありません。

人からは、「平気そうでいるので、すごいなと思います」と言われましたが、とてもとても、そんなではありません。
入院前日のデッサン会にも休まず参加して指導しましたら、入院前なのに、すごいねと。

以前、私はこう言って自分を励ましたことがあります。
手術は嫌だけど、その日になったら嫌だと思えばいいや。その前から暗くなっていなくもいいじゃないか、笑って生きるのも人生、暗く下を向いて生きるのも人生。好きな方が選べるよ。と。

そう思ったら、そうだなと思えたので、そうすることにしたのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つづきます。






















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