絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

選択美術ラスト授業

2009-11-10 | 新ピカソ
選択美術ラスト授業のビデオが出て来ました。

今から、10年前の撮影です。

芸術コースができる前に、選択制という授業が行われ、その美術の授業を撮影したものです。ただし、絵を描いている場面ではありません。最後の日だったので、私が自分の考えをお茶を飲みながら話したものです。大学のゼミみたいな感じで、話しました。

内容は、ピカソがライバルの中でも語られているものがありますが、それを私の口から聞くと、どういうニュアンスなのかがおわかりいただけると思います。

自分を褒めてやれるような生き方の話、ざるの話、結果より過程が大切という話、後悔しない生き方など、様々な例をあげて、1時間くらい語りました。
私が、美術部の生徒たちにどのような話をして、ハート作りを行ったかも分かる内容になっています。

菅野の教育論として、興味のある人には、お勧めです。

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私の制作

2009-10-29 | 新ピカソ
今回描いている絵は、児玉の秋平という場所です。実は、この絵は一年前くらいに描き始めました。しかし、途中で進めなくなり、ずっと他の絵の裏に隠れていました。
そして、久しぶりに引き出してみたら、また、描きたい気持ちが湧いてきて、今、進めています。

ただ、この絵を通じて、自分が表したかったものが何だったのか、忘れてしまいました。

私は、自分の表現したいものを「内的ビジョン」という言い方で、考えてきましたが、その内的ビジョンが何だったのか?思い出せません。

この畑に来て、山を背景に立っている枯れ木に何かを感じて、絵に描いてみようと思ったことは確かです。自分の絵画観から見て、これは絵になると判断しました。ただ、このままでは、やや弱い気がして、人物がいたらいいなあと思いました。

だから、「山村」いや「麓の畑」かな?その情景を描くということには、違いないのですが、そこから感じた何かがあったと思うのです。そのときの空気の味とでもいいましょうか。
それが、出せなくて躓いていたのか、何が問題で進めなくなったのか、わからなくなりました。

しかし、だからこそ、今回進められました。おかしなことですね。

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ジャコメッティーが、夕べどこまで進んだか、朝になると分からなくなる。だから、できれば眠らないで描きたいと言いました。それは、画家は絵を進めながら、頭の中でいろいろなシュミレーションを描いて、たくさんある展開の中から、一つの手段を選びながら、進めているのです。これは、将棋に似ています。
途中で、先を読んでいるのです。こうなったら、こうだから、これを選んだら、そのつもりで、ここもこうしなければという感じです。

おわかりでしょうか?

ある部分に、一つの色を選んだら、他の部分がその色との関係で進めなければならないのです。だから、一晩寝て朝起きたとき、それまでどのように考えてどう進めて来たかを思い出さないと、勝手に進められないのです。

今回の私の制作は、それを思い出せないほど、間が空いてしまいました。
しかし、面白いのは、忘れたために新たな気持ちで進められるのです。頭を抱えて、もう進められないと思ったものが、それを忘れて描いていける、面白いですね。

だから、今回描きだしたときは、人の作品に手を加えているような感じでなんだか変でしたよ。

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人物を新たに描き加えたのですが、この人物が絵の中に入るまで、すこし大変でした。どこかから切り取ってきたものを張り付けたようになってしまうのです。
実は、そうしているのですから、当然のことなのですが、中に入れるには、この世界の一部にならなければなりません。その場合、同じ光を浴びて、同じ空気の中に入れるのです。
ということは、或る程度、同じ角度の光が当たるように影を設定します。
草はらの中にいるので、人物の周りに草が絡みます。手前の草は人物の手前に被さります。

そんなことは当然のことですが、けっこうしっかり入るまでは、苦労します。
一番、気になるのは、輪郭線です。人物が平面的に見えてしまうことがあります。

それから、思ったことは、風景を舞台にして、ここに人物がいたらいいなあと思っても、入れてみると、ただいるだけではだめなのです。なぜなら、人物を入れるだけで、それがポイントになって、目立つのです。そうなると、人物のための周りの設定が必要になります。

風景を舞台にと思った時、風景を先に描いて、後から人物を描くという方法を取ると、人物を描きこむだけでいいのかと思ったら、その人物のための周りの状況という問題があることに気づきました。

カラスを描いたときは、あまり感じなかったのですが、人物を置いたために、周りを変える必要性が出て来たのです。

人物の状態で、そのとなりの草を暗くした方が良いとか、枯れ草の形や位置がもう少し、左に動いた方がよいとか、そういう問題です。

確かに、カラスのときも、大きさと位置、何羽いたらいいかという問題で、考えて描き加えていました。そして、そこにカラスをいれるなら、この辺の草はもう少しおとなしくさせておこうというようなことは、やっていました。

だから、人物を入れたら、風景の一部を変えると言うのは、あたりまえのことですね。

この風景は、風景だけで始めて、あるイメージを追究していましたが、人物を入れたために、その人物のための風景になっていきました。

描き始めの、内的ビジョンとは違うものになったと思います。それを忘れたために、この作品ができました。もし、忘れなかったとしても、人物が入って来た時に同じ問題が生じて、このような展開になっていたかもしれません。
また、人物の配置やポーズで、展開が違うでしょう。

今の私の制作は、このような状況で進めています。
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私の絵 続1

2009-10-28 | 新ピカソ
少し描き進めました。
ご覧ください。背景と、草などを描き込みました。
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Fさんの絵

2009-10-28 | 新ピカソ
今日、ここまで描き込んできました。
もう展覧会が近いので、追い込みです。

右の木を描き込んで、立体感が出て来ました。重さも感じられて、実在感があります。前回は、板のようになっていたので、はるかにリアリティがあります。
少し、色が優しすぎる感じがするので、もう少し、他の木の色との関係を考えて、緑と紺を混ぜたような色も部分的に入れてみてはどうですかとアドバイスしました。

中央の明るい黄緑の葉を描き込んで来ましたが、どうもふわふわととろろ昆布が絡まっているような感じなので、一枚一枚の葉を少しは感じるように、描き込んでみてはどうでしょうかと話しました。

左の暗い岩場は、暗い塊で良いのですが、半分から上が少しふわふわしてしまったかなと思います。すこし、岩の感じを出した方がいいでしょう。

水は、大変よく描けましたので、もうさわらないように言いました。それに続く、白い花が水との違いがわからないので、少し、水の形からはみ出して、花だとわかるようにしてみてくださいと話しました。

中央の大きな岩の部分がのっぺらぼうなので、何か変化が必要です。苔で描き込むか、木漏れ日で変化をつけるか、
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ザルの話

2009-10-28 | 新ピカソ
元校長先生が話してくださいました。

むかしむかし、ある貧乏なお寺さんでの出来事です。

ある日のこと、外は激しい雨になりました。
貧乏なお寺さんのため、ところどころに穴があって、雨漏りがしてきました。
和尚さんは、小僧さんたちを呼んで「誰か雨を受けるものを持ってきてください」と言いました。

小僧さんたちは、言われて動き出しましたが、ほとんどがろくに探しもしないで戻ってきました。そして、ありませでした。と言いました。なぜなら、この貧乏な寺に雨を受けるような容器があるわけがないと知っているからです。

そのとき、ある小僧さんが、どこを探したのか、クモの巣を顔にひっかけながら、入れ物を持ってきました。そして、ありましたといいました。
見ると、それは、ザルでした。

みんなは、唖然としました。そして、「馬鹿だな、ザルじゃ役に立たないじゃないか」と笑いました。

すると、和尚さんは、「みんな、もう修業は無理だから、家に帰りなさい。そのザルを持ってきた小僧さんだけが残って、他の人はみんな帰りなさい」と言いました。

初めから、あるわけないと思って探さない者、探してもろくに探さないで諦める者、そんな人たちに修業をする資格はないというのです。

ないかもしれないけれど、とにかく一生懸命探して、なんとか役に立たないかと探してくるその姿勢が大切だと和尚さんは言っているのです。

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これは、作り話かもしれません。例え話かもしれません。
しかし、現実には、たくさんこれが当てはまることがあります。

美術室で、生徒に何かを探してくれと頼んだ時に、よく探せばあるのに、ろくに探さないで「ありません」と答える生徒がいます。「よく探したのか」と言って、もう一度探させると、ありましたというケースが結構あるのです。

もちろん、私はあることを知っていて、持ってくるように頼んだのですから。

美術室の備品は、どこに何があるかを、部活のリーダーにはよく把握しておくように、日頃からいろいろと教え込んでいます。特に部長には、それをよく伝えています。生徒に話をするときに、資料を見せた方がいい時など、その資料がどこにあるかが分かっている生徒がいると、とても助かります。
しかし、常に部長がいるとはかぎりません。だから、他の部員に持ってきてもらう
場合もあるのです。
いろいろなケースが、ありますが、このザルの話がぴったり当てはまることが度々ありました。

要するに、ハートのレベルです。
和尚さんの探してくださいという言葉に対して、どのような気持ちで動くかということです。それによって、その人の評価に差がつくのです。

私は、生徒に掃除をするように頼みます。すると、生徒は私が望んだ以上に綺麗にします。だから、そんなに徹底的に綺麗にしなくてもいいよということが何度もありました。それは、生徒のハートのレベルの問題なのです。

私は、このザルの話は、良い話だなと思って、何年かに一度は美術部の生徒たちに話してきました。


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