絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

覇者 中 

2013-07-31 | 読書
「覇者」 中巻 を読み終えました。
今日は、月末で図書館はお休みのはずです。そのため、下巻を借りにいけませんでした。残念!

武田信玄が死んで、武田勝頼の時代になり、長篠の戦いで信長が勝つところまで、進みました。
私は、この戦いの経緯をあまり知らなかったので、初めて読んだ気がします。
武田の騎馬軍団が、織田信長の鉄砲にやられたことは知っていました。
しかも、三段構えで、あまり間をおかずに、次々と鉄砲を撃ったことで、頭の良さが語られる場面ですね。

ただ、この時代は、飛び道具は卑怯なりという考えがあったようです。
だから、武田は、鉄砲よりも騎馬軍団で戦おうとしたのだと。

でも、ここで思い出すのは、司馬遼太郎の本に、武田は石を投げる攻撃をよくしていたと書いてあった覚えがあります。

鉄砲は、90メートル離れていても射撃が可能ですから、石を投げるより遥かに便利な道具でしたね。

信長のすごいところは、堺港を抑えたことです。
鉄砲は、手に入っても、火薬は外国から買わなければならなかったそうです。
港を抑えた信長は、火薬を大量に買うことができた。だから、鉄砲の練習がたくさんできたというのです。
楽市楽座を奨励したように、経済活動を盛んにして、金儲けも考えた。

武田の兵隊は、みんな農民だから、農繁期は戦いはできない。織田の兵隊は、専門の兵隊だから、いつでも戦える。
その代わり、武田は自分の生活が懸かっているから、守るべきものがあって、必死になって戦う。
だから強い。
織田は、雇の兵隊が多いから、戦況が悪いと逃げ出す者がたくさんいた。だから弱い。

そんな兵隊の特徴があったようです。
しかし、そんな弱い兵隊でも勝てたのは、信長の策略の凄さだろうと言っていました。

この辺りの歴史は面白いですね。







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東京のSさん 静物画モデル組み

2013-07-30 | 通信指導
通信指導をしている東京のSさんが、久しぶりに制作を開始しました。

引っ越しや仕事の関係でいろいろな用事があって、なかなか制作に取り組めませんでしたが、
やっと、落ち着いて、しかもやっとパソコンが使えるようになったので、通信指導を再開することになりました。

昨年、初めて描いた水彩画40号で、初出品の麓原展において、特選を取ってしましましたが、その麓原展にまた出品したいということで、
制作を開始します。

これが、今回のモデルです。



実は、これも何枚も撮影して、何回かやり直して、この状態になりました。
このモデル組ができるまでが、一苦労なのですが、Sさんは、モデル組のコツがわかったようです。
昨年より、早く組めた気がします。しかし、光の当て方など、まだやや問題があります。

現在の状態では、ちょっと物が多すぎて目立ちすぎです。
それは、描くときに、表現方法でぼかすとか、しっかり描いて殺すとか考えたいと思います。



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懐かしい卒業生 2

2013-07-29 | いろいろ
卒業して10年目の卒業生が二人来ました。

一人は変わってしまって、名前を言われてもその子だと思えませんでしたが、
もう一人の子は、顔を見て名前がすぐに出ました。
そうしたら、名前を憶えていてくれたことに感動して涙ぐんでいました。

この子は、忘れるわけがないのです。私が27年間の教員生活の中で、ただ一人、美容院へ髪の毛を染めに連れて行った子なのです。
髪の毛を赤くしてしまい、なかなか思うように黒くしないので、経緯を忘れましたが、私が連れて行きました。

そうしたら、この子が言った言葉が「お手数をおかけして済みません」でした。
やけに、大人みたいな言い方だったので、覚えています。

もう一人の子は、時間とともに髪の毛が赤くなっていきました。
人によって、時間とともに色が変わる子もいる例は知っています。
しかし、この子は入学試験の時に黒く染めて、ごまかして入学してきたのだとわかりました。

だから、そのことで、バトルがあった記憶があります。

それで、「あれ?? 髪の毛黒いじゃん」と私が言ったら、やはり「覚えていてくれたんですか」となりました。
私が保護者のための絵の会を作った時に、お母さんが参加されました。
お母さんの印象がとても良くて、その割に本人がいまいちなので、このギャップはなんだろうと思ったものです。

二人とも、私が覚えていたことで、感激したようです。
そして、実は、先生に謝りたいと思って来たんですと言いました。

二人とも、わがままな生徒で迷惑をかけてすみませんでしたと言いました。
しかも涙をこぼして言ったので、その瞬間感動の場面でした。棚沢先生もそばにいて、感激していました。

大人になって、改めて先生のありがたさがわかったということも言っていました。

どんなに反発しようが、言うべきことは言うという私の気持ちが、大人になって通じたという例でしょうか。

ーーーーーーーー
実は、こういうことは、時々耳にします。

あんな奴どうでもいいと思えば、面倒だからいろいろ言ってやるのはやめようとなります。
しかし、ここでは、これだけは言っておきたいと思って、後で気づけばいいと思いながら言うことがあります。

卒業して、会社に勤めて、ベテランになると、新入社員の教育にあたる人もいます。
その立場になって、高校の時に先生に聞かされたことをそのまま言っている自分に気づきますと言っていた子がいました。

高校時代は、先生の言うことに反発していたにも関わらず、自分が大人になって、自分がその立場になってみると、
確かにそうだなと思わされることがたくさんあるのだというのです。

真面目によく受け止めてくれていた人は、それが早くわかっていたかもしれませんが、今回のケースは、明らかに反発していた子ですから、
この涙は、感動ものでした。

嬉しい再会でしたね。











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Mさんの100号 続き

2013-07-29 | 絵画指導
今日は、Mさんだけでした。いつも一緒に来るFさんは、仕事の都合で、後日です。



かなり完成度を増してきました。もう少しというところですが、頭の下に敷いてあるものと髪の毛がまだ未完成という感じがします。
腰に巻いてある布の柄はかなりピントが合っています。下に垂れ下がる部分もできてきました。

人形の下に敷いてあるものは、実は毛布らしいです。厚みのある四角形のクッションみたいな感じに見えます。
それが、上の面が見えているのに、ソファは上の面が見えません。ちょっとおかしいかなと思い始めました。

右側の部分は、ガラスの玉がおいてあります。それがソファに食い込んでいるように見えます。
そのことから想像すると、左側はどうなったらよいのでしょうか。私は、玉が食い込んでいることがおかしいと思ったり、
左側の部分は、ソファの上の面が見えそうな気がするのです。
見えないことで済ますには、椅子に掛かった布をうまく使って、しわでごまかすしかないかなと思います。

髪の毛の表現ができないなら、レオナルドダビンチの時代の髪の毛の描き方を参考にしてくださいと言いました。
今は、紙のボリュームがないのです。明暗を使ってボリュームを出してから、髪の毛の線を入れていくような段階を踏むと良いと思います。

ソファの柄は、上の方がよくなりました。人形に近い部分がごまかしている感じで、あいまいです。
全てを克明に描く必要はありませんが、ごまかした感じではいけません。しっかり描いて殺すという感じにしてほしいです。

その他、細かい部分の表現もアドバイスしました。
絵の要素が多くないので、有る物だけで勝負をしなければなりません。
その場合、その物の表現力で見る人を納得させる必要があるのです。
いいねと思わせる説得力のある表現です。

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懐かしい卒業生 1

2013-07-28 | いろいろ

さわらび展は、卒業生がたくさん来ます。
それによって、ミニ同窓会になったりします。

久しぶりで会おうかという時に利用する人たちもいます。

今回は、平成2年の卒業生が、子供を二人連れてきました。
女の子二人ですが、お姉ちゃんの方は、中学三年生。来春は高校受験です。
私学フェアーがあって、受験の資料などをもらったり、学校の説明を聞いたりしてきたそうです。
子供たちに「ママの先生だよ」と言っているのを聞いて、ママかと思いました。
みんな立派に子供を育てているんだなって思います。

この子の学年は、美術部に花が咲いたようだと言われました。
とてもかわいい子が多くて、学園案内のモデルになりました。
東京の六本木にポスター制作のための撮影で連れて行ったことがあります。
そんな話を子供たちに聞かせてやりました。

印象の強い学年で、未だに年賀状が続いている子が何人かいます。
この学年が卒業する時は、菅野先生はきっと泣くよと周りの先生方から言われました。




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