本庄第一高校美術部の絵をご覧になって、いかがでしょうか。
私は、外部の人間なら、なんだこれは?と驚いてしまうでしょう。
どうして、高校生がこんなに描けるの?と。
嫉妬と疑問と憧れなどが、入り乱れてカルチャーショックを受けると思います。
だって、絵を始めて1年か2年の高校生ですよ。たまたま天才的な子がいたというなら、それもありうると思います。しかし、このレベルがほとんど全員なのです。3年生になると、ほとんどがこのレベルの絵を描く。だから、いろいろな展覧会で、誰が特選を取るか顧問でさえ、わからないくらいです。
ここまで、行ってしまうのは、この美術部の歴史を見ないと分からないでしょう。
お知りになりたい方は、「ピカソがライバル」をお読みください。
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ただ、私は、いま残念に思っているのは、この美術部が無くなってしまうのではないかという心配です。いまのところレベルを保ったまま、歴史を引き継いでくれています。それは、卒業生の竹内君と棚沢君が顧問を引き継いでくれたからです。私がやってきたことをそのまま受け継いでくれているのです。
これが、関係のない先生が入ってきて、やり方をすっかり変えてしまったら、どこにでもある美術部になってしまうかもしれません。
なぜなら、いまでさえ部員が減りつつあります。私の頃の74名は普通では考えられない人数ですが、現在は30名になってしまいました。これは、棚沢先生が非常勤であることも理由の一つです。
専任でないということは、「私に預けてください」と言えません。生徒を誘っても、来年自分が教員としているかどうかが分からないのです。だから、生徒と約束ができません。
だから、どんどん減ってしまいます。今は、1年が8名、2年が8名ですから、そのペースでいくと、また8名なら、合計24名になってしまいます。
これは、麓原展の出品者が減ることでもあるのです。
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だから、麓原展は、本庄第一高校に頼ることを考えないで、一般の若い人をもっと育てることを始めるべきでしょう。
私も、今は、60歳以上の人たちにデッサン会で、教えていますが、その方たちに出品を勧めて行こうと思います。また、卒業生に声をかけて、そろそろ子育てから手が離れた人たちも出て来たので、そういう卒業生に声をかけて行こうと思います。
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私が、卒業生を誘うことに、あまり一生懸命にならなかったのは、現役の生徒たちに喜びを与えたいという気持ちもありました。卒業生がたくさん出品すると、賞もそれなりに取られてしまいます。3年生の時の力で作品が出てきたら、現役にとっては、賞が取れなくなるということもあるのです。
或る意味で、卒業生が出さない方が、過去と同じ条件が整うのです。果たして先輩たちと比べて、自分たちの実績はどうかと勝負するときに、同じ条件である方が有難いのです。
もう一つは、都合が良いことに、卒業生は現役の時が一番力が出せて、卒業するとその力が出せなくなるのです。これは、スポーツ選手に似ています。面白いものです。
現役の時が最も良い絵が描ける。これは、毎日の積み重ねがいかに大切かを教えてくれます。絵は一度上手くなれば、いつでもその力が出せるというものではないのです。やはり、その時の力に持って行くには、それなりの努力が要るのです。
それと現役とは環境が違います。
まず、先生がいなくなります。仲間がいなくなります。場所がなくなります。時間がなくなります。
現役の時は、場所と時間があって、嫌でも先生にやらされた。励ましてくれる仲間もいた。そして、教えてもらえた。いい競争相手がいて刺激を受けた。
これが、無くなれば、力が出ないのは当然です。
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だから、みんな高校時代はあんな絵が描けたのに、過去の自分の絵に敵わない。あれだけの絵がなぜ描けてしまったのだろうと思うほど、描けなくなることに気づくのです。だからとても展覧会には出せない、ということになるのです。
それでも、私に勧められて、続けている子が最近は増えてきました。美大に行く生徒が増えて来たこともその一つです。
だから、麓原展に出品もして7名が会に入ってきました。ことし棚沢君が会友推挙になったので8名になります。
こんな状況ですが、これからは、卒業生をもっと積極的に誘って、若手を増やして行こうと考えています。それが、麓原会の発展にもつながるでしょう。
私は、外部の人間なら、なんだこれは?と驚いてしまうでしょう。
どうして、高校生がこんなに描けるの?と。
嫉妬と疑問と憧れなどが、入り乱れてカルチャーショックを受けると思います。
だって、絵を始めて1年か2年の高校生ですよ。たまたま天才的な子がいたというなら、それもありうると思います。しかし、このレベルがほとんど全員なのです。3年生になると、ほとんどがこのレベルの絵を描く。だから、いろいろな展覧会で、誰が特選を取るか顧問でさえ、わからないくらいです。
ここまで、行ってしまうのは、この美術部の歴史を見ないと分からないでしょう。
お知りになりたい方は、「ピカソがライバル」をお読みください。
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ただ、私は、いま残念に思っているのは、この美術部が無くなってしまうのではないかという心配です。いまのところレベルを保ったまま、歴史を引き継いでくれています。それは、卒業生の竹内君と棚沢君が顧問を引き継いでくれたからです。私がやってきたことをそのまま受け継いでくれているのです。
これが、関係のない先生が入ってきて、やり方をすっかり変えてしまったら、どこにでもある美術部になってしまうかもしれません。
なぜなら、いまでさえ部員が減りつつあります。私の頃の74名は普通では考えられない人数ですが、現在は30名になってしまいました。これは、棚沢先生が非常勤であることも理由の一つです。
専任でないということは、「私に預けてください」と言えません。生徒を誘っても、来年自分が教員としているかどうかが分からないのです。だから、生徒と約束ができません。
だから、どんどん減ってしまいます。今は、1年が8名、2年が8名ですから、そのペースでいくと、また8名なら、合計24名になってしまいます。
これは、麓原展の出品者が減ることでもあるのです。
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だから、麓原展は、本庄第一高校に頼ることを考えないで、一般の若い人をもっと育てることを始めるべきでしょう。
私も、今は、60歳以上の人たちにデッサン会で、教えていますが、その方たちに出品を勧めて行こうと思います。また、卒業生に声をかけて、そろそろ子育てから手が離れた人たちも出て来たので、そういう卒業生に声をかけて行こうと思います。
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私が、卒業生を誘うことに、あまり一生懸命にならなかったのは、現役の生徒たちに喜びを与えたいという気持ちもありました。卒業生がたくさん出品すると、賞もそれなりに取られてしまいます。3年生の時の力で作品が出てきたら、現役にとっては、賞が取れなくなるということもあるのです。
或る意味で、卒業生が出さない方が、過去と同じ条件が整うのです。果たして先輩たちと比べて、自分たちの実績はどうかと勝負するときに、同じ条件である方が有難いのです。
もう一つは、都合が良いことに、卒業生は現役の時が一番力が出せて、卒業するとその力が出せなくなるのです。これは、スポーツ選手に似ています。面白いものです。
現役の時が最も良い絵が描ける。これは、毎日の積み重ねがいかに大切かを教えてくれます。絵は一度上手くなれば、いつでもその力が出せるというものではないのです。やはり、その時の力に持って行くには、それなりの努力が要るのです。
それと現役とは環境が違います。
まず、先生がいなくなります。仲間がいなくなります。場所がなくなります。時間がなくなります。
現役の時は、場所と時間があって、嫌でも先生にやらされた。励ましてくれる仲間もいた。そして、教えてもらえた。いい競争相手がいて刺激を受けた。
これが、無くなれば、力が出ないのは当然です。
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だから、みんな高校時代はあんな絵が描けたのに、過去の自分の絵に敵わない。あれだけの絵がなぜ描けてしまったのだろうと思うほど、描けなくなることに気づくのです。だからとても展覧会には出せない、ということになるのです。
それでも、私に勧められて、続けている子が最近は増えてきました。美大に行く生徒が増えて来たこともその一つです。
だから、麓原展に出品もして7名が会に入ってきました。ことし棚沢君が会友推挙になったので8名になります。
こんな状況ですが、これからは、卒業生をもっと積極的に誘って、若手を増やして行こうと考えています。それが、麓原会の発展にもつながるでしょう。
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