絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

鉛筆デッサン 2010年7月20日の続き

2017-07-02 | 絵のこと
2010年7月20日に「鉛筆デッサン」というタイトルで、ブログの記事を書きましたが、
今日、調べていたら、それを検索してみてくださった方がいました。

それで、少し続きを描きたいと思います。

ーーー
その後、鉛筆デッサンで気づいたことを書きます。

一つは、私は鉛筆デッサンはケント紙で描いていましたが、最近は画用紙で描くようになりました。
ケント紙では、表面がツルツルしているので、どうも描きにくい感じがして、画用紙でやってみたら
味が出ていい感じだなと思ったことです。
大学受験の鉛筆デッサンはケント紙ということが頭にあったので、それが当たり前だと思っていましたが、
受験生に聞いてみたら、最近は受験でも画用紙を使うようになったということでした。

2つ目は、鉛筆ですが、以前はHBを基本にして、2Hから2Bまでという描き方をしていましたが、
HBでは、ちょっと薄い気がして、全体の黒さを考えたとき、2Bをベースにした方が良いと思い、
最近は、2Bだけで描くようにしています。ただ、目の表現は、やはり細かい表現になるので、2Hを使います。

3つ目は、擦筆を使い始めました。先日麓原会の批評会で、お話しましたが、ほとんどの人が知りませんでした。
指で擦る代わりに使うものです。鉛筆の形をしていますが、紙でできています。
そのままでは、何も描けません。描いた鉛筆を擦るものです。
100円くらいで買えます。

最後に、極最近は、紙をワトソンで描いています。
スケッチブックを忘れて、しかたなくワトソン紙で描いたのですが、これがなかなかいい感じになったので、
2Bで描くには、この方がいいかなと感じました。

細かい表現をしたい場合は、目が粗くて適さないかもしれませんが、強い(黒い)デッサンを描きたい場合には、良いと思いますので、
試してみてください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵と感動について 3

2015-11-14 | 絵のこと
絵は感動から始まる。感動にもレベルがあるというお話をしてきました。

ただ、考えてみると、絵は感動したものをそっくり写すことか?という問いをしてみたくなります。

感動があり、作品つくりをする。そうすると、感動イコール絵(完成)となるわけです。

でもそうだろうかと思います。


写真なら、その通りですが、絵は描くという作業があります。時間がかかります。
部分的に進んだり手着けずだったりします。


私などは、描いているうちにどんどん変化していきます。

描いている間に、新たな感動が生まれます。それは、絵そのものの中にあります。
絵具の付き具合であったり、潤いであったり、タッチの味であったり、描かれた部分と描いてない部分が見せてくれる
途中経過、そこに初めのテーマとは違う感動があるのです。
そして、絵が変わっていきます。

出発点における感動は、作品つくりのきっかけに過ぎず、大きな組み立てはその感動ではありますが、
途中絵画制作をしている段階で、新たな感動が加わって、作品が変わっていくのです。

同じところを描いても、写真のように描いていくと、誰もが同じ絵になりますね。
しかし、現実は描く人によって同じ風景でもかなり違ってくる。
それは、この絵画制作の途中で感じる何かが、決めるのではないかと思います。

私は、この途中経過での感動を、絵と会話すると言っています。

絵が見せてくれる途中経過によって、絵が変わって行く。

ーーーー

私が描いた雪景色も、実際の風景とはかなりかけ離れた絵になっています。
現場に行くと、「えっ、ここ?」と言われます。
そのくらい現実とは違っています。

理想を求めて、取捨選択をしているからですが、写真に写っているものを全て写す訳にもいかず、
むしろ全て写さない方が、絵として良いと思えるのです。

最初の感動がきっかけで始まってはいますが、絵にするということからすると、途中での絵との会話から
必要ないものを省くということは必ずやっています。



ここで言いたいことは、

絵画制作における感動は、出発点における感動と、制作途中における感動の二種類あるということです。

だから、最初の感動が、100パーセント絵の完成になるわけではないように思います。

絵画制作は、絵と会話しながら進んでいくということです。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵と感動について 2

2015-11-13 | 絵のこと
私の絵画指導の初めは、テーマと構図に最も重点を置きます。

他の絵画指導を見ていると、どうもそれに時間をかけている様子がありません。

そこが、私と違う点でしょう。

ーーーー

このテーマの部分が、絵の出発点ですが、そこには、感動が伴います。

平たく言えば、ここを絵に描いてみたいと思った理由です。

描いてみたいと思ったのですから、なんらかの感動があったということです。

もし、それなしに描き出したのだとしたら、良い絵にするのはかなり大変でしょう。

ーーー

何か描きたい、適当にここでいいやと始めたら、素人は特に、大した絵にはなりませんね。


ただ、いろいろ指導していると、感動にもいろいろあって、大したことないことに感動したり、
そんなものじゃ平凡すぎると思うものに感動したという場合があります。


本人が感動したんだから、つべこべ言う必要はないと言えばそれまでですが、
結構、個人的などうでもいいものを描いている場合があります。

例えば、静物画などで言うと、個人的な特別な思い出の品です。
それは、本人にとってみれば、とても価値のあるものなのです。
しかし、それは、客観性を持ちません。
そして、それは、指導する側から見れば、絵にならないものであることが多いです。


困ったなと思います。

人物画で言うと、よく描けていても、顔を取り換えたいと思う絵があります。
私がそんなことを言うと、そんな失礼なと怒られますね。
だから、言えない場合が多いです。
特に、身近な人がモデルの場合は、言えません。

しかし、絵としてどうかと客観的に言うと、取り換えた方が良いとなるのです。
人物画は、顔が命です。その顔が、魅力がなければ、その絵の価値が下がります。
誤解してほしくないのは、美人かどうかという意味ではありません。
片目が義眼であっても、ピカソの青の時代の絵にある人物は、とても魅力的です。

ーーーー
結論から言うと、絵の出発点になっている感動が、どの程度のものかということがかなり重要だということです。

良い絵を描きたいなら、見た物に感動して描いてみたいという衝動に駆られることがもちろんですが、
その感動がどんなものかによって、絵の良しあしに関わるということも知ってほしいです。

感動が、低いレベルの場合や独りよがりではだめだということです。

ーーーー
これは、例をたくさん示さないとわかりにくいと思います。

例えば、素人は富士山に感動します。
そして、富士山だけを描きます。しかし、プロはなかなか富士山を描きません。
かなりのプロになると、富士山を描きますが。

私はまだ、富士山を描く気になりません。

素人は、一点透視に感動します。そして、真っ直ぐに伸びる道を描きます。
遠近が出て、いままで描けなかった絵が描けたので、気分が良いのです。
しかし、プロは、その一点透視がきつすぎて単調だと言います。
珍しくもなんともなく、感動しません。

本人は、感動して良いと思って描いた。しかし、プロが見るとありきたりで魅力を感じないということがあるのです。

そういうのを描いている内はまだ素人だなと思われるということがあるのです。

これは、説明するのが、大変です。例を挙げるのが、難しいです。絵を見ないとなかなか言えません。

ーーーー

結論は、感動にもいろいろあって、レベルがあるのです。

どんなものに、造形的な魅力を感じて、その魅力に感動して絵にしたのか?
ここに感動のレベルがあるなんてと思われた方は、新たな発見があるでしょう。
目の付け所が変わるかもしれません。

これが、テーマ探しの重要なところです。














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵と感動について

2015-11-13 | 絵のこと
絵を描くのは、なぜか?

私のように絵を長年描いていると、絵を描くためにテーマ探しをしています。
そして、構図の研究をしています。

これは、普段何気なく見ている風景でも、他の人と違う見方をしているのでしょう。
常に、これは絵になるとか、絵にならないとかを考えています。

ーーーー
絵画指導をしていると、この絵は、一体何を描きたかったのだろうという絵に出くわします。
そんなときは、「君は何が描きたかったの?」「描きたいと思ったのはなぜ?」と問います。

絵に描きたいと思ったのは、ある種の感動があったからだと思うのです。

これを絵に描いてみたいと自分に思わせた理由ですね。

ーーーー
その感動とは、言葉では上手く言えない場合もありますが、
分析をしてみると、理由がわかってくる場合もあります。

私はどちらかというと、言葉で分析をする方です。

私の絵画指導に欠かせないのは、このことかもしれません。

ーーー
この絵はなぜ、魅力的なのか?この絵は、なぜ魅力的でないのか?
その違いを分析するのです。


これは、絵の指導で、テーマと構図を決定する時の、重要ポイントです。





















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

透明水彩と不透明水彩

2013-09-20 | 絵のこと
私が教えている水彩画について、よくある質問は、「これは透明水彩絵具なんですか?」
というものです。

それは、見た感じが透明水彩という感じがしないからです。
言い換えると、水で薄めてにじませた、軽い水遊び的なものではないからです。

油絵と比べても全く見劣りしない立派な密度のある絵画になっているからです。

「絵具は何を使っているのですか?ガッシュですか」とも訊かれます。

答えは、透明水彩絵具です。すると、みんな驚きます。

ーーーーーーーー
水彩絵具は、顔料という色の粉に、アラビアゴムを混ぜて作ります。
透明水彩絵具とガッシュの違いは、アラビアゴムの量が違うだけで、全く同じものです。

ーーーーーーーー
透明と不透明ということを考えると、色を塗っても下の色が透けて見えるのが透明。下の色が見えなくなるのが不透明です。

実は、油絵具にも透明なものがあります。

私は絵を描くのに、なぜ透明に描くのか理解できません。
世の中のものは、そんなに透明にできていません。
多くの物は不透明です。

手前にあるものが後ろの物を隠して、後ろの物が見えないということがほとんです。
リアリティを求めるなら、透明は嘘です。ガラスのようなもので向こう側が透けて見えるとき透明に描くのです。

ーーーーーーーーー
しかし、透明水彩絵具でも不透明に描くことができます。
それは、白を使うことです。
白を混ぜると不透明になります。

また、絵の具会社が、中間色を作ってくれていますが、透明水彩絵具となっていてもチューブから出したそのままが不透明になっている絵具もあります。アラビアゴムの量で分けているからでしょう。

描いた結果が透明になるか不透明になるかは、やりながら習得してください。
白だって、水をたくさん含ませれば、薄くなりますから下の色が見える状態にもなります。

絵具の粘り具合、水の量によって、透明にも不透明にもなるのです。

緑の草原に白い花が咲いているとき、緑を塗った上に白い色を点で打つと、描いた時はよく見えても、時間とともに薄くなってしまいます。
それを我々は、色が食われると言います。食われないためには、水の量を減らして、極端に言えば水を混ぜないで、チューブから出したそのままを着けるように描きます。
下の色の乾き具合にもよりますので、食われるときは、しっかり乾いてから、水を少なくした白を塗ると良いでしょう。

こんな細かい技法について、親切に描いていったら、紙がいくらあっても書き切れません。

水彩画の技法の本を読むと、白を使うなと書いてあるものがあるそうです。
白は紙の白さを使うというのです。
先ほどの白い花を描くには、その部分を始めから考えて、色を塗らないで残すということだと思います。

それは、不合理というのです。
神業をつかえという感じですね。
あとから、もう少し花を増やしたいと思ってもできませんね。
それでは、不自由です。

しかし、その方法では、白い紙にしか描けません。紙は色紙もあります。極端に言えば、黒い紙にも絵は描けるのです。
印象派の画家は、黄土色のボール紙にも描いていますね。

ーーーーーーーーーーーーーーー
絵の具会社が白という色を水彩画絵具として作っているのは、絵を描くときに使うからです。
白を使うなというのは、薄塗の水遊び的に描くには、使わない方法があるということなので、水彩画は白を使わないというのは嘘です。

灰色は、白と黒を混ぜて作ります。彩度を落としたい時は、灰色を混ぜるのです。
だから、白は必ず使います。明るい色にしたいときも、もちろん白を混ぜます。それが合理的です。

紙の白を生かして、薄塗にすれば、明るい色になるというのが技法所に書かれた内容です。
それでは、透け透け絵画です。

ーーーーーーーーーーー

因みに黒も使うなと教えられたと言っている人もいました。

それは、黒を使うのが下手な人が多く、汚くするからです。特に子供には、黒を使わせると、真っ黒にしてしまうので、
使わせない方が、良いと考える大人が多いのです。

使い方なのです。

しかし、プロ級の話をするなら、印象派の画家は黒を使わないで絵を描きました。
それは、サロンに出された絵が黒い絵ばかりだったからです。
影には黒を使うということが当たり前になっていて、先生もそう教え、サロンもそうしないと入選しないということがあったためです。
ハイレベルな画家の絵は、黒を使っていてもおかしくないのですが、その他大勢の画家たちは、自然の風景を描くにも、とにかく黒を使いすぎました。それで、反発したのが、印象派だったわけです。

だから、黒を使わないでも、良い絵が描けることを示しました。

しかし、ルノワールなどは、それじゃあ不自由だと感じたのか、印象派を抜けてしまいます。
マネのように、黒をしっかりと生かした絵を描く画家もいました。黒はダイヤモンドの色だと言っています。
黒としての美しさを示したのです。

黒を使ってはいけないなどということはないのです。印象派は、黒を使わないで良い絵がかけることを示したということにすぎません。

ーーーーーーーーーーー
透明不透明の話をするには、この白と黒の色の問題に入り込みますね。

では、結論は、透明水彩絵具で不透明に描くことができるということを知ってください。
その方法は、簡単なのは白を混ぜる。白と混ざっている絵具を使う。
水の量を少なくする。

そうすれば、不透明に描けます。

どうしても不透明にならないときは、ガッシュを使ってください。

ーーーーーーーーー
最後にもう一言

私はすべてを不透明に描けと言っているわけではありません。
水彩絵具を使っていて、初めに塗った爽やかな色は、ごたごた塗った後では、出せない感じがあります。
あれは、下の紙の白さがあるから出るさわやかさかもしれません。
そこだけは、一発で塗った状態を生かして、その部分をごたごた塗らないで仕上げるということも考えています。

だから、透明と不透明の技法を上手く使えるようにして、それを一つの絵の中で展開するのが良いと思っています。


































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする