絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ESさんの秋の制作2

2011-11-30 | 絵画指導
ESさんが、進めてくれました。



かなり、完成度をましました。
しかし、大きな組み立てとして、主役を目立たせなくてはならないのですが、
やや弱くなりました。やはり、中心に魅力がないと絵として死んでしまいます。
人物画なら、そこが目玉です。

細部について、いろいろ細かい注意を与えましたが、一番考えなくてはならないのは、主役です。

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布のデッサンモデル

2011-11-30 | 通信指導
札幌のMさんに、布のデッサンを描いてもらうため、モデル組みをしてもらいました。

私は、通信指導でデッサンをしてもらう場合、まずどれをデッサンするか、メールでモデルの写真を送ってもらいます。
それが、OKならデッサンを始めてもらいます。

こんかいは、三度目にOKを出しました。

三枚ご紹介します。

まず、一枚目ですが、これです。



白いテーブルに白い布なので、分かりにくいです。
それと今回の勉強には、布が大きすぎます。

次は、二枚目がこれです。



大きさは丁度良く、下に暗い物を敷いたので、やりやすくなりました。
ただ、形が単調です。特に左がおもしろくありません。

最後は、三枚目、これです。



今度は、形が面白くなりました。
布が布に落とす影、直接光線と反射光線の違いなどを勉強してもらいたいので、
これなら、良いと思います。

布の複雑な皺を描く練習なので、このように私が良いというまで、やり直してもらっています。

これも静物画の構図の研究にも通じる部分があります。
それは、もっと進んでからの話です。


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森幸夫さん個展

2011-11-29 | 展覧会
森幸夫さんの個展に行って来ました。

  

長野県東御市の梅野記念絵画館

1月15日まで

森さんは、私の高校時代の美術部の先輩です。
しかし、年齢は4つ上です。

我々にとっては、伝説的な先輩で、芸大受験のために4浪をしていると聞きました。
最終的には、何年浪人したのかわかりませんが、創形美術学校へ行って、その後プロの画家になったと聞きました。

本庄高校の美術室には、森さんの石膏デッサンが飾ってありました。
私は、自分の石膏デッサンを描いては、森さんのデッサンの所に持って行って、比べました。
そして、その度に負けたと思い、いつまで経っても、追いつかないレベルの差を感じていました。

俺なんか、どうやったってダメだ。と劣等感を持ちました。

森さんは、天才なんだから、しょうがないか?とも思いました。

ーーーーーーー
デッサンにおける私の唯一の自慢は、1浪が終わる頃、古川先生から「お前は歴代の美術部の中でも、デッサンは最高級に上手い」と言われたことです。しかし、そのときに、はっきり言われたことは「でも森には敵わないな」でした。

それが、この森さんです。

古川先生が、本庄高校美術部の中で、これ以上上手い人はいないと認めた人、それが森さんでした。

公募展などには、一切出さないのに、本物の画家です。
森さんを見ていると、本当の画家は公募展などには出さないのかもしれないと感じます。
確かに、ピカソは公募展などには、出さなかったのでしょうね。


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自己肯定感

2011-11-28 | 日記
沖縄の高校の先生から、メールを頂きました。

その中に、自己肯定感という言葉がありました。
私は、初めてこの言葉を聞きました。
自己否定という言葉なら自分でも使いますし、何度も聞いているのですが。
先生に寄ると、生徒のことで話している時に、よく使う言葉だそうです。

そして、私のことを自己肯定感が強いとおっしゃっていました。
それは、嫌味ではなく賞賛の意味だとおっしゃってくださいました。
私は、有難うございますとお返事しました。

ただ、私は自惚れているだけですがとお答えしました。

ーーーーーーー
また、そのメールの中に、私が座右の銘にしていることがありますか?という言葉もありました。

私は、加藤諦三さんの本をたくさん読んで、心に火を点けられたので、そのことをお伝えし、
その本の中に書かれていた言葉を大切にしていると答えました。

それは、「錦を着て憂える人あり、水を飲みて笑う人あり」です。

人間にとって何が大切か?お金があって端から見たらうらやましいような家に住んで、とても幸せそうに見える人でも、こんなに大きな家を作って税金が大変だとか、掃除をするにも広すぎて嫌になるとか、不平不満ばかり言って家族はいがみ合っているということがある。それに対して、小さな借家住まいでお金もあまりないけれど、家族仲良く常に笑い声が絶えず、楽しく過ごしている人がいる。どちらが幸せか???

そんなことです。

もちろん、お金はないよりあったほうがいい。しかし、人間の幸せはお金だけで判断できないというお話しでした。
幸せは、心が決めるもの。考え方、心の持ち方で変わるということです。

ーーーーーーーーー
私の自己肯定は、マラソンの有森さんの言葉にも影響を受けました。
有森さんは、バルセロナオリンピックで銀メダルを取り、アトランタで銅メダルを取った人です。
そのアトランタオリンピックが終わってのインタビューで、「初めて、自分で自分を褒めたいと思います」と言いました。
私は、銅メダルであっても、その前の銀メダルより価値があると思いました。

私は、「あなたは素晴らしい人です。君が金メダルだよ」とテレビに向かって言いました。

自分で自分を褒める、いい言葉だなと思います。
誰でも後悔はしたくない、しかし、人生は後悔することばかりです。

やって良かったと思える生き方をしたい。だから、誰も褒めてくれなくてもいいから、自分で自分を褒められる生き方がしたい。
これが、その後の私の生き方になりました。
ふと、振り返ったとき、「お前もよくやったな、偉いぞ」と自分で自分に言うんです。

私の自己肯定は、そこから来ています。

とかく、人は自己否定に陥りがちです。自分はダメだと思ってしまいます。
でも、それは人と比べるからかもしれません。劣等感はそれをバネにすれば、とても良いことです。しかし、落ち込んだらマイナスです。優越感は危険です。しかし、自分を乗せると考えたら、ある意味自惚れでも良いのです。

日本一になろうと私は生徒に言いました。私の言う日本一とは、日本一の生き方です。何かのコンクールで一位になることではありません。そんなものは、後から嫌でもついて来ます。日本一の生き方ができたら、誰にも負けません。私の言う日本一とは、誰にも負けないという気持ちのことです。

ついでに、言いますが、私の言う日本一は、誰でもなれる日本一です。
誰にも負けないという事は、一番でしょう。

だから、有森さんに君が金メダルだよと言ったのです。




















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ゴヤ、着衣のマハ

2011-11-27 | 絵のこと
いま、日本にゴヤの「着衣のマハ」が来ています。
国立西洋美術館です。

どうして、「着衣のマハ」だけ来たのでしょうか?
「裸のマハ」と対になっているので、二つとも来てほしい気がしますが。

以前、美術史クイズでも取り上げましたが、マハとは、粋な女という意味で、このモデルの名前ではありません。

今回、日曜美術館でも取り上げられましたが、裸のマハが古典技法で、着衣のマハが近代的表現という説明がありました。
なるほどと思いました。着衣のマハは、マネの表現に近い物がありますね。

ビーナスを描いたのだとするなら、裸は問題ないのですが、着衣を描いたためにこれはビーナスではなく普通の女性だと判断されて、異端審問会で問題になったということです。

この裸の絵は、ゴヤは唯一これだけです。

ーーーーーーーー
私は以前からこの二つの絵について、気になることがあります。



この二点とも、首の着きがおかしいように思います。
デッサンが狂っているように思うのですが、どうでしょうか?

また、私が裸婦を描いている経験からすると、胸の向きがおかしい気がします。
横になると、肉が下に垂れるということがあります。なのに、この裸のマハの右の乳房が上を向いています。
これは、おかしいと思います。こんなことがあるでしょうか。着衣なら下着の形でそれに沿いますからこのようになるかもしれませんが。
ウエストのくびれもこんなになるかなあ??

日曜美術館では、着衣のマハの目について、そのまなざしが凄いということが言われていました。
しかし、私はちょっと目の表現がおかしいと思います。
私の感覚では、目頭と目じりをしっかり掴むのですが、これは逆です。
生徒に教えるときには、これじゃあダメだと教えます。
指導者の方々は、いかがでしょうか?

もちろん、すごい絵だと思います。
ただ、気になる部分を上げてみました。










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