絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ムンク

2009-11-26 | 美術
ムンクについて

ムンクは、何々主義という言い方をすると、どこにも属さないような気がします。しかし、象徴主義の絵画を描いたと言えば、それに当てはまるかもしれません。

誰もが知っているムンクの絵は、「叫び」でしょう。



しかし、勘違いしている人が多いようです。あの絵は、あの人が叫んでいるのではないのです。叫びに対して耳を塞いでいるのです。偉そうに言っていますが、私も勘違いしている一人でした。

何の叫び声でしょうか?詳しくは調べていません。私の勝手な解釈では、不安や恐怖の叫びではないかと思います。

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私は、ゴーギャンの「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか」というそのことと同じだと思います。存在の不安です。この世はなんなのか?考えると、発狂しそうになる叫びです。

ムンクは、5歳の時に、母を亡くしました。15歳の姉も亡くしました。病気や死の恐怖を感じて、自分もいつまで生きられるか分からないと言われたほど、体が弱かったようです。だから、他の人よりも、死の恐怖を感じながら育ったようです。

ヨーロッパ人には珍しく、無常ということを子どもの時から感じていた人だったと、中川一政がテレビに出た時、ムンクについて言っていたことがありました。

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絵を見ると、病める少女の絵があります。


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それから、ムンクの特徴は音を絵にした画家と言ってもよいと思います。
叫びもそうですが、「声」という絵があります。池があって、ボートに乗って楽しそうにしているカップルが描かれ、手前に陸にいる男が耳を塞いでいる絵です。その楽しそうな声を聞きたくないのでしょう。それは、ボートの女の子が自分の好きな女の子だからです。要するに嫉妬です。

絵は、音なんか出さないのに、音をテーマにしているのです。不思議ですね。

病弱であったムンクでしたが、81歳まで行きました。

ドイツ表現主義に影響を与えたと言われます。それはゴッホと同じですね。

なかなかムンクについては、美術史的には、話題にならないので、今回ここで紹介してみました。

尚、叫びは、単独で描かれたのではなく、フリーズの一部として描かれたようですが、単独で扱われることが多いようです。フリーズとは、欄間の絵というような感じでしょうか。単純にシリーズと解釈しても間違いではありませんが、とにかく、一連のつながった絵のシリーズの中の一枚という位置づけなのだそうです。

叫びについては、版画もあるので、4~5枚あるようです。私は、世田谷美術館でムンク展が開かれたときに、見て来ました。その時は、「思春期」が来ていました。




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今日はデッサン会

2009-11-26 | 絵画指導
今日のデッサン会で描いた私のクロッキーです。
ご覧ください。
いつもは2Bの鉛筆でしたが、今日は4Bでやってみました。


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画家の区分け

2009-11-26 | 美術
象徴主義を考えていたら、ゴーギャンも象徴主義だということが出てきて、困ったなあと思いましたが、よく考えると、一人の画家が必ず一つのジャンルで説明できるというものではないなあと思います。

ルノワールでも、印象派の絵を描いていた時期があり、晩年は印象派とは言い難い絵を描いています。モネのように生涯印象派という画家は、少ないかもしれません。モネは、印象派の方法で、やりつくせないほどのテーマが次々と出て来たのでしょう。

自分のことを考えた時、普通に描いているつもりが、形の自由や空間を意識するあまり、いつの間にか抽象がかってきて、ついには完全抽象まで行ってしまいました。私は抽象画を描こうとしていた訳ではないのです。しかし、抽象になってしまったら抽象で考える展開になるのです。その時点で、具象の要素は無くなりました。
しかし、抽象を描くつもりもなくやっていたものだから、具象の要素がなくなってしまったことが、つまらなくて、もう一度自分を見つめ直すことからやり直そうと自画像を描きだしました。そして、やっていく内に、人物と抽象形体との絡みが出て来ました。
その後、まだいろいろあるのですが、それだけを見た時に、私は抽象画家なのか、具象画家なのかという問いかけを自分にぶつけました。そして、そんなことどうでもいいんじゃないかなと思いました。何画家などということを考えなくてもいいと。私は私なので、自分のアイデンティティを持って絵を描けば、具象であろうと抽象であろうと構わないと。ピカソを見てもそうですよね。具象もあれば抽象もあります。半分具象という絵もたくさんあります。

そう考えてくると、写実と象徴という問題も、一人の画家の絵は写実的に描いたものもあれば、象徴的な絵を描く場合もあるのです。むしろその方が普通ではないでしょうか。
我々の会話では、この絵は写生なの?それとも何か裏にテーマがあるの?と尋ねる場合があります。絵を見ただけで、何かありそうだねという場合もあります。
単に写生をしただけの絵も描けば、その写生を利用して何かを象徴する絵にする場合もあるのです。

だから、その象徴に該当するような絵がその画家を代表する作品になっている場合に象徴画家という区分けに入るのかなと思いました。

美術史としての区分けでは、19世紀末の写実ではない画家の絵を象徴主義という訳ですが、一人の画家の作品を全て、その枠の中だと決めつけて考えるものでもないということを今、感じています。



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