絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

栃木のTさん 人物画2

2012-11-30 | 通信指導
栃木のTさんが、人物画を進めてくれました。



かなり進みました。
今回は、肌の色を考えてくださいと話しました。
同じ色の明暗だけでは、本当の色になりません。
周りのいろいろな物の色が反射して、肌の色はかなり違って見えるのが普通です。

青、緑、黄色などが肌の中に見えたりします。
周りの風景の反射と考えても良いです。
その方が本当の肌の色になります。
印象派のやったことを参考にしてくださいと言いました。

それから、人物画は、顔と手と足が勝負です。そこは徹底的に上手に描いてみてくださいと話しました。

オレンジの服の色も、肌と同様に、同じ一色で描かないで変化を持たせるように言いました。

男の子の右手をもっと描き込むこと、女の子の髪の毛の生え際を良く見て描く。今は、おでこが広すぎる感じです。

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寄居のTHさん 水彩60号

2012-11-29 | 絵画指導
寄居のTHさんが、60号の水彩を描いています。



色塗りに入って、初めて見せてくれました。
かなり力が付いてきました。

この絵は、中央の穴が空いている辺りをメインにしてそれを一番強く出すと良いと思います。
今は、左下の地面などに強い陽が当たっています。
そこを隠すと全体の調和が取れます。しかし、メインが強くなれば、そこを弱めないでも済むかもしれません。

木全体を見ると、下の方が緑色で潤いを感じます。中央が乾いた感じで影の色に青が強調されています。
上の方は、手が足りずに平面的になっています。この三つの表現が湧かれすぎているので、それぞれ歩み寄りが必要だと思います。特にメインの中央の部分は、陽がパッと当たった感じを強めても良いと思います。

木の左右の感じは、上の方では、左側が平面的です。右側は奥行きを感じます。
右側は、塗った上に点々と葉を描いているので、奥行きを感じますが、左側は空の色に直接点々だけなので、奥行きを感じません。
塗ると描くという言葉で分けるなら、少し奥の色を塗ってから、緑の塊を捕えて、その手前に点々で葉を描くという風に考えると良いでしょう。

下の方は、陽のあたり具合が左右で違います。陽が左から差し込んで、木の右側にも当たることを少し考えるべきです。
しかし、今は、メインが弱いので、それをやると、したばかりが目立ちます。まず、メインを強めて、その後でどのくらい下を強められるかを考える必要があります。

中央辺りは、奥の林の深さの問題も考えて、林の上の部分がどのくらいで終わるのか、それをしっかり描いてから、その手前の点々の葉を描くと良いでしょう。

右側の木は、影の色が青すぎてきついのと、幹の部分が緑色過ぎて、幹の質感から遠くなっている感じがします。

木の根っこの左右の終わり方が左右対称過ぎるかなと思います。左右への開き方という表現の方がわかりやすいでしょうか。
左右対称を崩すには、どちらかを外へはみ出させるという方法があります。
また、中央にある形が、目立ち過ぎます。同じ形を繰り返すと二重丸などが強く感じるのと同じような効果があるので、少し変えて目立たなくする方が良いと思います。

まだまだ、いろいろアドバイスをしましたが、とても良いテーマなので、楽しみです。
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父の絵 10号水彩

2012-11-29 | 父の絵
今度の県北展に出品する父の絵です。
水彩画10号です。



今日、アトリエで見せてもらいました。

人物が良い感じで、配置されています。
はっとしました。
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公園のイチョウ

2012-11-28 | いろいろ
小春日和の一日

公園のイチョウです。爽やかで気持ちの良い日でした。



駐車場で、車の中の掃除をしました。
ガムテープで、汚れをとりました。
ウェットティッシュで埃をとりました。
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世界史現代編

2012-11-27 | 読書
読むだけですっきりわかる世界史(現代編)を読んでいます。



とても良い本です。分かりやすいです。

この現代編は、今の政治に直結することが書いてあるので、勉強した方が良いと思いました。

例えば、尖閣諸島の領有権の問題も、この歴史的背景を知らないと自分では何とも言えません。

読んでみると沖縄でさえ、江戸時代末期までは、琉球国という別の国だったのですね。
西郷隆盛の弟の従道が沖縄に攻め行って、日本の国になったということです。
それまでは、琉球国で、半分は日本、半分は清が勢力をきかせていたとか。

日清戦争の後の下関条約では、台湾でさえ日本国領土になったのだから、その後、第二次世界大戦の後の処理で
中国と日本の境界線がどこになったのか。それが問題ですね。
それは、沖縄をアメリカが所有する形になったのだから、中国とアメリカで決めた事なのでしょうか?
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