さわらび展を終えて、帰る時、棚沢先生と何人かの部員が見送ってくれた。
私は車いすなので、押していただいたり、荷物を運んでいただいたりした訳だが、とても有難かった。
私が車に乗り込もうとして立ち上がった時、一人の女子部員から「先生は、どんな気持ちで絵を描いていますか」と尋ねられた。
その質問は、気楽に答える類の質問なのか?あまりに簡単に質問されたので、困った。
4日間会場にいて、いろいろチャンスがあったと思うので、その時に言ってもらえれば、良かったのだが、帰り際、まさに車に乗り込もうとするときに、尋ねられたのである。
この子は、どのような答えを期待してこの質問をしたのかと考えた。
それで、探りを入れるつもりで、例えばのサンプルをあげた。
「優しい気持ちで、愛情を込めて?とか」
しかし答えてみて、そのような答えを聞きたくて、訊いているのではないという気がした。だから、「見える通りに忠実に?とか」と言ってみた。
しかし、それは答えのサンプルであって、自分の答えではない気がした。
その類で答えるならば、「過去の自分の絵画体験を踏まえた上で、絵に向かっている」と答えるべきだ。そう感じたので、そう言った。
果たして、答えになっているのだろうか?
この生徒が、単に私が絵を描くときに、どのような精神状態でいるのかを問いかけたのだとしたら、全くのトンチンカンな答えだろうと思う。
しかし、私はその質問に対して、単純に「心を落ち着けて、真剣に絵に向かっている」などという答えでは、答えになっていない気がしたのだ。
ーーーーーー
質問に対して、一言で単純に答えられる人はすごいと思う。
私は、国語力の問題もあるが、簡単には答えられない。
何かを言うには、一言では誤解をうむ。言ってみて物足らず、つい言葉を継ぎ足したくなる。それは自分の中では納得のいく答えであったとしても、相手の理解力によって、受け取り方が違うからである。
私は絵を描くときに、過去の絵画体験を背負いながら描いている。単純にデッサンをしているときでも、それなりのセオリーがある。展覧会に出すような作品なら猶更だ。
テーマと構図を考えて、描いている。
「どんな気持ち」という部分にそういうことも含まれる。
どんな考えでという部分である。
ただ、そういうことを踏まえてはいるが、そうであるにもかかわらず、それらを一切忘れて、子供のように純粋に描こうとするのがいいと言った人もいた。私はそうはなれない。
また、子供が純粋かどうかは私にはわからないからだ。
付け加えると、過去の絵画体験という場合、過去の美術史を学んだ体験なども含まれることを加えておきたい。
ーーーーーーーーーー
余談だが、まさか、質問の答えが、「気楽に音楽を聴きながら」とか、「口笛を吹きながら楽しく」とかそういう答えを期待してではないだろう。
もしそうなら、「時には、気楽に楽しく」というときもある。「真剣に息を殺しておもいっきり細い筆で丁寧に描く」ときもある。いろいろな時があるので、いつも同じではない。
私は車いすなので、押していただいたり、荷物を運んでいただいたりした訳だが、とても有難かった。
私が車に乗り込もうとして立ち上がった時、一人の女子部員から「先生は、どんな気持ちで絵を描いていますか」と尋ねられた。
その質問は、気楽に答える類の質問なのか?あまりに簡単に質問されたので、困った。
4日間会場にいて、いろいろチャンスがあったと思うので、その時に言ってもらえれば、良かったのだが、帰り際、まさに車に乗り込もうとするときに、尋ねられたのである。
この子は、どのような答えを期待してこの質問をしたのかと考えた。
それで、探りを入れるつもりで、例えばのサンプルをあげた。
「優しい気持ちで、愛情を込めて?とか」
しかし答えてみて、そのような答えを聞きたくて、訊いているのではないという気がした。だから、「見える通りに忠実に?とか」と言ってみた。
しかし、それは答えのサンプルであって、自分の答えではない気がした。
その類で答えるならば、「過去の自分の絵画体験を踏まえた上で、絵に向かっている」と答えるべきだ。そう感じたので、そう言った。
果たして、答えになっているのだろうか?
この生徒が、単に私が絵を描くときに、どのような精神状態でいるのかを問いかけたのだとしたら、全くのトンチンカンな答えだろうと思う。
しかし、私はその質問に対して、単純に「心を落ち着けて、真剣に絵に向かっている」などという答えでは、答えになっていない気がしたのだ。
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質問に対して、一言で単純に答えられる人はすごいと思う。
私は、国語力の問題もあるが、簡単には答えられない。
何かを言うには、一言では誤解をうむ。言ってみて物足らず、つい言葉を継ぎ足したくなる。それは自分の中では納得のいく答えであったとしても、相手の理解力によって、受け取り方が違うからである。
私は絵を描くときに、過去の絵画体験を背負いながら描いている。単純にデッサンをしているときでも、それなりのセオリーがある。展覧会に出すような作品なら猶更だ。
テーマと構図を考えて、描いている。
「どんな気持ち」という部分にそういうことも含まれる。
どんな考えでという部分である。
ただ、そういうことを踏まえてはいるが、そうであるにもかかわらず、それらを一切忘れて、子供のように純粋に描こうとするのがいいと言った人もいた。私はそうはなれない。
また、子供が純粋かどうかは私にはわからないからだ。
付け加えると、過去の絵画体験という場合、過去の美術史を学んだ体験なども含まれることを加えておきたい。
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余談だが、まさか、質問の答えが、「気楽に音楽を聴きながら」とか、「口笛を吹きながら楽しく」とかそういう答えを期待してではないだろう。
もしそうなら、「時には、気楽に楽しく」というときもある。「真剣に息を殺しておもいっきり細い筆で丁寧に描く」ときもある。いろいろな時があるので、いつも同じではない。