絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

Oさんの県展制作

2011-04-30 | 絵画指導
Oさんが最終段階に入りました。



とても良くなりました。色味が良いですね。
写真が光ってしまいました。

もうほとんど完成ですが、私は靴の表現がきになりました。
少し、縁取りしている部分が気になります。

腰、ズボン、右側の足の輪郭線が気になりました。
肩から肘までの輪郭線はすんなりしていますが、所々太い筆で輪郭を取ってしまう部分があります。
それを直せば、いいのになあと思います。筆さばきで描きたがるのです。
それを一度止めて、しっかり空間を感じさせるように描けば、他の表現とあって来ると思います。

もう1点は、横絵です。


私は力があるなら、こちらの方が発展性があると見て、指導していました。
しかし、この絵の場合は、人物の表現がかなり描けないと、上手く行きません。
色味は、こちらも良いですが、ズボンから足が絵具を感じすぎます。
やや、空間的に外れています。
それと、壁だけでは物足りない感じがします。もう一つ要素が欲しいなあという感じです。

壁の模様も、右側が近いので大きくして、左側が遠いので細かくする方がいいと思います。

でも、とてもよくなりました。もう完成が近いです。

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父の絵 水彩20号  1

2011-04-30 | 父の絵
先日、アトリエの倉庫から20号以上の作品を父が引っ張り出しました。

その中に、先日からご紹介している私の絵を見つけたのですが、
ほとんどは、父の絵です。
父は、それらの作品を直し始めました。そのいくつかをご紹介します。



この絵は、鬼石の風景です。神流川の端から神泉の山を見て描いたようです。
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私が絵の道に入るまで 9

2011-04-30 | 絵のこと
私が高校2年の秋にバスケットをやめてデッサンを始めた経緯から
高校3年の秋までのお話をしてきました。

私は、なかなかデッサンが上手くならず、苦しんでいたのですが、
その原因は、きちんと教えてくれる人がいなかったからというのが
大きな原因だと思います。

私は時々、もし高校時代の自分が、今の私に教えてもらっていたらと思う事があります。
きっと、伸びないでいる私をそのままにはしていないだろうと思うのです。

実は私の高校時代は、古川先生はもう既に非常勤講師で、授業の時だけ学校に来る先生でした。
だから、部活の時間はもう先生はいません。ということは、デッサンをしている私を直接見ていただけないのです。
たまにメモ用紙にアドバイスを書いて、デッサンのクリップに挟んでおいてくれることがありましたが、
そのくらいで、特に具体的な指導はありませんでした。

教えてくれたのは、一緒に美大受験を考えている先輩たちでしたが、
その先輩たちも初めの一歩を教えてくれただけで、
それ以降は、あまり人のことはちょっかい出さない人たちでした。
確かに私よりははるかに上手でしたが、それでも教えるほどの自信はなかったのかもしれません。

もし今の私なら、まず、構図の考え方から話します。
石膏によって、見る角度によって、入れ方が違います。大きさと位置の問題です。

次に比例を考えて正確になるまで徹底的に位置確認をさせます。
それが大体決まるまでは、明暗に入らせないくらいの追究をさせます。

そして、明暗です。大きく二つに分けること。そしてそれを更に二つに分ける。
次に一番暗い部分を見つけて、最後は反射光の明るさを見つける。
陰より影が暗いことを考えて描く。

このようなことを教えます。

それが、できるかどうかを一週間に一回は批評会で確認して、できるまでやらせます。
そういうポイントをしっかり確認する指導をするでしょう。
場合によれば、できない生徒を帰らせないで、できるまで帰るなという厳しさで臨みます。
それは、バスケットの経験があるからです。

そうすれば、私のように二年半も何もわからずに、ただやみくもに描いているなどということを
しないで済んだのではないかと思います。

この当時は、美術部の顧問は美術の先生ではなく、教員仲間で古川先生から絵を教えていただいていた
科学の先生でした。その先生は部活に出て来ません。名前だけです。もちろん指導はできません。
だから、仕方がなかったのです。

結局、私は、きちんとした指導者がいないまま、自己流でデッサンを覚えたのです。
今の私の指導は、その自己流の中で、長い時間をかけて掴み取った秘訣で、誰から教えられたものでもありません。
しかし、秘訣と言っても当たり前のことです。

それが、浪人の冬、予備校へ行った時に、爆発しました。
それまでの、ダメの積み重ねが全て繋がった気がしたのです。
ダメとは言え、一枚描く中では、なにかしらの経験をしています。
目だけ、鼻だけ、耳だけと考えてもいいですが、とにかく一部くらいは真剣に描いています。
150枚も描いたのですから、中途半端な物ばかりですが、それなりの経験をしたのです。
それが、そのときに、分かったという何かを掴みました。
そうしたら、デッサンが楽しくてたまらなくなりました。
そして、言い過ぎは覚悟の上で、「そっくり描くなんて簡単だ」と思ったのです。
これが、そっくりに描けるという二度目の錯覚です。

そして、デッサンの楽しさは、描けない時に現れます。
「あれ?描けない」と時々思います。
そうなると、描く意欲がずっと高まります。描けない喜びを感じるのです。
遣り甲斐ですね。俺にも描けない物がある。こりゃあ、挑戦し甲斐があると。
そうなると、デッサンは尚たのしくなりますよ。

つづく






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クロッキーのポイント

2011-04-29 | デッサン会
昨日のデッサン会で、クロッキーのポイントを指導しました。

私は、全体はフワ―ッと掴んで、後は、頭と手と足を描けば良いとお話ししています。

そのことを3分くらいで、描いて示しました。

それが、これです。



どうですか?

普通、デッサンを始めたばかりの人は、逆を言われませんか?
手や顔や足なんかに拘らずに、全身を描けと。
確かに、私もそのように言うことがあります。しかし、全体の構図が掴めるようになったら、
それだけを言っていては、デッサンが良くなりません。
大きさと位置が良くなったら、比例を考えて全体がシルエット的に掴めるようになったら、
今度は、全身を詳しく描くことをやめて、柔らかくフワーッと掴んで、ポイントになる部分を描くという
ことに勤めてほしいです。今のデッサン会ではそれを勧める段階になりました。
どうしても、固く全体を同じ力で描くことばかりしてしまいます。
それで、このようなことを描いて示しました。

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今朝の国会中継

2011-04-29 | いろいろ
今朝の国会中継を見て、感動しました。
民主党の渡辺恒三議員の質問です。

ご本人も福島県出身だそうですが、被災地の人々の気持ち、状態を切々と訴え、
この被災地の人々を、国を挙げて救わなければならないという内容でした。

そして、その質問というより訴えの中で、渡辺議員は野党を褒めました。
自民党から共産党まで、全ての野党が党利党略ではなく、日本国民一丸となって
この危機を乗り越えるために協力しなければならないということで、建設的な
意見をたくさんくださったと言いました。そのことが、実に立派であると褒めました。
政権与党の議員が質問に立って、野党を褒めるというのは、異例のことでしょう。

私は文章力がないので、それを渡辺さんに代わって伝えることができませんが、
あの中継は、何度でも再放送をしてもらいたいと思います。

日本が太平洋戦争で負けた時、渡辺さんは中学1年だったそうです。
あの焼け野原の中から立ちあがって、戦争に勝ったアメリカに追いつくまでに
復興した日本の底力を例に出して、絶対に日本は復興する。そのために頑張ろうと
訴えたのです。

そして、菅総理もそれに答えて発言し、国会の会議場は、シーンとして渡辺議員の話に聞き入り
二人とも話が終わった時、それぞれ拍手をいただいていました。

私は単純ですから、とても感動しました。
あんな風に言われたら、野党も総理大臣を辞めろと言い難いだろうなあと思いました。

そうです、今は総理を下りろなどという議論の時ではないですよね。
総理がだれであっても、やるべきことは同じです。今の総理に進言しやるべきことを
やらせるのです。

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原発事故についても、私が言っていたロボットを使う事も始まりました。自衛隊のヘリで水をまいていた時は、
あまりにもやり方がお粗末なので、呆れてしまいましたが、やっと頭を使った方法に切り替わったようです。
仕事についている東京電力の方たちに命がけの仕事をさせてほしくないです。
だから、私はロボットを使えと初めから訴えていました。

しかし、遅いですね。「詳しいことは、まだわかりません」などという説明が多すぎます。
専門の頭のいい人たちがたくさんいるはずなのに、何をしているのでしょう。
コンクリートを上から流し込んで、完全に固めてしまうという方法ではダメなのでしょうか。
そんなことをしたら、原爆並みの爆発でも起こってしまうのでしょうか。
中が爆発しても壊れないくらいのコンクリートの厚みというのは、どのくらいなのでしょうか。
また、その中身を出して冷やす休息のことができるなら、それを海の中に沈めたらどうなるのでしょうか。
それこそ、汚染されてしまうのでしょうか。
使い終わった核燃料棒を最後は海に沈めるということを聞いたことがありますが、それは間違いですか?
地面に埋めるのでしたか?
海でも地面でもどちらでもいいですが、それは、できないのでしょうか。

何とか、直して使えるようにしたいとか考えて、今の対応なのでしょうか。
わからないから、苛々しています。











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