絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ローマ人の物語12 パート2

2009-11-12 | 読書
今日は、ローマ人の物語12の120ページまで読みました。

カラカラ帝は、奴隷を除くすべての人々にローマ市民権を与えたと分かりました。
それは、本来は良いことでしょうね。しかし、とても大変なことでもあったのです。

これは、麓原会に例えると、全ての出品者を無条件に会員にしてしまったようなものですね。ということは、会員が少しがっかりしますね。麓原会では、会友になるまでに、一般で特選を二回以上取るという条件があります。そして、会友になって二回特選を取って、初めて会員に推挙される条件が整います。そして、みんなに絵の実力が認められると会員に推挙されるのです。

そうやって、やっとの思いで、会員になれるのです。また、その先も会員の中で特選になって、最高賞の古川賞を取ると、審査員になれるという階段があります。
そういう階段があるから、次の目標は?と自分で目指せるものがあるのです。
それが、無条件で会員となるなら、やっとの思いで、会員になれた人は面白くありません。

自分の身近な例えで言ってしまいましたが、全ての人にローマ市民権をあたえるということは、そういうことでもあるのですね。

ーーーーー
今日、読んで良かったのは、パルティアからササン朝ペルシャへの移行がわかったことでした。

  ---簡単にお話しします。ーーー

アレクサンダーの東方遠征によって、アケメネス朝ペルシャが滅亡しました。
しかし、アレクサンダーは、すぐに死んでしまいました。
その後、三人の部下がその土地を分けた形になりましたが、イラク、イラン、アフガニスタン、パキスタンの地は放っておかれました。

このとき、エジプトに行ったのが、プトレマイオスで、後にクレオパトラ7世が出て来ます。プトレマイオスはアレクサンダーの遺骨をエジプトのアレクサンドリアに持っていき、お墓を作って納めました。

セレウコス朝シリアも地中海方面は治めましたが、それ以上東には興味をしめしませんでした。そこで、イラクより東に台頭してきたのが、パルティアだったそうです。

ローマは、カルタゴとのポエニ戦争で100年あまり忙しく、東方へ行くことはできませんでした。それで、この東方は500年間くらいパルティアが治めていたそうです。

その境界は、ユーフラテス川でローマとの国境として、均衡を保っていたのですが、3世紀にパルティアを滅ぼしたササン朝ペルシャは、かつてのアケメネス朝ペルシャの勢力範囲まで、取り戻そうとユーフラテス川を越えて西に動き出しました。それが、今、私が読んでいるところです。

だから、ローマ対ササン朝ペルシャの戦いになりそうです。

ーーーーーー

この辺の歴史は私は掴んでいません。パルティアが治めたと簡単に言いますが、500年ですから、いろんな事があったはずです。どうやって治めたのか、途中どんな事件や危機があったのかと調べたら、簡単ではないでしょう。
世界史ではポエニ戦争のことは詳しく述べられますが、このパルティアについては簡単に触れられるだけです。しかし、そのローマが大きくなっていく間に、東方ではパルティアという国があったことを知って、一つ知識が増えました。


読んでみると、ローマの皇帝も戦いに勝たないと民衆の支持が得られないし、下手をすると部下に殺されるという危険が常にあって大変だったのですね。兵隊を駐屯させるには、それなりの場所を作って、楽しませる娯楽もなければならなかったり、兵隊の不平不満との戦いもあったようです。

今回読んで知ったことは、ローマの皇帝というのは、ローマ出身者とは限らないということです。これは、面白いですね。そういえば、ローマは建国からそうですよね。サビニの女を略奪しましたが、その後サビニから王を出したり、エトルリアから王が出たりしていますね。また、有名なトラヤヌスもハドリアヌスも出身はスペインだし、カラカラも父親が北アフリカ出身だそうです。そして、今私が読んでいる皇帝はシリア出身なのです。これは、凄いことだと思いませんか。

日本の国で考えてみると、天皇がアメリカ人と結婚してできた子供が天皇になるようなものでしょうね。こんなことは、まず日本では考えられないでしょう。そう考えると、ローマの大きな特徴といっていいでしょうね。
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絵画指導6 本庄第一高校美術部の絵

2009-11-12 | 絵画指導
絵画指導の注意点で、生徒たちにそれぞれ違う絵を描かせることが大切だとお話ししました。それでは、具体的にどんな絵を描かせたかをご紹介しましょう。

これは、2008年の本庄第一高校美術部の県展制作です。写真の都合で、部分しか撮影されていないものがありますので、構図がおかしいのは、お許しください。

  
  
  

9枚だけ、DVDから引っ張り出してみました。
このような絵です。みなさんいかがですか?

まだまだ、私の時代には、これが60枚以上でてくるわけです。

レベル的には、みんな県展入選レベルになっていると思います。記憶が曖昧ですが、ここに上げた絵は、全部県展に入選した絵だとおもいます。



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絵画指導5 

2009-11-12 | 絵画指導
前回は、集団で学ぶ意義について、お話しましたが、そこには、欠点もあります。

例えば、誰かがいい絵を描くと、他の仲間が真似をしたがることです。

そうすると、みんなで一つのモデルを囲んで描いたのと、似たような問題が出て来ます。描く場所が違っても、同じ人が描いたような絵になってしまうということです。それで、個性がないと言われて、県展でたくさん落とされたことがありました。

ーーー
この問題を克服するには、とても大変です。絵にはいろいろな良さがあること、個性がないとダメだということ。その辺りを理解するには、美術史を学ぶ必要があることを話しました。しかし、単に表現スタイルが違えばいいというものではありません。やはり、文句を言わせないだけの表現力でしょう。

それで、アンドリューワイエス的表現を学ばせて、しっかりしたデッサン力のある絵を追究させました。

また、同時に、単なるきれいな風景ではなく、あまり人が描きたがらない場所に目をつけて、こんな所にも造形的な魅力があるというテーマ性のある題材を探させました。

しかし、絵を始めたばかりの高校生です。その辺を求めるのはとても大変でした。
一年生は、メニューが決まっていて、一年間で40号まで描けるようにするのが、大変な状態ですから、新しい個性的な表現を求めるのは、無理です。
そのため、二年生がその個性を追究することになるのですが、あまり難しいことを求めると、とんでもないことになりますから、とにかく、今までの先輩たちが描かなかったテーマを見つける努力をしようと勧めました。

そのために出てきたのが、風景に猫を描くとか、犬を描くとか、動物を入れてみるというものでした。それが入ることにより、ただの風景ではなくなりました。

60人以上の部活で、全員に違った絵を描かせるという形を作るのは、とても大変でした。

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本庄第一高校の美術部は、三年生より二年生がいい成績をあげました。それは、三年生に新しい物を求めさせたからです。

絵を教えることを、自転車に乗ることを教える場合に例えましたが、三年生は手を離す時期です。そのため転ぶことが多いのです。だから、しっかり抑えている二年生の方がよい絵を描くのです。
まあ、手を離す方が、その子の本当の力だと言えるでしょう。だから、仕方がないのですが、そういう時期がありました。

私も、単に実績を上げることだけを考えるなら、ずっと抑えてやればいいのですが、生徒が一人で描ける力をつけてやることが大切ですから、私は単なる実績主義ではありませんでした。





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