絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

麓原会春季展

2011-03-31 | 展覧会
麓原会の春季展が、児玉のセルディで開催されます。
明日から日曜日までの3日間です。

4月1日(金)から4月3日(日)

時間は、10時から17時までです。(最終日は16時まで)



今回は、大震災の影響で、自粛をされている所が多いと思いますが、
麓原会春季展は、大震災以前に展覧会の案内状を発送してしまったため、
中止にするには、その連絡をすることも大変なため、実施することにしました。

ただ、計画停電などの影響で節電の協力を考えて、実施するなら
暖房も電気も使えないことを承知して行うことになりました。
そのため、暗くなったら見えないので、計画では18時までやる予定でしたが、
終わりの時間を17時にいたしました。申し訳ありませんが、ご承知置きください。

今日、飾り付けいたしましたが、もう4時で会場は暗くて見ずらい感じでした。
明日にならないと、昼間どのように見えるかわかりませんが、飾り付けを始めた段階では、
なんとか見ることができました。天気にも寄るので、なんとも言えませんが、
ご覧いただければ、有難いと思います。



私は、この絵を出しました。昨日紹介した時より、描き込みました。
手前が開きすぎて、一点透視がきつすぎたので、左手前を草で隠しました。
右側の道の影も増やしました。道の遠方に人物を入れてみました。
どうでしょうか?





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10号の水彩画 2点目

2011-03-31 | 私の絵
4点描いたうちの2点目です。



本庄市のガスタンクが見える場所から描きました。
ガスタンクが中央に来過ぎてしまいました。もう少し右にずらした方が良いと思います。
右側の手前に少し高めの木を描くことで解決してもいいですね。
いろいろ方法があると思います。
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10号の水彩画

2011-03-30 | 私の絵
久しぶりに10号の水彩画に手を入れました。
描きだすと、止まらなくなるのですが、今夜は4枚で止めました。
夕方からやっていたので、6時間くらい描きました。

段々ご紹介していきます。
まず、今日はこの一枚を見てください。



片品の写生旅行で、生徒を連れて行った時に描きました。
10号の水彩画です。
2004年ですから、7年前になりますね。かなりの間ほっぽらかしてありました。
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絵画指導(Hさんの制作)

2011-03-30 | 絵画指導
林の中の風景を描いているHさんが、20号で描いて見せてくれました。



横からの強い日差しを受けた木の印象を絵にしてくれました。
これは、昨年の秋からのテーマで、今、県展制作も同じテーマで描いていますが、
その20号バージョンです。

かなり良い感じで描けていると思います。
このテーマは、アンドリューワイエスというアメリカの画家がいますが、
その人の絵を思い出したので、参考に見てくださいと話しています。

ワイエスの物の捉え方が、この絵を描くのに参考になるかなと思いました。

今の段階で少し、気になる点は、地面に落ちる木の影と木に他の木の影が当たっている部分が
繋がっている部分がある点です。
特に左の太い木の左側に地面に落ちている影が木の表面に当たっている影と繋がっている部分です。
それをずらすようにしないと、気になりますね。

また、右から二番目の木が下が広がり過ぎていて、全体が三角形っぽくなっている点が、ひょうきんな感じがします。
写真では分かりにくいですが、地面に近い部分が平面的になっています。それは、影の中でも微妙な明暗を見て、
少しだけでも立体感をつけるように工夫が必要です。

一番右側の木の光が当たっている部分と地面から生えている枯れ草が、白けていて物になっていません。
それが、気になりました。

手前の太い木と木の間に見える遠くの木が、丁度木と木の間の中央に来てしまっているものが二本あって、それが
不自然かなと思いました。それもちょっとずらすとか、角度を変えるなどをするといいのかなと思います。

地面の感じはなかなか良く描けているなあと思いました。

欲を言えば、背景の葉がもう少しリアルに描けてもいいのかなと思います。
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子供の絵について

2011-03-30 | 絵画指導
私は、こどもの絵がどうあるべきかについて、あまり考えたことがなかった。
子供の絵は、大人の未熟バージョンなんだろうか?

中学生の場合は、大人みたいに描けるとすごいねと言われる。
しかし、小学生の場合は、子供らしい絵が評価が高いのではないだろうか?

ここで言う[子供らしい]とは、要するに見える通りに描けない,大人から見たら下手というジャンルである。
ヘタウマという文字を見たことがあるが、そんな感じだろうか?
大人から見たら、一見漫画みたいだけれど、味があるという状態のことを言うのだろう。

ーーーーーーーーーーー

ピカソが「子供みたいに描けるようになるのに、一生かかった」と言った言葉を思い出す。

上手に描くとか、他の人が見たら何というだろうかとか、絵画の歴史を見て、現代はいかに描くべきかなどと考えるのが、大人の画家である。しかし、そんな邪念を排除して、とにかく純粋に画面に向かって、それこそ何も考えずに夢中で描くということ。それを子供みたいに描くという言葉で表現したのだ。

その出来上がった絵は、とても20世紀のプロの画家が描いたとは思えないような絵であった。

ーーーーーーーーーーー
ピカソの言うことが理想なら、子供にどのように描けなどと言わない方が良いのかなと思ってしまう。果たしてどうだろうか?

横絵より縦絵が良い、白黒は使うな、人間は手の平サイズに描け、

ピカソが聞いたら何というだろう。

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もしかして、それは、絵について素人の大人が自分たちの都合の良い状態の絵を子供たちに押し付けていることではないのか?

ヘタをすると、その方が賞状がもらえるからなどという先生の邪念が含まれているかもしれない。

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ただ、ピカソが言うことは、子供のように描くということの純粋性として評価するが、子供が純粋に絵を描いているかと考えると、はなはだ疑問である。

自分のことを振り返ってみても、純粋に描いていただろうかと考えたとき、そうは思わない。
どう描けばよいのかわからずに、他の子の描く様子ばかりみていた。そして真似をしていた。
とても純粋に描いてはいなかった。
もし、自分が誰の絵も見ないで描き出せたとしたら、それはたまたま私の父が画家だから父の絵を思い出したからだろう。

だから、おそらく指導されずに絵を描くことはできなかっただろうと思う。

私の絵画指導の方法は、子供であっても造形要素に照らして描かせることだ。
バランス、リズム、アクセント、ハーモニー、などの造形要素に照らして、アドバイスをしていく。しかし、それをやりすぎないようにだ。

例えば、右側ばかり描いて、左側が大きく空いてしまった子供には、左側は描かなくていいの?と声をかける。バランス的には左側も描いた方がいいなあと感じた場合である。

極端に飛び出して見えるものがあれば、飛び出していていいの?と声をかける。この確認が必要だと思う。本人がそのように描きたくて描くなら、それを尊重する。これは高校生の指導でも同じだ。ただ、高校生の場合は、それを私は良いと思うか良くないと思うかは、言ってやる。私がどう思っても関係なく描きたいならそれで構わない。

飛び出したというのは、ハーモニー的には外れていると感じる部分、
それがアクセントとして利いているなら、それでも良い。

子供の絵なら、そういう確認をしながら、描かせたいと思う。
また、何も描けない子には、描けるようにヒントを与えようと思う。

遊園地に行ったら、何があったかな?というようなことだろう。

しかし、私は思い出し絵画をなぜ描かせるのか疑問がある。
とても描けないからだ。

今の私が描けない。小学生は大人でも難しくて描けないことを平気でやらされている。
思い出し絵画の意味は美術そのものの目的ではないかもしれない。
読後感想画という言葉があるかな?
それに近いだろうか?

写実主義のクールベに「天使を描いてください」という注文が入った。
クールベは、「描いてやるからここへ連れて来い」と言ったという。

見なけりゃ描けないよと言っている。

クールベでさえ、描けないことを子供たちはやらされていることになる。











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