絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

印象派前後4

2009-11-19 | 美術
印象派を考える時の、材料としてそれ以前の絵画を考えることは、大切なことだと思います。なぜなら、それ以前の絵画に対して出てきたからです。

ルネッサンスをかんがえる時も、それ以前の時代がどうであったかと、比較することで、ルネッサンスとは何であったのかという捉え方になると思います。それと同じことですね。

ルネッサンスの場合は、塩野七生さんは、「飽くなき探求心」という言葉で表しています。そうなると、それ以前の中世の時代は、その探求が許されない時代だったのかもしれませんね。キリストが海の上を歩いたとか、死んだ後復活したとか、水をぶどう酒に変えたとか、いろいろな不思議がありますが、それをおかしいと疑うことが許されない時代だったのに、その疑問を疑問として、考える時代になたということでしょうか。だから、地平ではなく地球ではないかと大航海時代が始まるとか、常に、なぜだなぜだと言い続けるレオナルドのような人間が出てきたり、それでも地球は回ると言ったガリレオがでてきたりということになったのでしょう。

話を元に戻しますが、印象派も、それ以前の時代に対して出てきた。
だから、それ以前がどうであったかを知る必要があるのです。

ただ、それ以前に対するという考えと共に、それ以前からその先駆けがあったということも知っておく必要があります。

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先日、アングルについて語った時、多視点の絵画という意味で、セザンヌを先駆けているという話をしました。そう考えたら、それは印象派どころか後期印象派やキュービズムの先駆けだったわけですよね。

印象派の先駆けとしては、私がすぐに思いつくのは、ターナーです。先日コンスタブルの絵画がドラクロワに影響を与えたと言いましたが、そのコンスタブルと並んでイギリスの風景画家を代表するのが、このターナーです。
ターナーの絵は、霧に霞んだような表現で有名ですが、その靄がかかったような状態は、空気を描いていることになります。それまでの絵画では、ほとんど扱われていなかったものです。


レオナルドダビンチが空気遠近法を発明して、空気に霞んだような遠景を描きましたが、それは、本当に見えるとおりに描きたいという探求心から発見した技法でした。しかし、それは、時間とともに変化する自然の空気という意味ではありませんでした。ターナーのそれは、自然はいろんな様相をみせるものだという時間も含めて変化する自然を扱っているように見えます。その点が印象派を先駆けています。

また、もう一人思いつくのが、フランスハルスです。筆のタッチです。印象派は、筆のタッチで絵を描きました。筆の味ですね。
それを感じさせる絵があります。ハルスのジプシー女の洋服の描き方です。本来なら、質感を求めて、徹底的に細かい明暗まで描き込む必要がある絵画ですが、それをまるで描きっぱなしのような筆の跡を残して、そのままです。しかし、それがなかなかいいんですね。それこそ、筆の味です。その点が印象派の筆触分割に通じる部分です。


もう一つ、これは私だけかもしれませんが、ベラスケスのラスメニーナスの自画像の部分の手に持った筆の描き方にもそれを感じます。離れてみると分かりませんが、筆を描いている部分は、近づくと、ただ絵具がくっついているだけです。筆に見えません。しかし、離れると筆に見えます。そういう表現は、古典技法では許されないものだったはずです。


それに通じるのが、モネの「印象日の出」です。水の上に黒い絵具が着いています。なんだかわかりません。しかし、離れてみるとそれが、手漕ぎボートの上に人が立って漕いでいるように見えます。そのことと似ています。それまでの絵画は、人を描くなら、例え小さくても、目鼻口などをしっかり描いて近づいて見ても人だとはっきり分かるように描くのが常識でした。それを、モネは、絵具をくっつけただけで済ませました。そのことと似ています。


まだまだ、印象派の先駆けだと言われる絵があると思いますが、とりあえず、いま思いつくものを書いてみました。

そうだ、クロードロランの港の風景も印象派的なテーマですね。クレオパトラの上陸などという絵がありますよね。


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印象派前後3

2009-11-19 | 美術
「遅れてきたフランス革命」という言葉がロマン派を表すのに適切な言葉なら、いいなあと思いますが、その意味が理解できないと、納得がいきません。
もし、適切ならば、それを子供にもわかるように説明してあげたいのですが、まだ、私が納得ができません。

それまでは、貴族の物であった美術が民衆のものになったという意味なのでしょうか。フランス革命は、王の絶対主義政治だったことから、市民の政治に変わるための解放だった訳ですね。自由と平等の精神と考えると、政治は分かります。しかし、芸術もそうなったと言えるでしょうか?芸術は不自由で一部の特権階級だけのものだったのが、一般市民のものになったのでしょうか。

確かに、絵そのものは、一般庶民が今のように楽しむものではなかったでしょう。一つの職人の仕事だったはずです。そして、それはお金持ちの貴族でなければ、あまり頼めない仕事だったかもしれません。

この時代は、サロンが登場してきますが、それまでの画家は、先生に弟子入りして、先生の技法をしっかり学び、技術を習得して初めて画家として認められるので、それ以外に画家として生きて行く道はなかった訳です。いまのように自分で勝手に描いて、自称画家では済まなかったのです。

それは、そうです。趣味としてたしなむという種類のものでもなかったし、それで食べて行くには、注文が来なければなりません。それには、工房に入って勉強し、一つの会社の中の組織の一員みたいな状態でいなければ、絵を描く仕事などはできなかったのです。

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だから、絵は貴族のものだった。それが、もっと自由に一般庶民のものになったということなのでしょうか?私はまだ、この時代のロマン派を見た限りでは、そのようになったとは思えないのです。それよりも少し後の、印象派になるとそれが当てはまる気がします。

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印象派は、サロンから落されて、そのために画家とは認められずにいたのに、自分たちで展覧会を開くという、今まで誰もやったことのない行為をして、自分たちで勝手に画家だと言ったのです。

これこそ、画家が自由になったと言えることではないでしょうか。

先生が認めなくても、サロンに入選しなくても、自分は画家であると言えるということ。それを遅れて来たフランス革命だというなら、分かりやすいんですけどね。

もし、ロマン派をそう呼ぶなら、私が感じているのは、テーマの自由性ということかな?

絶対主義の時代には、許されないテーマを扱えるようになったということで考えると、自由になったといえるのでしょうか。きちんと調べないと何とも言えませんが、ロマン主義の特徴は、テーマがドラマチックだという点です。

コメント (2)
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